【清水伊織】好きの一致
冷たい風が頬にぶつかり、はっと現実世界に戻る。
やはり高校生編だった。なんとも言えない感情になって、やるせなくなる。まだ包帯が巻かれたままの左足に、じんじんと血のめぐる感覚がする。
私は読んでいたん小説を閉じ、作品ページに戻った。作者のプロフィールや、他作品、読んだ人の評価や感想が書かれているページだ。
私は作者のプロフィールをざっと見た。年齢は非公開。性別も非公開。本人の情報はほとんどないのに、メールアドレスだけは書かれていた。
明らかにプライベートアドレスだ。
私は感情の高ぶりが抑えられないまま、そのアドレスにメールを送ろうとメールのアプリを開いた。
作品にはコメント欄があるけれど、直接伝えたい。私と作者だけのやり取りがしてみたい。
携帯を開き、文字を打ち込む。
『こんにちは。いつも作品読ませていただいています。とてもリアルな表現に見入ってしまいます。これからも、応援しています』
思うままに動くようになってきた右手で、そう打ち込む。
さすがに返信はこないかもしれない。
送る前の高揚とは異なり、メールを送ったあと、冷静になってそう感じた。あまり、期待などはしないでおこう。
作者のプロフィールのページを消し、作品ページへと移動する。
私はそれを見ながら、鼻で笑った。
相変わらず、コメント欄が荒れている。
この作品は、そこまで人気ではないものの、もうすでに十件ほどのコメントがあった。
そのどれもが批判だった。
私はコメントをスライドしながら見ていく。
『ナルシスト』
『性格悪すぎだろ主人公。いや、作者か』
『痛いポエマー野郎』
『そういう時期が私にもありましたよw』
『気持ち悪』
『寒気した』
批判というものは不思議で、誰かが一人が批判すれば、感染病のように広がっていく。ナイフのような言葉が平気で飛び交うようになる。
コメントを書いた人にとっては傷つけるつもりで書いた一言だろう。
でも私はコメント欄を見て、再度笑った。
作者の返信はどれも、決まって、『ありがとうございます』だった。
まるで、批判を喜んで浴びるかのように無傷だ。
どんなコメントにも同じように返している。その姿勢がまたさらに批判を読んでいるように見える。無傷な作者に対して、さらに強い武器を投げつけて、どうにか攻撃しようとしている人が生まれているように見える。
この作者、面白いな、と俄然興味が湧いた。
私は多分、この作品が好きなのでは無く、これを書いている作者に興味があるのだ。
作品の裏側に透けて見えるような、作者の顔に興味があるのだ。
風が本格的に強くなってきて、私の髪をぐちゃぐちゃにした。何ヶ月も散髪に行っていないから、量も増えて、襟足が首についてこそばがゆい。
首をかきむしってから、松葉杖を持って、自分の部屋に戻った。
夕方なると、学校帰りの朱音がやって来た。
「え? どうしたの朱音」
今日はいつも来ていた月曜日じゃなくて、木曜日だったから急に現われて驚いた。
朱音は一人ではなく、雄大くんと奏くんを連れていた。
二人ともこちらに向かって小さく会釈した。私は戸惑いながら、首を前に突き出すように頭を下げた。相変わらず、二人ともかっこよくて、朱音を守るヒーローみたいに見えた。
「二人とも、先輩のお見舞いに行きたいって言ってくれたから一緒に来たの。奏はテスト期間しか来られないし、雄大もバイトの無い日しか来られないから今日しかなくて」
朱音は二人に囲まれて嬉しそうに笑っている。
「は!? 俺心配とか言ってねぇし! ただ気になっただけ!」
雄大くんはやっぱり、私の事が気に入らないようだ。
私を毛嫌いする雄大くんに見せつけるように、私はわざとらしく朱音と触れ合った。治りかけの右手で、朱音の腕を握る。朱音は当たり前のようにそれを受け入れてくれる。
勝ち誇った目で雄大くんを見た。
すると雄大くんは番犬のように、私を威嚇し始めた。感情にまっすぐで、実に面白い。
「大丈夫ですか?」
雄大くんとにらみ合っていると、奏くんが私を心配そうな目で見てくれた。
「うん。まぁまだ完治してないけど元気だよ。来てくれてありがとうね」
私は、雄大くんを睨みつけていた目を、奏くんにうつした。
奏くんは、私に威嚇してこない。
多分奏くんは、恋とか、複雑なものでは無く、純粋に朱音の事が好きなのだろう。私がつばさのことを好きなのと同じように、好きなんだと思う。
朱音が二人を大事にしていて、二人も朱音を大事にしていることがひしひしと伝わってくる。
一度目に会ったときから、そうだった。
一度会ってみたいと言った理由は、確認したかったからだった。
もし、下心だけでこの二人が朱音と一緒にいるなら、二人から朱音を引きはがしていただろう。
そんな男よりこっちにおいで、なんて下心いっぱいの私の口はそう言っていたと思う。
