【谷山雄大】好きの答え
中間テストが無事に終わった次の週末、スキップするような気持ちで、テストの成績表を持って母さんのいる病院へと向かった。
俺の成績表を見た母さんの顔がぱあっと明るくなる。
それだけのことで、その場で腰を抜かしそうなほどに嬉しくなった。
「すごい! 頑張ったね!」
「へへ。そうだろ」
俺は鼻をぽりぽり掻きながら、冷静なフリをした。心の中では、踊り出したいほど喜んでいた。
俺のテストの点数は、前回に比べて、全ての教科の点数が、二十点ほど上がっていた。
テスト一週間前から放課後は各教科の先生のところ質問へ行って、夜中眠い目を擦りながら勉強した甲斐があった。
やった!
心の中でガッツポーズをする。
テスト成績表に親のハンコが必要だからという目的で俺は、わざわざ母さんにハンコをもらいに来た。ハンコなんて自分で押せばいいものを、俺は母さんに褒めてほしくて、成績表に加えてはんこまでも、わざわざ家から持ってきた。
――頑張ったね。
母さんの一言が、俺の心をじんわりと温かくする。
バスケの試合の県大会に優勝したとき。お年寄りに席を譲る声かけが出来たとき。小学校の自由研究でクラスの優秀賞に選ばれたとき。
父さんと母さんは、些細なことでも何か終わる度にいつも「頑張ったね」と言ってくれた。俺の結果はいつも平凡だけれど、結果に関係なく俺が必死になってやった努力を、いつも認めてくれた。俺が頑張れるのはいつも二人のおかげだった。
奏や朱音のように一番にはなれないけれど、二人はいつも俺を褒めてくれる。
「ふふーん。すごいだろ」
もっと褒めて、と言わんばかりに鼻を膨らます。
「すごいすごい」
いつまでも調子に乗っている俺を、母さんは懲りずに褒め続けてくれた。
そして、気持ち少しふっくらしてきた腕を伸ばし、成績表にはんこを押した。
まるで、自分の全てに花丸を付けられたかのような気分になる。
俺は母さんのベッドの隣にある丸椅子に腰掛けながら、足をぶらぶらさせていた。すると、母さんが思い出したように、あっ、と声を上げた。
「陽南もね。この間来てくれたのよ。雄大に聞いて来たって」
「え! 嘘! 姉ちゃんが!?」
衝撃で思わず大きな声が出る。
「うん」
母さんの視線の先には、ぱっと花びらが開いたオレンジ色のガーベラの花があった。
「あれ、姉ちゃんからもらったの?」
「そうよ」
母さんの顔がほころぶ。
良かった。
姉ちゃんからの返事は無かったけど、根気強く連絡を続けていて良かった。姉ちゃんと母さんを再び繋げる架け橋になれて、良かった。
花火を思い出す。棚に飾られたガーベラの花は花火のように、ぱっとそこら中を明るくしていた。
「母さん」
「なあに」
「クリスマス、やっぱりチョコケーキにしよう」
「あら、アイスケーキはもういいの?」
「今年はチョコケーキにする。姉ちゃんの好きなチョコケーキにしよう」
俺がそう言うと、母さんは「じゃあ今年は手作りにしようかな」と笑ってくれた。
病院から帰ったら、また姉ちゃんに連絡してみよう。
窓から淡い夕焼けが出ていた。
「クリスマス、楽しみだね母さん」
「うん。そうね」
俺と母さんはもう、父さんに会いに行こうとはしなかった。
暑さが和らいで、風が気持ちよくなってきた帰り道。相変わらず朱音と一緒に帰っていた。
「なあ、朱音聞いてる? それでさ、奏んちのご飯マジでうめえの!」
朱音は全然俺の話を聞いてくれなかった。
今、二年生は修学旅行中で学校にいない。朱音はここ最近教室で抜け殻のように寂しそうな顔をしていることが多かった。
朱音は昔から何事もあまり熱中しない分、悲しみや悔しさもあまり見せることがなかった。だから、朱音が寂しいという雰囲気を醸し出していることに、俺はひどく泣きそうになった。
朱音を特別笑顔にするのも、悲しい顔にさせるのも、たった一人、清水伊織だけだった。
――俺なら。俺なら。俺なら。
もうどうでもいい、と思っていたはずの感情が湧き上がってくる。簡単に消せるものでは無かった。
幼馴染。友達以上なのか以下なのか。恋人にはなれなくても、朱音に近い存在。曖昧な関係に俺は依存していた。
朱音の方にある左手から感じるはずの無い朱音の体温を感じる。
