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【清水伊織】建前と本心

 私を見ていたのは、大好きな朱音と、女の子が好きな私でも認めてくれて、朱音と付き合えた私を祝福してくれた人だった。

 つばさだ。

 つばさは、ピースサインを向けながら、朱音の手を掴んでこちらへと連れてくる。

 まるで朱音が、神様からの贈り物のように見えた。

「やっと起きたか伊織! 朱音ちゃん勝手に連れて来てもうたわ」

 私は、頭を抱えているというのに、つばさは嬉しそうに笑っている。

「じゃあ朱音ちゃん。聞きたいこと質問攻めにしておいで」

 そして、つばさは朱音の背中を私の方へ軽く押し、自分はそそくさと外へと出て行ってしまった。

 朱音はおろおろと戸惑いながら、私の方へと近づいてきた。

 人に迷惑をかけるな。

 そう言われるだろう。

 私は、朱音に怒られる気がして下を向いた。

 すると、私の寝ているベッドに水滴がぽたりと落ちた。

「会いたかった」

 朱音が泣いている。私は目を見開いて、朱音の顔を見た。

 朱音の『会いたかった』に特別な感情が生まれているのを感じた。

 朱音を悪い方向へ引き込みたくなる衝動を必死に抑える。

 朱音は将来、男の子と結婚して幸せになるんだ。将来に傷がつくようなことは、経験させちゃいけない。

 朱音は私に近づいてくる。

「声聞けなくて寂しかった。先輩がずっといないから図書室で集中して宿題できなかった。先輩が修学旅行に行ってる間、授業にも集中できなかった。先輩に会えなくて全然大丈夫じゃなかった。全部先輩のせい」

 幼稚園児のように朱音は泣きじゃくりながら、私の腕を強引に掴んだ。

 掴まれた腕を、朱音の手から引き抜こうとするもびくともしない。

 私は下を向きながら、苦笑いした。

「ごめんね。道を間違えた」

 泣いている朱音を見て、自分が間違っているかもしれないという事に、ようやく気付いた。

 でも、それなら私はどうすれば、周りから認められたのだろう。

 どうすれば、朱音と一緒にいることを、許されたのだろう。

「何が辛かったの?」

 朱音の声は、涙が混じってゆらゆらと揺れている。

「辛いことはないよ」

 心の中で本音が叫んでいる。

 

 朱音を大事に出来ないほど好きになったことが辛かった。

 朱音と付き合うことを許されなかったことが辛かった。

 私の気持ちを『それだけ』と片付けられたことが辛かった。

 私はわざとらしい笑みを浮かべ続けた。

「どうして飛び降りたの?」

「捨てたかったから」

「何を?」

 朱音がまっすぐ私を見てくる。

 私は軽く首を捻った。

 わからない。

 自分のことすらわからないような、馬鹿な人間のフリをした。


 本当は自分で一番わかっているのに。


 私は朱音を自分の手で捨てられないから、自分を捨てようとした。

 女の子の自分を捨てようとした。

 でも、朱音を好きな気持ちをうまく捨てられなかった。まだ、未練というのが残っていたのだと思う。だから、私は本気で死のうと出来なかった。頭から落ちられなかった。

 私はまた意味もなく笑った。わざとらしく、ふふ、と声を漏らしながら、笑顔を作る。

 笑わなくては自分の心を保てそうになかった。嘘笑いを重ねないと、自分の心から本心が漏れてしまいそうだった。

 朱音は一瞬何かを言いかけて、やめた。そして、涙を拭いて口をつぐんだ。相変わらず、私の腕を力強く握り絞めている。

 愛情が直接流れ込んできているような、まるで愛情という名の点滴を打っているような感覚で頭がふらつく。 


――朱音を自分と同じような目に遭わせたくない。


――もう私のものに……。


 やりたいこととやりたくないことが頭の中でぐちゃぐちゃになる。私の本心に触れてこようとする朱音を突き放すように、下を向く。

「修学旅行楽しかった?」

「沖縄暑くて黒くなっちゃったよ」

 愛想笑いを続ける。

 心の中で、本心が渦巻き出す。

 本当は、全然楽しくなかった。みんなには気持ち悪がられた。五日間地獄だった。

 でも、朱音を好きなことでいじめられているなんて、口が裂けても言えない。

 私は唇をかみしめた。

 すると、朱音は突然私の腕から手を離した。そして、自分のバッグから何かを取り出す。

「付き合う上での約束。覚えてないの?」

 朱音は四つ折りに折ったルーズリーフを広げる。

 そこには私が朱音に押しつけたルールが、綺麗な文字で書かれていた。

 じわりと目頭が熱くなる。


『お互いの好きなものを否定しない』


 そう書かれているルーズリーフを示しながら、朱音は少し強めの口調で私に言ってきた。

「先輩、約束破った。次破ったら怒るからね」

 睨んでいるとも言えるような強い感情が溢れる顔で、朱音は私を見る。それと比例するように、朱音はまた力強く私の左腕を握った。

 私はぐっと唇を噛み、何度も涙をこらえた。

 私は、誰に許されようと思っていたのだろう。誰かに許されなかったら、朱音が好きな気持ちを捨てるつもりだったのだろうか。その方が、朱音に対する気持ちが弱いようにも思う。