けれど違う。
やっぱり違った。
「怪我人だったら、じっとしてたらどうですか先輩?」
雄大くんはどうにか朱音から私を引き剥がそうとする。
「手のリハビリですー」
私は包帯の取れた右手でグーとパーを繰り返しながら、雄大くんに見せつけるように、朱音の縋りつくように腕に胸を押し当てた。
それを見た雄大くんの顔色が、さらに勢いのあるものに変わっていく。
「リハビリなら俺が手伝ってあげましょうか?」
朱音の腕をつかむ私の手を、雄大くんは呪うように見る。
「いい! 本当にいらない!」
声を上げて、手でしっしと雄大くんを払った。
「雄大と先輩、やっぱり似た者同士だね」
間に挟まれている朱音がそう嬉しそうに言う。隣で奏くんも笑っている。
「『似てないよ!』『似てねえよ!』」
この前と同様、また声が被った。
「ちょっと、声被せないでよ」
「先輩こそ、この間から俺の真似しないでくださーい」
知り合い程度の、自殺未遂した人のところへのお見舞いなんて気まずいものだろうに、雄大くんはありえないくらいうるさい。つばさと比べても負けないくらいだ。
自分の好きな相手の恋人のところなんて、きっともっと嫌だろうに。まぁ、同情なんてしてやらないけど。
私だったら絶対に行きたくない。
「先輩はしばらくここで、じっとしていてくださーい」
雄大くんは、朱音は毎日俺と一緒に楽しく帰っているので、と付け加え、勝ち誇った目で私を見た。
そして、ついに私から朱音を引き剥がした。朱音はされるがままだ。
「そうなんだよ、先輩! 最近毎日『マリモ』と一緒に遊んでるの」
雄大くんに盗られた。朱音が盗られた。なのに、朱音は平然と笑っている。
「マリモ?」
私は朱音に聞き返した。
「うん、野良猫の名前。雄大がつけたの」
「まじで可愛いんだよなぁ」
雄大くんは私と話している時とは打って変わって、柔らかな表情で朱音を見る。
「へー、そうなんだー」
朱音の背後にある、窓のふちを見ながら、相槌を打った。
全く興味ない。
私と付き合っているのに、優しい男がそばにいるなんて怖くて仕方ない。
私と似ているならなおさら怖い。
私の気持ちなんて置き去りに、朱音は雄大くんとニコニコと笑っている。
本当にずるい。
楽しそうに話す二人、そして、それを見守っている奏くん。優しそうだ。まさに好青年、という感じ。
「雄大名前のセンスなさ過ぎじゃない?何、マリモって」
その奏くんが、ずばりと鋭いツッコミを入れる。
前言撤回。
優しそうに見えて、そうでもなかった。
奏くんは悪巧みをする小学生のような笑みを浮かべている。
とにかく顔立ちが綺麗だ。何をされても許してあげたくなるくらい横顔がシュッとしていて綺麗。特に鼻が高くて綺麗だ。
滑り台のように、なめらかで綺麗な鼻筋をじっと見る。
後輩と関わりのない私でも知っているほど、奏くんは有名人だ。
かっこいい。
勉強も運動も出来る。
優しい。
そうクラスの女子が噂しているのを聞いたことがあった。
それを聞いて、非の打ち所がない人だな、と思っていた。でも幼なじみの前ではそんなに聖人のような様子では無いようだ。
「なんだと!? 草むらに丸まってたからマリモにしたんだよ。な? 朱音?」
雄大くんが朱音に同調を求める。
「奏! しーっ! 言わないようにしてたのに!」
朱音は口の前で人差し指を立て、奏くんに言った。でも、私にも雄大くんにも丸聞こえだった。
「へ? そうなのか朱音……?」
雄大くんは朱音の言葉に口をぽかんと開けてショックを受けている。
朱音と奏くんはそれを見ては爆笑し始めた。
きっといつもの構図なのだろう。
なんだか疎外感を感じたが、それと共に微笑ましさを感じた。
三人は見ているだけで面白い。
朱音は意外と二人といる時は子供っぽい。雄大くんは熱血タイプに見えて、実はよく物事を考えている気がする。奏くんは、噂よりとっつきやすいタイプに見える。
朱音の、私に見せる顔と幼なじみに見せる顔に違いがあって安心した。私との関係と、二人との関係は同じではないのだと、思うことが出来る。
私もきっと、つばさに見せる顔と、朱音に見せる顔は違っているのだろう。
朱音を掴んでいた右手を布団の上に戻し、いつもより無邪気に笑う朱音を見た。
私と朱音は、付き合う前から今までずっと、互いに別の男の子のことが好きだ。
うまく言い表せないけれど、朱音が雄大くんと奏くんに向ける『好き』と、私がつばさに向ける『好き』はきっと同じだ。その好きの一致が、私たちの関係をよりよいものにしているだろう。
共感というのは、愛情と同じなのかもしれない。共感し合える何かがあれば、私たちの繋がりはより深くなっていくのだろう。
私とは別の人と無邪気に笑い合っている朱音を見て、昨日よりもさらに好きだと思った。




