【紫の海になって、】[八話]
夏休みが終わってすぐ、俺は違うクラスの女から、体育館裏に呼び出された。夏休みが終わってから呼び出されたのは、三回目だった。夏の大会が終わってから、俺の周りに顔も名前も知らない女が何人も寄ってくるようになった。
「好きです。付き合ってください」
女はそう言ってきた。
俺は他人に何かを与えられる恋愛が嫌いだ。俺に何かを与える人間は、必ず何かを求めているからだ。
「ありがとう」
俺は簡単に嘘をつく。
女たちの目は怖い。俺と付き合いたいわけじゃない。付き合って、自分が愛されることが目当てだ。
気持ち悪い。
寄ってくるな。
俺は好意を受け入れることが出来ない。返すことが出来ないからだ。
「ごめんね」
俺はまた嘘をついた。
ごめんね。
こう嘘をつくたびに、自分の何か大事なものが削られているような気がする。
ごめんね。
俺の何が悪いというのだろう。
拒否することは、心が潰れそうなほど痛かった。
下を向きながら泣いている女を睨みつける。
お前らがうらやましい。他人のものをひたすらに求められる、お前らが心底怖くてうらやましい。
泣きたいのは俺の方だった。
教室に戻ると、覗き見をしていた男たちが寄ってきた。
「お前モテすぎだろ! いいなぁお前は」
「女選び放題じゃん」
「そりゃこの性格と見た目だぞ! 当たり前だろ!」
なぜかいつも、俺の隣に男も寄ってたかった。そして、俺に近づいてくる女に手を出した。
俺を褒めていい気にさせて、自分に利益をもたらそうとしていたのだ。みんな自分の事ばかり。
俺に何か与える人間は、それ以上に何かを求めている人間ばかり。
俺は俺が大事にする以上に大事にされたい。こんな汚いやつたちの愛情なんて信じていない。自分が大事にする人に一番にされたい。
蒼空と日和にとって、俺は何番目だろうか。
平気で二人を傷つける、自分勝手でわがままな俺は、二人にとっていったい何番目だろうか。
何人に「好きだ」と言われても、ストレスが溜まっていく日々だった。
部活では三年生が引退してから、調子に乗っている二年生が部室で話していた。
「俺たちの学年のレズのやつ、飛び降りたらしいぞ」
「え? 自殺?」
「いや、頭から落ちなかったから生きてはいるらしい。〇×病院で入院してるんだって。無理矢理一年の子付き合わせてるって噂から一気にいじめひどくなったからっぽい」
着替えている途中、冬でもないのに背筋が凍る感覚がした。
え?
あの人が飛び降り?
自分の劣等感を晴らすためだけにした行為が、こんなことになってしまった。それなのに、俺の心には新しい劣等感が生まれていた。
日和と恋人は互いが互いの一番。
日和の両親は日和が一番。
蒼空の一番は日和。
俺の父親の一番は兄貴。
兄貴の一番は彼女。
母親の一番は父親。
俺は一番になれないし、誰も一番にしてやれない。劣等感が止まらない。
俺は本当に、人間の失敗作なのかもしれない。
夏祭りの日に食べた紫色のかき氷を思い出した。
「ねえ、日和。日和の恋人のお見舞い行っても良い?」
俺からそう話しかけたのは、死にたいと思っている人間の顔を見たいと思ったからだ。心配ではなく、興味だった。
「え、先輩のお見舞い? 来てくれるの? ありがとう。蒼空にも聞いてみるね」
そうして俺たちは、日和の恋人のお見舞いへ行った。
蒼空が入院していた病院と同じ病院へ行くと、そこにいた日和の恋人は何か吹っ切れたような顔をしていた。
それを見て、思った。
死にたかったんじゃない。
死にたいほど、何か大きなものを抱えていたのだ。それを伝える方法が、死のうとすることだったのだ。
決して、自殺を美化するわけではない。自らの命を捨てることを良いことだと言いたい訳ではない。
でも、世間が持つ考えは間違ってる。
自殺なんてするな。
死ななくて良かったね。
これからも生きて頑張ろうね。
そんなのどうだって良い。死のうが死ぬまいが、その人の裏側の何かを読み取ることが、その人にとっての救いになるのではないか。
日和の恋人は顔立ちが良いことが原因で、SNSで勝手に集合写真を切り抜かれ、閲覧稼ぎに使われている。
『レズの女の子。いじめにより飛び降り』
そんな寒いタイトルの動画が切ない音楽と主に流れてくる。
彼女のことを考えているようで、実際は自分の知名度と外見しか考えていない動画。同性愛に理解のある自分。自殺未遂をした人を悔やむことのできる自分。
みんな自分のことばかり。
俺なら絶対にあんなことされたくない。自分が死んだときに憶測でものを図られ、勝手に情けをかけられるくらいなら、俺は全部ぶちまけてから死んでやる。
俺は自分の死を、自分で美化してから死んでやる。
誰にも触らせない。俺の過去を、俺の辛さを、俺の汚さを、全てあらわにしてから死んでやる。
俺も死にたい。なあ。お前ならわかってくれるだろ。
必死になって日和の恋人の目を見た。でも、俺の事は見てもくれず、ずっと日和の事を見ていた。