 一体、あの時私はどうして飛び降りようと思ったのだろう。


 生き残ってしまったが故に、今の気持ちも、自分の過去の思いも曖昧になっていく。

 どうすれば正解なのか、誰かに教えて欲しい。朱音が一番幸せになる道を、教えて欲しい。

 何度も瞬きを繰り返しながら、朱音を見た。ぱちりと目が合う。

「また会いに来るからね」

「うん。来てくれてありがとう」

 そして、朱音はぱっと私の手を離して、背を向けて部屋から出て行った。

 

 あんなに大好きな相手から愛情が伝わってくるのに、怖くて仕方ない。私のいる地獄に綺麗な朱音を連れ込んでしまうことが怖い。連れ込みたいのに連れ込みたくない。足も頭も心も痛い。痛い。頭がふらふらしてきて、何もうまく考えられない。

――もう私のものにしたい。 

「へーい! 伊織! 全身痛そうやなあ」

 入れ替わりでつばさが部屋に入ってくる。私以外誰もいない広すぎる病室に、つばさの大きな声が響く。自殺未遂した人へのお見舞いとは思えないぐらいうるさい。頭に響いて痛い。

「なんで勝手に来たの」

「いいやん! 幼稚園の頃からの仲なんやし! で、話せたん? 朱音ちゃんとは」

 つばさはさっきまで朱音がいた椅子に掛ける。なんだかそれだけでつばさにイラついた。

 ずるい。みんなずるい。

 足全体を揺らし、貧乏ゆすりをする。

 ああ、もう何もかもイライラする。

「というかさ! 私の朱音だよ! なんでつばさは朱音と二人でここに来てるの!? なんか仲良くなってるし!」

 ずるい。男はずるい。つばさも雄大くんも奏くんもみんなずるい。

 脳内で、さっき、つばさが朱音の手を引いて、ここに連れてきたときの様子が再生される。

「勝手に朱音に触るな!」

 私は、怪我をしていない左手でつばさの腹にパンチした。

 自分の声が頭に響くもどうでもいい。痛い。痛い。好きだ。好きすぎて辛い。

 さっきまで目に溜めていた涙が、一気に溢れ出た。我慢していたものが、一気に爆発する。つばさの前で気が緩む。

 私は、さらに声を上げた。

「クラスのやつらも気持ち悪いだの、襲われるだの意味分かんねぇよ! お前らなんかタイプじゃねえよ!」

「潔いなあー! それでそれでー!?」

 感情的に泣き出す私を、つばさは腹を抱えて爆笑しながら見ている。

「それに担任よ! 何が迷惑だよ! 朱音と付き合っても誰にも迷惑一ミリもかけてねぇじゃねえか! 私たちの幸せな月曜日を奪ってんじゃねえよ! それに朱音がいても私は受験勉強できるんだよ、天才だから!」

 涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになる。

「ああ! もう大好き! もう私朱音と結婚する!」

 自分でも頭がイッていることがわかる。病室につばさしかいなくてよかった。汚らしい感情をぶちまけるのは気持ちが良い。自分の汚い内側を、誰に見せるというのは口から悪い毒を吐くように楽になる。

 傷のある右頬に涙が付いて死ぬほど痛んだ。でもそれすら気持ちいい。私はいつも朱音の前では余裕ぶっているけれど余裕なんてない。いつも内心下心でいっぱいだった。

 鼻にたまっている鼻水を一気にすすって、大きく深呼吸をした。

「私はなぁ! まだ朱音とキスもしてないんだよ!」

「ブフォッ! 伊織―、顔ブサイクだぞー」

 つばさが隣で吹き出している。

「うるさい!」

 ずっと腹を抱えているつばさに、再びパンチする。

 久しぶりに大声でぶちまけて気持ちが良い。まるで酔っ払いだ。酔っ払って醜態をさらす大人の気持ちが少しわかる気がする。今なら何でも許される。私とつばさしかいない空間なら、自由でいられる。

 つばさは私がどれだけわがままを言っても、いつも笑って聞いてくれる。馬鹿みたいだと、ブサイクだと笑って一緒にいてくれる。


――最高な気分だ。


「情熱的な告白だね」


――最高な気分だ?

  思わず目を疑った。


 朱音が、こちらをじっと見ていた。


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