【紫の海になって、】[七話]
俺は一人で走って海まで来ていた。なんとなく、今なら死ねそうな気分だったからだ。
人は死ぬと海になるらしい。そんな話を聞いたことがある。
男が死ぬと青い海に、女が死ぬと赤い海になるらしい。
波の音を聞きながら、引き込まれるかのように海の方に進もうとする。
俺が死ぬほど辛いと思っている気持ちも、親を殺したいほど嫌いだと思っている気持ちも、蒼空と日和を大事に思っている気持ちもどうすれば伝わるのだろうか。
あぁ、もう疲れたな。
海に向かって歩みを進める。
俺は一体何色の海になるのだろう。
そう思った時だった。
「おーい!」
いきなり大きな声で呼ばれる。声の方を振り返ると、そこには蒼空がいた。
汗が動きと同時にそこら中に飛び散る。気がつかないうちに大量の汗を掻いていたみたいだ。
こちらにやってきた蒼空が興奮気味に話し始める。どうやら蒼空は自殺しようとしたクソ親のところに行っていたらしい。
俺は顔をしかめた。
「母さんとすっげぇ話し込んでさ! そうだ! 母さんが今度お前と日和に会いたいってさ!」
俺は会いたくない。蒼空を傷つけたやつの顔なんて見たくない。
そう思った。でも、やはり俺の口からは思った言葉は出なかった。
日が沈んでいき、辺りが紫色になる。俺が死んだらきっとこんな色の海になるだろう。黒も混じったような、陰鬱そうな色。
結局俺が死ぬなんてことはなく、蒼空と歩きながら家まで帰ることになった。
「お前はさ、男でも好きになることある?」
「え、何急に。僕のこと好きなの?」
「ちげえよ! 聞いてみただけ!」
「うーん。蒼空のことは好きだよ」
うん。
お前の事は、好きだよ。
ちゃんと好きだよ。
蒼空は俺がからかったのだと勘違いした様子だった。少しいらついて、蒼空の頬を力一杯つねってやった。蒼空が大きな笑い声を上げる。
「でも、まあ、僕は無いかな」
俺はぼそりと呟いた。
無い。
俺はきっと、誰とも愛し合うことは出来ない。
男だろうが、女だろうが。
「ふーん。そっかー! まあ、お前は女優並みの美女と結婚して幸せな家庭を気付くんだろなー。お前の家見てたらそんな感じするわ」
隣で騒ぎ出す蒼空。
馬鹿もいい加減にしてくれ。目を覚ませ。
「なんかお前の家って、理想の家って感じだろ。お前の父さんマジ優しいしよー。みんなお前のこと大好きって感じ」
いい加減気付いてくれよ。
俺はさっきまで、死ぬことを考えてたんだぞ。
そう思うのに、やっぱり口からはうまく言葉が出ない。歯を食いしばり、だらだらと汗を掻きながら、蒼空と並んで帰った。
嫌だったけれど、仕方なく蒼空の母親と顔を合わせた。
そこにいた女の人は、もうホームレスのような姿をしていなかった。優しい母親の顔をしていた。
「日和ちゃん、よりいっそう美少女になったわね。将来どっちと結婚するの?蒼空は顔は並だけどちゃんと優しい男よ」
「知ってますよ」
日和が真剣な表情で即答する。
俺も知っている。蒼空が俺よりも優しいなんて、俺が一番知っている。
日和に対する恋心に、図星を付かれた蒼空は焦りだした。
恋愛なんて苦しいもの、早くやめてしまえばいいのに。
蒼空は親といる時の方が、笑顔が少なかった。少し口も悪く、日和とのことをからかわれる度「ふざけるな!」と怒っていた。
親の前の方がかしこまってる俺とは違う。
目の前の愛情を取り戻した親子を見て、息を呑んだ。俺の心はいつまでも曇っていた。
蒼空に対する自分勝手で子供じみた考えが頭によぎる。でも、それを俺が口にする前に、病院の出口に差し掛かったところで日和が言った。
「……お願いなんだけどさ……、私の恋人に会って欲しいんだ。先輩が二人に会いたいって言ってるの」
俺の待っていたお願いが来た。
蒼空にとって残酷なお願いが来た。
胸が高揚した。
どうして俺だけがみじめになって、劣等感にまみれなくちゃいけないんだ。俺だけ置いていくな。
「いいよ」
喜びを隠しながら、賛成した。
俺が先に賛成すれば、優しい蒼空は絶対に断れない。
「いいじゃん!会いたい!」
会いたいと思っているわけがないのに、そう言う蒼空を連れて、俺たちは日和の恋人のところへ行った。
そして、初めて日和の恋人の声を聞いた。漂う雰囲気が温かいのか冷たいのかわからなかった。
笑っているのに、笑っていないような冷たさを感じる。まるで海のようだった。
日和は恋人と近い距離間で触れ合っていた。まるで、俺たちに見せつけるかのように、べたべたとしていた。
蒼空の顔をチラチラ見る。
これを見て、お前も辛い思いをすればいい。
俺だけ置いていくな。
そう思いながら蒼空を見た。
でも、蒼空は、俺の予想とは反対に嬉しそうな顔をして、楽しそうに日和の恋人と喋っていた。
何でだよ。
もっと悔しがれよ。
もっと悲しめよ。
なんでお前はそんなに優しくなれるんだよ。
眩しく笑う蒼空を見ながら、そう思った。
「大好きな幼馴染と先輩が一緒にいるなんて……」
大好きな幼馴染。
日和は俺たちのことをそう括った。
でも日和の一番は俺たちではない。この海みたいな恋人だ。
大好きの言葉の上があるのなら一体何だろうか。
三人がそれぞれを思い合う中、俺はひとりぼっち三人を眺めていた。みんな眩しくて、俺だけ一人で違う世界にいるように感じた。
どうして友情は愛情に勝てないのだろう。どうして友達以上恋人未満なんて言葉があるのだろう。
俺ははみ出しものと思われないように、必死になっておままごとをしていた。




