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【波北朱音】馬鹿

 私たちの高校では、テストの合計点数上位十位が職員室前に張り出されるシステムがあった。それが貼り出された今日、職員室前にたくさんの人がいた。昼休み、たまたま通りかかったので、私は順位表を横目にとぼとぼと歩いていた。

「え?」

 一人でいるのに、情けない声を漏らしたので、隣に立つ人にピクリと反応される。でも、私の脳内はそれどころではなかった。驚きで今にも、『なんで』と声を上げたくなるほど驚いていた。

 自分の名前が一番右上にあったからではない。私の名前の一段下に知っている名前があったからだ。

『【八位】 清水伊織』

 下から八番目だと言われた方がしっくり来る先輩が八位。勉強は嫌いだと言って、ひたすら本を読んでいた先輩が八位。

 私は先輩のことを少し馬鹿にしすぎていたみたいだ。

「あ、朱音一位じゃん! すげー!」

 ちょうど職員室から出てきた雄大が声を大にして話しかけてくる。私は多くの人からの視線を浴びた。最悪だ。

「何してるの?」

「怒られてた」

 声に不機嫌さを表して尋ねると、雄大は私の目の前でプリントをひらひらとさせた。必死になって目で追うとそこには『補習に該当する生徒』と書かれていた。

 中学のときに、雄大が補習を受けていたことはなかったはずだ。どうしたんだろう。

 

 雄大は、勉強ができるとは言えなかったけれど、部活を休まないため、補習にならないよう勉強を頑張っていた。私の家で、奏と一緒に雄大に勉強を教えたこともあった。

「いやー、ゲームしすぎてさー。完全にやらかしたわー」

 やらかしたとも思っていないような呑気な表情で雄大は笑う。なんだ。そんなことか。心配して損した。

「いざとなっても助けないからね」

「え! 頼むよ! な!? 朱音?」

「無理」

 雄大は冷たい私の発言に「相変わらずだな」なんて呑気に笑う。

 雄大はいつも大丈夫だ。何があっても馬鹿だからあまり気付かない。気付かないから傷つかない。けなしている訳ではない。

 時折雄大が羨ましくなるときがある。馬鹿というのは、言葉以上に魅力的なものであるのだ。

 

 

 家へ帰って、夕食のビーフシチューを食べ終えた後、お風呂に入る前にダイニングテーブルに成績表を置いた。

「テストの成績表はんこ押しといて」

 お母さんが洗い物の手を止め、タオルで優しく手を拭き、私の成績表を開く。中の結果を見た瞬間、キラキラと顔を輝かせ、歓喜の声を上げた。

「すごいわ朱音ちゃん! お父さん! また一番よ!」

 リビングのソファでバラエティーショーを見ているお父さんが振り向いて、笑顔を見せる。それもまたキラキラに輝いていた。

「頑張ったな!」

「うん」

 私はお父さんに対し、曖昧に返事をした。

 時間を持て余している私の、暇つぶしのような勉強でこうして結果が出ても私はいまいち喜べない。担任からすごいなと褒められても、お父さんとお母さんに頑張ったねと言われても、私は心から喜べない。お父さんもお母さんもあんなに顔をほころばせて喜んでくれるというのに、両親が喜ぶ度に、私はまた感情の選択肢を奪われている気分になった。

 

 下駄箱でのんびり靴を履き替えながら、ため息をつく。

 六月になり、梅雨に入り、雨が高頻度で降るようになった。今朝は晴れていたのに、六時間目の途中に雨が降りだし、下校時刻になった今でも止まなかった。むしろ強くなっている。

 朝、何も考えず傘を家に置いてきたことを悔やんだ。私に勉強を教えてと言ってくれるクラスメイトはいても、傘に入れてくれるほどの人はいない。雄大は担任に補習のことでまた呼ばれたらしいから、今日はいない。

 六時間目の数学の時間、雄大の傘に入れてもらうことも考えたが、何かと噂を流されそうなので、ちょうどよかった。きっと雄大は心配性だから、無理矢理にでも傘に入れてくるだろう。

