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【波北朱音】殺人犯の動機

 翌週は珍しく、先輩より先に私が図書室についた。

 期末テスト前だから、部活動をしている生徒もみんな下校していて周りは静か。

 私はカウンターに座り、先輩から借りた本を開いた。思ったより面白くて、のめりこんでしまっている自分がいる。ただ、私は先輩と同じように読むことは出来なかった。

 

 私は物語を閲覧しているモブになって本の世界へ行くだけで、登場人物になり切る先輩とは違って、本には登場しない人物になる。この人はこう思っていたのか、と思うところはあっても、先輩のように感情的になって泣くことは出来なかった。

 この本には、殺人犯の女の子A、そのAに殺された男の子、その男の子の恋人の女の子が出てくる。

 私は止めること無く物語を読み進める。Aがどうして殺人を犯したのかは、物語中盤の今もわからない。

「また勉強してるの?  ……って貸したやつ読んでるじゃん!」

 いつもより遅れてきた先輩よって、私は現実に引き戻された。先輩はカバンを肩に抱えて、本を覗き込んでくる。

「へぇ。もうこの辺まで読んだんだ」

 そう伏し目がちに呟いている先輩の顔が近くにあって、私は毛穴もニキビも無い先輩の肌をまじまじと見た。

 先輩が私の後に入ってくるのは新鮮だ。

 

 先輩は、いつもは本棚の方で本を読んでいるのに対し、今日は私の隣に座ってきた。

「本当に読んでくれるなんて……」

「先輩は好きな人とかいる? 恋人とか」

 最近先輩の顔を見ると質問ばかり浮かんで、私はそれを放っていいかも考えず先輩に投げつけている。気が付けば私も先輩のようにころころと話を変えるようになっていた。

「へ?」

 いきなり投げかけた私の質問に、先輩の顔が林檎のように顔が真っ赤に火照っていく。答えが口からでなく顔から出ていた。素直すぎでしょ、と馬鹿にしようとした。

 でも私が口を開く前に先輩が、うつむいて話し始めた。

「猫みたいな子でね、冷たいのに優しく笑う子でね、意外とさみしがり屋で、時々むなしそうな顔を一人でしていてね……、あとね……」

「ちょっと待って」

 私が口を挟んでも、先輩は止まらず好きな子とやらの特徴をポンポンと上げていく。

 自惚れそうになる。そんなことあるわけないのに。

 カウンターの下で膝をすり合わせて、もどかしさに耐える。

「あと、髪の毛長くてきれいで、お花みたいな匂いする子。声は冷たいけど、優しいアイスクリームみたいな子」

 先輩は口を休めずペラペラと比喩を並べていく。アイスクリームが優しい? なんだそれ。

 先輩はさっきまでの真っ赤な顔のまま、何か吹っ切れたように息つく間もなく話し続ける。猫のようなくだけた声じゃなくて、真剣に話していることが伝わってきて、私はどう返せばいいかわからなくなった。

 先輩はこれまで私に向けてきた言葉を、好きな子の特徴としてどんどん並べた。

――そんなことあるわけない。だって……。

 もうわかったから、と言いたくなったが、そのあとの会話を続けられる自信がなくて、本を開いたまま下を見ていた。

 もしかしたら先輩の『好き』は、私が雄大や奏に感じる『好き』なのかもしれない。ラブじゃなくてライクかもしれない。

 確かめようと先輩を見ると、先輩の顔にすでに答えが出ていた。

 私は開きかけた口を閉じて、本に視線を移した。

 

 これまでに告白されたことは五回ほどある。ただ、いつもそれは選ぶことがなく『ノー』だった。理由はわからないけれど、『ノー』いう選択肢しか私の頭の中にはなかった。

 だけれど今の私の中には『イエス』と『ノー』、二つの選択肢がある。

 いきなり見ていた本がぐらりと持ち上げられる。私が読んでいた本を先輩は取り上げた。

「え、あの……」

「ライクじゃなくてラブなんだ。朱音が好きだよ」

 先輩は、私の目を見てはっきり「好き」と言った。告白の言葉で、初めてその言葉を言われた。

 私はまた、膝同士を擦り合わせる。そして動揺によって出てくる変な声が洩れないように、唇を噛んだ。

 今まで「付き合ってほしい」と言われたことはあるけれど、こんなにも相手から愛を伝えられるのは初めてだ。

 何か、私の心がわしづかみされてが持っていかれたような感覚に陥る。海に浸かった私の足が、理由もなくどんどん先に進んでいくような気分だ。

 胸がドキドキして、息がしにくい。イエスと答えるべきだからこんな気持ちになるのか、ただの動揺なのかはわからない。

 無言の時間が続いた。私の心臓の音、私が何度も唾を呑み込む音が、聞えてしまうんじゃ無いかと思って怖かった。

 私がうつむいていると、先輩は何も言わずに急に立ち上がり、返却済みの本が入っている箱から本を持って、本棚の方へ向かっていった。いつもの定位置には先輩はいなくて、私から顔が見えないところで背を向ける。

