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【清水伊織】矛盾だらけ

 笑いをこらえている朱音が、廊下の方から私を覗いていた。

 急いで布団を顔を隠す。

 最悪だ。醜態を見られた!

 目の前のつばさの顔が、だんだん悪意のあるものに変わっていく。

「ごめんなー、伊織。朱音ちゃんには待っててもらっててん。それにしても、俺、伊織の大事な朱音ちゃんと二人で来てしもて、きぃ使えへんかったなぁ」

 つばさはの顔には、謝りの言葉とは裏腹にいやらしい笑みが浮かんでいる。

 私は目だけを布団から覗かせ、つばさを睨み付けた。

 私の目の前にやってきた朱音も、意地悪い笑みを浮かべていた。

 私は耐えられないほど辱められた。

 鼻水と涙を垂らす醜い醜態を晒しながら、下心丸出しの女を誰が好きになるというのだ。

 二人は私を見て大爆笑しだす。声を上げて、二人で仲良く笑っている。

「笑えない! 何にも笑えない!」

「退院したらキスしようね」

 朱音は私に近づいて、不用心に顔を近づける。

 朱音の前髪が私のおでこにさらりと触れる。

 どきりと心臓が鳴る。朱音はずるい。本当にずるい。

「やっぱり二人は仲良しやなぁー」

 つばさは呑気に、私たちを見ている。

 私はもう一度、つばさにパンチをした。でも相変わらず、全く効いている様子はなく、むしろパンチしたことによって、自分の恥ずかしさが強調されているような気がした。

 左手の甲で、濡れた目を拭く。

 ぼやけていた視界がぱっと綺麗になる。私のことをずっと大事にしてくれていた二人が、目の前で笑っている。

 わがままを言っても、醜態をさらしても、二人は変わらず私のそばから離れない。

 そのことに、今更ながらに気付く。

 ずっと、自分は気持ち悪くて、周りとは違うと思っていた。親にそう言われて、それが全てだと思っていた。

 でも、全員が全員、違いを受け入れてくれなかったわけではない。ちゃんと、わかってくれる人だっていたし、違いを受けて入れてくれていた人もいた。つばさも、つばさのお母さんも、朱音も朱音の幼なじみだって、邪険な目で私を見なかった。なのに、そんなことを忘れて、汚い目だけ受け入れていた。

 自分を不幸だと思うことで、自分を救おうとしていた。

 自分を非難されてかわいそうな人間だと思って、自分をなんとか憐れんでいた。

 でも、本当はそんなものじゃ救われないんだ。

 自分の愚かさを身にしみて感じる。

 朱音の目を見る。さっきまで泣いていたから、いつも純白な白目が、赤くなっている。

 やっぱり好きだ。

 その目を、見て、そっと微笑んだ。でも、好きだとか、キスしようとか、そんなことは口にしなかった。まだ、そこまでの覚悟はなかった。朱音を批判的な目の浴びる場所へと引き込む覚悟はなかった。


 『お互いの好きなものを否定しない』という私が立てた朱音を縛らないための約束によって、結局私は自分を捨てられなかった。心の中で、朱音への恋心が肥大していく日々を過ごした。