 どうしようか。走って帰ろうとするも、あまりの雨の打ち付け具合にひるんでいた。花壇に咲く花は、雨に打たれてへなへなにうなだれている。傘を忘れたのはいつぶりだろう。

 小学生の頃は雄大と奏と一緒に土砂降りの中走って帰って、お母さんに怒られたことがあったものだ。

「朱音ちゃんどうしたの?」

 靴箱からぼんやり外の様子を見ていたら、背後から声をかけられた。声の方を向くと奏と雄大がいた。

 クラスの違う奏の声を久しぶりに聞いた。

「僕、傘二個あるよ」

 私が傘を忘れたことも口に出していないのに、奏はわかったかのようにカバンから折りたたみ傘を出してきた。

「ありがとう」

 一緒の傘に入ってくれる人はいないけど、傘を貸してくれる人なら私にもいたな、と二人を見て嬉しくなった。

「それなら久しぶりに三人で一緒に帰ろうぜ! 奏今日雨で外練なくなったらしいし!」

 雄大も私と同じように嬉しそうだった。補習のことで呼ばれたのに、きっとそれはもう頭から抜けているのだろう。相変わらず馬鹿だなぁ。

 私は奏に借りた折り畳み傘を広げた。そして、強い雨の降る外へ三人で出る。

 小学生の頃はお互いにぶつかり合っていた傘も、もう当たらなくなっていた。私の差す傘だけ、まるで両親に囲まれる子供のように背が低い。

 

 雄大のどうでもいい話を聞き流しながら、傘の隙間から奏の顔を覗いた。

 色が白くて高い鼻に、ぱっちりとした二重の大きな目と長いまつげ。美男子という言葉が似合う奏の顔を見るのが何年経っても好きだ。体は薄いわけではないけれど、ところどころ骨張っていて細身。そして、綺麗な黒髪。その黒さが肌の白さをより引き立たせている。

 そんな奏の隣に立てることが、私の心を奮わせた。勉強も出来て、バスケで県の選抜選手にも選ばれて、気遣いができる。良いところが多すぎる奏の幼馴染でいることは、私の幸せだ。奏が隣にいるだけで、私はタダで幸福を吸える。


 傘に当たる雨のスピードが徐々に早くなっていく。

「いやー、中間終わったと思ったらもう期末かよって感じだよな。来週でテスト一週間前だぜ」

 雄大は雨にも負けない大きな声で、「勉強だりー」と叫んだ。

 雄大の声はとにかく通る。そんなに出さなくても聞こえるよ、と思いながらも、奏と同じように雄大の声も心地が良い。雄大の声はクリアでまっすぐ差し込む太陽のようだ。時々うるさすぎて耳が痛くなるけれど。

「すげえよな、朱音は。ずっと一位じゃん。俺にも必勝法教えてくれよー」

 懇願するような目で雄大が私に頼み込んでくる。

 必勝法なんてものはない。そもそも誰かに勝とうとしたことなんてない。ただの結果にすぎないのだ。

 雄大や奏がバスケで頑張ってレギュラーになったことや、試合で勝つことに比べて、私はただ出されたものに取り組んでいることしかできない。これをやればいいですよ、と言われたものだけをこなしているだけ。すごいのは形のない努力をする二人の方だ。

「僕も教えてほしいよ、全然ダメだった」

「奏はいつもちゃんとやってるじゃん」

 奏が謙遜するので、褒められているのだろうけれど、冷たく返した。奏はいつも自分を卑下する。まぁ、そこも奏の良いところなのだけれど。

 私はわざとらしく頭に傘をぶつけながら口をとんがらせて、速足で歩いた。ただ、足幅の大きい二人を置いていくなんてことはできっこない。

「奏がダメなら俺はダメダメダメぐらいかよー」

 雄大が隣で意味のわからないツッコミを入れる。

「雄大はダメダメダメダメダメくらいだよ」

 傘を少し上げて舌をぺらぺらと回して言ってやった。雄大とはそこまで身長差が無いから、奏より近くに顔が見えた。

「やっぱり朱音は俺に冷たい!」

 雄大はまた声を大にして叫ぶ。その様子を見て、奏と一緒に笑った。いつもの構図。


 傘を忘れてしまったことで、三人で帰れた。

 今の楽しい時間を過ごしているのに、なんだか懐かしさを感じる三人での時間はやっぱり特別だった。


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