 耳が真っ赤なのは私から丸見えだった。

 

 先輩と恋人になることを想像した。手を繋いだり、抱きしめ合ったり、キスをしたり。

 でも途中から、先輩の顔がぼやけていき、うまく想像できなくなる。真剣な先輩の顔を想像すると、さっき以上に胸が高鳴って苦しくなっていく。喉がつっかえて、唾を呑むのをやめられなくなる。

 考えることがたくさんあって私の頭はもうパンク状態になった。

 そこへガラガラと手に本を抱えた女の人が入ってくる。急な音に全身で反応してしまった。

 目の前にやってきた生徒の名前を確認してからお決まりのセリフを言う。

「そこに本置いておいてください」

 いつもやっていることなのに、はんこを押す手も、話す声もぶるぶると震える。体は熱くてじっとりと汗ばんでいる。

 やってきた女の人に不思議そうな顔で数秒じっと見つめられ、恥ずかしさで胸が痛んだ。さっきまでの話、聞かれていないだろうか。

 ドキドキしすぎて吐き気がしてくるほどだった。

 何度も瞬きをする。

 頼むから早く帰って。そう願いながらうつむいていると、女の人はドアの外にいる友達に呼ばれ、出て行った。

 

 ほっと声に出すほどのため息をつく。そして、カウンターに突っ伏した。

 私は先輩の告白をなかったものにしていいのだろうか。かといって、「付き合ってください」と言われたわけじゃ無いのに、私は何を答えればいいのだろうか。

 私が「ノー」と答えれば、先輩とはもう二度と話せないのだろうか。先輩は他の人とキスしたり、手を繋いだりすることになるのだろうか。そのことを想像すると、心臓にぐっとたばこを押し当てられたかのような熱い痛み走る。

 以前奏に彼女ができたときは、喜ばしい気持ちだったのに。今心の中にうごめいた感情は決して綺麗なものではなかった。

 でも、私も先輩が好き。そう断言するには、先輩のことも、好きという感情も私はまだ何も知らない。ただ、先輩との時間は新しい発見があるから楽しい。それだけしかわからない。

 

 あっという間に時間が過ぎ、十七時になった。

 先輩がこちらにやってくる。

 私は何も整理するものも無いのに、わざと下を向いてカバンを直すそぶりをした。

「ごめんね」

 先輩の声は、いつもと違い、空気の入っていないしわしわの風船みたいに弱々しかった。

 いったい、何に謝っているのだろう。

 そう思ったけれど、私は小さく頷いた。

「鍵返してくるから帰りな」

「はい」

 先輩とは目を合わせないように、促されるまま返事をし、外へ出る。職員室には行かずにそのまま靴箱に向かった。

 今日はテスト前だからつばさのコンサートはない。

 廊下を歩く足が重い。ズリズリとなんとか足を引きずって歩く。まるで、体内におもりをつけられたみたいだ。

 別れ際の先輩の表情は悲しそうだった。笑っているのに、寂しさが混じっていた。いつもの底なしに明るい笑顔ではなかった。

 あの顔に、いったいどんな感情が含まれていたのだろう。

 好き。

 先輩はそう言っていたのに、随分と苦しそうな顔をしていた。

 靴箱を開き、外靴を取る。カタン、と地面に靴を置いた瞬間、突発的に先輩から借りた小説の冒頭を思い出した。


『私にとって人を愛するということは、その人自身も殺してしまうようなものだった。私が人を愛することは罪だった』

 

 殺人を犯した女の子の台詞だ。それを思い返しながら、靴を履く。すっぽりと靴に足が収まる。

 あ。

 その瞬間、パズルの最後のピースが当てはまった瞬間のように、先輩があの本を読んであんなに泣いていた理由がわかったような気がした。

 先輩は私を好きだと言うことにどんなに勇気を振り絞ったのだろう。きっと普通の人より何倍も、先輩が私に「好き」と言うことは勇気のいることだ。

 先輩の気持ちに共感出来るかどうかはわからない。でも、本を読んだおかげで少しは理解出来そうな気がした。

 靴を仕舞い、屋外に出る。夏の始まりを感じさせるような太陽が、私を照らす。

 そうだ。私は色々モヤモヤと考える前に、「好きだと言ってくれて嬉しい」と正直な気持ちを一言伝えれば良かったのかもしれない。それだけで、たったその一言だけでも、良かったのかもしれない。

 私はその場で引き返し、上靴を履く。そして、歩いてきた廊下を引き返し、職員室へ向かった。

 今、先輩は悲しんでいるかもしれない。暗い、沈んだ気持ちになっているかもしれない。

 走って、走って、走る。

 やっとの思い出職員室についた。けれど、先輩はいない。職員室の中を覗いても先輩はいない。キーフックにも図書室の鍵はまだ職員室にかかっていない。

 一体どこにいるのだろうか。

 いつも一緒に通っている図書室から職員室までの道を逆行したが、道中に先輩はいなかった。


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