 私は、一月いっぱいまでの三ヶ月、確実に入院することが決定した。

 頭から落ちなかったので、そこまで重傷では無いが、足の怪我のリハビリに時間がかかるらしい。

 手の方は軽い骨折で済んだ。でも、右手を怪我したから、食事を取るのも全てやりにくいというのが難点だった。


 週に一回、朱音は私に会いに来た。

 十一月に入って寒くなってきても、朱音は必ず毎週来てくれた。学校終わりの夕方に、制服姿で朱音が現れる。

「先輩ー。来たよー」

 毎週月曜日、朱音は委員会が終わった後に来てくれる。どうやら、他の日は塾があるから来られないらしい。

「来てくれて、ありがとう」

「いえいえ。手の調子はどう?」

「まぁ、ちょっとずつ動くかなーって感じかな」

 私は朱音の目の前で、右手をゆっくり、グーパーグーパーして見せた。

「良かったじゃん! 早く治ると良いね」

 朱音は自分のことのように喜んでくれる。可愛い。

 頭を撫でたいのを必死に我慢した。

 外で看護師が、こちらをじっと見ていた。

「水族館いつ行く?」

 朱音が椅子に腰掛けなが言う。夏休みにした約束だ。

 些細な会話を覚えていてくれたことが嬉しくて、うまく反応できなかった。笑っているだけの私に、朱音が即座に予定を立ててくれる。

「来年のゴールデンウィークにしようよ。そのころには先輩も走り回れるようになってるでしょ」

 ね、と顔を近づけながら、私に言ってくる朱音。

 ずるい。

 約束なんてしてしまえば、もう勝手にいなくなることはできない。死のうなんて、思えない。

「頑張って治すね」

「うん。私、来年も図書委員やるから先輩も一緒にやろう」

「えへへ」

 なんだか朱音が私に甘くなっているような気がする。多分、勘違いではない。

 思わずはにかんだ。喉に魚の骨が詰まったときのような、もどかしさを感じた。

「せんぱい」

 朱音が甘い声で私を呼んだ。

「うん?」

「私、先輩のことちゃんと好きだよ」

「……ありがとう」

 思わず声が震えた。

 愛情をこっちから一方的に伝えるのは簡単なのに、伝えられるとどうすれば良いかわからない。朱音に好きになってもらいたいのに、それを拒んでいる自分がいた。矛盾だらけだ。

 朱音は私の左手を優しく握った。でも、それを握り返すことは出来なかった。

 朱音のことが好きだからこそ出来なかった。


 朱音が帰ってから、さっき私たちを覗いていた看護師が、夕食を持ってやってきた。

「夕食ですよー」

 机の上にお盆が置かれる。

「ありがとうございます」

「いいえー。さっきの子、毎週来てくれるね」

「そうですねー」

「友達?」

 ニコっと微笑みかけられる。

 その質問に、悪意がないことぐらいわかっている。ただ純粋な疑問だとわかっているのに、不快な気持ちになるのがやめられない。

 小さく首を横に捻った。

「まぁ、後輩ですね」

「あら、可愛い後輩ね、毎週来てくれるなんて。部活でもしてるの?」

 お盆の上に置かれている食事が、どんどん冷めていく。

「まぁ。そんな感じです」

 曖昧に濁した。

 話を切るために、すぐに箸を持った。すると、看護師も空気を読んだのか、ごゆっくりー、と言いながら消えていった。

 小さな生ぬるいハンバーグに口を付ける。なんとも、言えない味がする。

 それと一緒に白米を食べていく。


 好きな人に好かれているというのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。


 そう考えると同時に、私は、白米を噛むことを忘れて飲み込んでしまった。米が食道で停止する。

 呼吸が出来なくなる。胸をバンバンと叩きながら、水で流し込んだ。

 一気に水を飲んで、やっと米が喉を通った。

 そういや、同じ団地に住んでいるおじいさんも正月に喉に食べ物詰まらせて救急車呼んでたな。あの人、私のこと「ひよりちゃん」って呼んでくるんだよな。つばさのことは、「つかさくん」って呼んでるし、いつになったら名前覚えるんだろう。

 脳内で、八十近いおじいさんを思い出す。

 ふっと思い出し笑いしていると、携帯が鳴った。私は手を伸ばし携帯を取った。


『お気に入り作品に通知が来ています』


 その文字を見るだけで、心が沸き立つのがわかった。

 約一ヶ月ぶりに『紫の海になって、』の更新。

 私は食事をしながら、片手間に携帯を見始めた。

 確か前回は主人公が兄に、付き合っていた彼女と別れた、という話をしているところで終わっていたはずだ。

 私はぎこちない手つきで必死に携帯を操作しながら、作品を読み始めた。


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