飛び降りたこと、間違いなんかじゃないと思う。お前の思い、飛び降りたことでちゃんと伝わったと思うよ。
ただひたすらに、脳内で彼女に語りかけた。
冬休みが始まる直前に、部活の二年生の先輩たちが本格的に調子に乗り始めた。
「おいお前ら、あと頼むぞ」
片付けを全くしない。自分たちも三年生にされたからと言って、俺たち一年を奴隷のように扱った。
俺たちが片付けを終えると、二年生が部室を占領しながら着替えているのが日常だった。
こういう理由の無い威張りが、俺は大嫌いだ。
理由があって、説教してくる顧問の方が何倍もマシだ。
「僕が、部室の鍵閉めとくから、みんな先帰ってていいよ」
「まじ! いつもありがとな!」
俺は毎回、帰るのが遅くなる部室の鍵締めを率先してやっていた。
偽善者ぶっているわけではない。
自分がされて許せなかったことを平気で他人にして、そんな自分でも笑って生きていける父親のような人間にはなりたくなかったからだ。
父親は人に暴力はダメだというくせに、自分は平気でそういうことをする。しまいには、俺もじいさんからされていたなんて俺の知らない話を持ち出してくる。
俺は父親を許して、自分もクソになるのが嫌だったから、やられたことも言われたことも一生忘れないと誓っている。殴られたときの痛み、口の中で血が滲んで感じた鉄の味。
鮮明に覚えている。
あの時の父親の顔も、
兄貴の焦る顔も、
母親の気まずそうな顔も、
鮮明に覚えている。
今でもすぐにあの夜に戻れる。
家へ帰り、食事を取り、布団に入る。
――お前なんか産むんじゃなかった。
――お前なんか死んでしまえ。
――失敗作が。
俺は父親と同じ事をしないために、この言葉を一生心に刻んでいる。どんなに苦しくても、他人を苦しめるクソにはならない。
眠りについたはずなのに、すぐに目が覚めた。
そして、誰かの声が聞こえた。俺は怖くなり布団にもぐりこんだ。
「失敗作が。人を傷つけておいて何でまだ生きてる! 早く死ね!死ね! 死ね!」
声だけが俺の耳に届く。布団に潜っても耳をふさいでもその声は大きくなるばかり。
そして、声がこれ以上大きくならないと気づいたとき、その声の主に気が付いた。
これは、紛れもなく俺自身の声だ。
何回目だ。
もう、何回も俺は俺自身の怒号を聞いている。
深夜、辺りは死んだように静か。
涙がつーっと頬を伝う。
息が荒れていく。
必死に息を吸うも落ち着かない。こんなみじめな姿を見られたら、俺はこの家で生きていけない。
昔から泣いてばっかりだった俺は、よく父親から『男なんだから泣くんじゃねぇ』と怒られていた。
男なんだから。
男なんだから。
男なんだから。
失敗作でごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
男なのに泣いてごめんなさい。
脳内で、何かに謝っていた。父親ではない母親ではない、何かに謝っていた。
しばらくするといきなり呼吸が落ち着いた。そして、冷静になる。
ずっと許さないということは、ずっと忘れないということと同じだ。許したくないことをされたことを、ずっと頭に刻んでいかなくてはいけない。
俺はきっと、これから何回もこうして自分の声に悩まされるのではないか。
そう思った。
許せない怒りがこみ上げてくるのに、頭はなぜか冷静だった。
ああ、海に行こう。そして、海になろう。
朝型、俺は携帯を持って海に行った。
ざくざく。
音をたて、裸足で砂浜を歩く。時々、チクリと足の裏に痛みが走るもどうでもいい。
もう疲れた。
笑うのをやめたい。
頑張ることをやめたい。
辛いという言葉を飲み込み続けるのをやめたい。
夜中泣いたせいで、目は熱を持っていた。
俺が死んだら日和はどんな顔をするだろうか。
蒼空は泣いてくれるだろうか。
父親はきっと偽善者のふりして涙を流すだろう。
母親も兄貴も同じようにするだろう。
それでもみんなすぐに生きていける。
一番になれない俺は、みんなに大した影響を与えられない。
午前四時半。
俺は、太陽に見つけられる前に、この世を去りたい。
海にちゃぷりと足をつけた。
冷たい。青い。ブルーハワイのシロップみたいだ。
――かっこいいから名前、覚えちゃった!
――『花火になりたい』って良いね。
おままごとをしてない頃の俺を、まっすぐな笑顔で見つめる蒼空と日和を思い出す。自分の昔のことは覚えていないのに、二人の昔の顔だけは鮮明に脳裏に焼き付いている。
やめろ。
もう俺はそんな自分のことすらうまく思い出せないのだ。
脳内で響く二人の声に気を取られ、足がもつれた。
尻餅をついて、あたりに水しぶきが飛ぶ。同時に、ポケットに入れていた、携帯が振動した。
メールだ。
そうだ、一つやるべきことを忘れていた。書いていた作品を終わらせなくては。
俺は携帯を握り絞め、創作小説をアップしていたアプリを開いた。そして、まだ上げていなかったすべての話をアップロードした。




