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【紫の海になって、】[五話]

 そうして、日和と蒼空と一緒に行く、夏祭りの日がやってきた。

 小三の時に半ば無理やり蒼空に誘われてから、俺たちは毎年、蒼空と日和の三人で祭りへと行っている。

 

 俺の家にやってきた蒼空は、最後に見た二週間前の補習の日からさらにやつれていた。夏なのに長袖のシャツを着ているし、袖口からは引っ掻いたような傷跡が見えた。

 さらに、顔の右側が青紫になった蒼空は右足を庇うように歩いていた。

 蒼空はそれでもずっと笑っていた。大丈夫じゃないことが伝わってくる無理した様子で笑っていた。

 

 蒼空を傷つけている全部が俺にのしかかればいいのに。それなら俺がかわいそうになれるのに。蒼空は、本当はもっと眩しく笑うやつなのに。

 

 うらやましさを感じるとともに、眩しい蒼空の輝きを奪う、汚い大人を呪いたいと思った。


 蒼空と一緒に日和を迎えに行くと、日和は毎年来ていた赤色の浴衣を着ていた。

 お母さんに着せてもらったのだと嬉しそうに言う日和は、恋をしているからだろう、綺麗に見えた。蒼空のように、下心があるわけではない。そこら中にいる汚い女たちとは違い、綺麗に咲く花のように見えた。

「綺麗だね」

 俺はそのままを口にした。

 日和を愛おしそうに目で見つめる蒼空も、俺と二人で歩いている時より元気が出ている気がする。

 それを見て、ひどく胸が痛んだ。

 俺には、人の心を晴らす力は無いのだ。日和を綺麗にする力も、蒼空を元気にする力も、ない。

 うらやましい。

 汚い感情じゃなくて、綺麗な好意を持てる二人がうらやましい。俺にはもてない心を持てる二人みたいになりたい。

 綺麗な二人の隣に立って、自分の汚さがはっきりとする。

 劣等感が止まらないまま、汚い汗が背中を伝うのを一人で感じていた。

 

 俺はわざとらしく声を大にして、日和に恋人の話題を振った。

 同性愛に差別なんてしませんよ、と堂々と口にする。

 蒼空は立ち止まり動揺し、日和は何で知っているの、という顔をした。本当に二人ともわかりやすくてありがたい。わかりやすいやつや、心に正直なやつは機嫌がとりやすい。

「え! まじで! 俺より先にハッピーになりやがって……!」

 蒼空はだらしなく笑って、日和のことを祝った。

 無理して笑っているのが伝わってきて、なんともいらついた。

 蒼空はきっとハッピーになる日がいつか来る。

 けれど俺はきっと、一生ハッピーになれないのだ。

 他人の言葉一つ一つに、俺はいちいちいらついていた。

 

 いつもの定位置に行っても、蒼空は食が進んでいなかった。

 もう限界を超えているこいつは今にも倒れそうだった。

 父親が死んで、家庭崩壊したこいつが骨折程度の傷なら、いい家に暮らして金もある、父親の支配下にあるだけの俺の傷はせいぜい擦り傷程度。こいつはそれでも笑って日和ためにかき氷を走って買いに行けるのに、俺は日和に辛い思いをしてほしいと思ってしまう。

 日和も俺と同じように落ちぶれたところに来てほしいと、悪気を持って噂を流した。

 でも日和は落ちぶれなかった。太陽のように、いつもと変わらずそこにいた。

 二人っきりになった瞬間、日和はキラキラした笑顔で俺を見てきた。

「あんた、本当に花火好きだよね」

「そんなこと言ったっけ?」

 確かに花火は好きだ。全部どうにでもなれ、とやけくそに鳴る感じが好きだ。

 でも、「好きだ」と口に出した覚えは無い。

「だって、初めて花火見た時あんた、『花火になりたい』って言ってたよ。あの時のあんた、可愛かったなぁ」

 おままごとを知らない昔の俺を、日和は懐かしんでいる。ふふふと声を出して笑っている。

 心の中で、また苛立ちを覚えた。

 やめろ。

 俺はもうそんな自分すら、あやふやになっているというのに。

 昔のことなんて覚えていない。わがままで、反抗的な自分のことなんて、覚えていない。

 覚えているのは、忘れたいことだけ。父親に何度も殴られたこと、俺は失敗作だとけなされたこと、死んでしまえと言われたこと、外に何時間も放り出された冬の夜のこと。

 本音が沸々と溢れそうになったが、笑ってごまかした。


「おーい! 買ってきたぞー !」

 それから、少し溶けたかき氷を持って、蒼空は俺たちのもとへ帰ってきた。ふらふらの蒼空はいちごとぶどうのかき氷を俺たちに手渡した。

 俺は紫。青でもなく赤でもない。

 男になりたくない。

 女にもなりたくない。

 誰かを好きになることも出来ない。俺にはぴったりの紫だ。

 日和の意見も聞かず進んで俺は紫をとった。

 蒼空は一瞬困ったように俺を見た。

 まさか日和と間接キスをしようとしていたのか?

 いや、蒼空はそんなことはしないか。俺みたいにずるいことはしないか。

 そんな蒼空は、馬鹿げた提案を持ちかけてきた。

 別の味を考えながらかき氷を食べると、その味になるのでは、という提案だ。

 俺はそれに乗っかり、目をつむって自分の持つ味とは別の味を想像しながら、自分のかき氷を食べようと提案した。

 俺の提案に、蒼空はノリノリで目をつむる。本当にこいつは馬鹿だ。

 俺は無防備に目を瞑る蒼空のかき氷を勝手にとった。

 でもおいしくなかった。蒼空の青を一口食べても、全くおいしくなかった。味を感じられなかった。

「ブルーハワイだ」

 感じられない味を、さも俺は美味しく感じたかのように言った。

 自分のかき氷を見つめる。

 俺の思いが混じった紫色のかき氷。

 赤と青だけでなく少し黒も混じっている。俺に当てはまりすぎるその色は、俺の心の汚さを表すように暗くなる空と似ていた。


 バァン! ……バァン!


 それから、はじける花火を三人で見た。全部かき消してくれ。俺もあの中で綺麗に燃え尽きたい。

「綺麗だね」

 小さい声で呟く。

 来年もまた、こうして俺は劣等感に打ちのめされるのだろうか。

 綺麗な二人の隣で、俺はまた一人黒ずんだ紫色なのだろうか。

 それとも、もう隣に二人はいなくて綺麗な空の下でお互い違う誰かと空を見上げているのだろうか。

 二人から返答が返ってこなかった。

 二人は花火に夢中で、俺の声なんかは聞こえていないようだった。


 この十分間がずっと続けば良いのに。

 家に帰らず二人がいれば、俺はずっと俺でいられるのに。

 このままずっと二人といれば、俺は『花火になりたい』ともう一度言えるかもしれない。俺は二人の前なら良い子じゃなくても生きていける。俺は蒼空と日和と一緒にいたい。おままごとを、もうやめたい。

 勝手に足が震える。

 家に帰ればまた同じようにおままごとをしないといけない。少しでも長くここにいたい。

 そんなことを考えながら上を見ていると、日和の猫のような声が下から聞こえた。携帯が鳴っていることを蒼空に教えている。

 蒼空は気がついたのか、携帯を取り出した。

 蒼空の携帯を横から覗き見すると、画面には『母さん』と表示されていた。

 蒼空の顔を見る。

 案の定、蒼空は顔を引きつらせていた。

 恐る恐る応答ボタンに指を伸ばす蒼空は、何が起こっているか悟っている顔をしていた。必死に隠していた腕の傷があらわになる。

 

 この手を取って逃げ出せる勇気が俺にあれば、お前を助けられる。 

 

 そう思うと同時に、もう一つの黒い考えがよぎる。


 蒼空も落ちぶれてしまえばいいのに。

 鮮やかな青から、どす黒い黒に染まってしまえば良いのに。

 そしたら、俺と一緒になれる。

 

 蒼空は長い時間をかけて応答ボタンを押した。するとすぐ、蒼空の様子がおかしくなった。

 呼吸が荒くなり、ぶるぶると震えている。

 大人が蒼空を壊した。大人はやっぱり汚い。

 

 バァン!


 どれだけ花火が上がっても蒼空の顔は綺麗にならなかった。

 だんだんぐちゃぐちゃになっていく顔を見て、なんとなく、もうこいつ死にたいのだろうと思った。 

 見たことのある顔をしていたからだ。父親に殴られた日に洗面所で見た俺と同じ顔だ。絶望のどん底に落ちたような、どこかに突き落とされ心を無くしたかのような顔だ。

 

 バァン!


 花火の音ではない大きな音が鳴る。

 蒼空が強く頭を打ち付けて地面に倒れた。

 さすがに予想のしてなかった展開に、俺は一瞬動揺した。普段冷静な日和も、動揺して声を荒げていた。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 そう言う蒼空の声を聞いて、背筋に寒気が走った。

 

『ごめんなさい』

 

 それは、俺が心から口に出来ない言葉だ。呼吸よりも優先して謝っている蒼空を見て、自分の心の小ささがまたあらわになった。

 俺は冷静なフリをしながら、蒼空の背中をさすり、自分の携帯で一一九に発信した。隣では日和が慌てていた。正直、パニックになった時の日和は使い物にならない。俺は、とりあえず持っていた携帯を日和に押し当てた。

 おい、お前のせいで蒼空がこうなってるんだぞ。クソが。

 多分、蒼空の携帯を持ったままだったら、そう言っていた。

 繋がったままの蒼空の携帯から、悲鳴が聞えてくる。

 蒼空に辛い思いさせるなよ、クソが。

 これが、俺の思っていることなのか、俺が考えている模範解答なのか、わからなかった。

 もう俺は俺がわからなくなった。

「大丈夫。大丈夫だから。蒼空。大丈夫だからね」

 俺はそう言いながら、蒼空の背中を機械のようにさすり続けた。

 これが、俺がしたくてしていることなのかもわからなかった。

 

 ただわかるのは、蒼空の背中をさすっているこの瞬間も、蒼空に落ちぶれてほしいと思っているのだから、俺は本当にどうしようもない人間だということだけだった。



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