朱音に嫌われたくない。朱音と気まずくなりたくない。今の幸せな朱音を変えたくない。俺が今以上に幸せにしてやりたい。もう好きだって言ってしまいたい。もういっそ嫌いになりたい。すべてぶちまけて楽になりたい。朱音を清水伊織から奪ってしまいたい。朱音に幸せになって欲しい。
全てが矛盾だらけ。俺は朱音の隣にいるにつれてどんどんと大きくなったその気持ちを毎日必死に制御していた。
二年生の修学旅行は、四泊五日。月曜日から金曜日まであり、一週間、朱音は清水伊織に会うことも話すことも出来ない。俺たちの学校は、ルールとして修学旅行に携帯を持って行くのを禁止されている。修学旅行などの行事ごととなれば、厳しくチェックされるだろう。もし学則を破れば、一週間担任に携帯を預けることになる。もちろん成績も下がるだろう。
「なあ、どうしたんだよ? 悩み事か?」
わかり切っていることを尋ねる。今のこの時間くらい、俺のことを見て欲しい。
朱音はうーんと唸りながら、ようやく俺の方を見た。
「うーん、悩みっていうか……。あのさー」
「うん。どした?」
「私、本当に先輩が好きなのかな? 恋愛として好きっていう自覚がどこにも無いんだよね。誰かを愛するってどういうことなんだろう?」
愛する、なんてロマンチックな言い方に思わず動揺した。
そもそも、朱音は恋愛として好きじゃないのに清水伊織と付き合っているのだろうか。
俺にはそうは見えなかったけれど。
そう思ったが、そんなことは言ってやらない。俺は意地悪だ。
朱音の珍しく悩んでいる表情を見る。
「嫌いじゃないんだけど、ちゃんと好きかどうかがわからないの」
無自覚というやつだろうか。朱音は自分の事になると鈍感なところがある。
二人で、のんびり歩く。俺の苦手なぎんなんの匂いが鼻につく。
「恋人のこと、だよな?」
「うん」
「あれじゃね。誰かに取られたらどう思うかって考えてみろよ。その人が別の誰かと手繋いでたり、自分よりその人のこと大事にしてたらどう思うかって」
頭を掻きながら、正直に話す。これは朱音のためであって、決して清水伊織のためではない。自分にそう言い聞かせる。
言葉にすると同時に自分の頭の中に、何度も頭で想像したことがやってくる。そして同時に、苦笑いが漏れた。
朱音はなんて残酷なんだ。好きかわからない相手と付き合っていると俺に言い、俺に好きとは何かを聞いてくるなんて。
想像が頭を駆け巡る。どんなに止めても、それはやってくる。
朱音が恋人と手を繋いでいるところを何度も想像した。
朱音が恋人と抱きしめ合っているのも、朱音が恋人とキスをするのも何度も想像した。
俺は足下に落ちていた石を思いっきり蹴っ飛ばした。そのことに朱音が気付く様子はない。
朱音はずるい。こんなに何年も俺が気持ちを我慢しているのにそれにはめっぽう気付かない。
――清水伊織がこのまま帰ってこなかったら……。
朱音の悩む横顔を見て、一瞬そんなことを考えてしまった。愛する人を亡くした母さんを一番近くで見てきたのに、最低な考えが浮かぶ。
醜い嫉妬心をうまく抑えられないまま、幼なじみという特権を利用して、俺は朱音を好きなまま今でもずっと朱音の隣にいる。
俺の方が、よっぽど悪役かもしれない。
「それは嫌かもしれない」
「じゃあ好きってことじゃないの」
「そうだ。私、好きなんだ」
朱音は簡単に答えに辿り着く。
それと同時に、隠れていた太陽が雲の隙間から顔を出し、視界を明るくさせた。
俺は再び目の前に現れた大きな石を、足でドリブルし始めた。
「好き」
何度も確認するように、朱音が好きと繰り返す。今一緒にいるのは俺だが、その言葉が俺に向くことは無い。
「そうかそうか」
好きを知らないなら知らないままで良い。
朱音につけ込んでくる悪いやつから俺が守ってやる。
朱音の幸せそうに緩んだ顔を見るとそんなことは言えなかった。
朱音の家に着いて、俺たちはお別れの時間となる。
「じゃあな、また明日」
「うん。ばいばい」
家に入る朱音を確認してから、歩き出す。
十月だというのに汚く臭い汗が止まらなく流れた。止めたくてもそれは止まらない。朱音と別れた瞬間、隠していた気持ちが溢れ出るかのように、汗が出てきた。
ああ。もうそろそろこれで諦めよう。七年目の片想いを終わらせよう。
何かにそう宣言するかのように大きく息を吐いて、蹴っていた石を思いっきり遠くへ蹴り飛ばした。石は溝に転がっていく。
失恋。
これが失恋か。
いつから失恋していたのかわからない。もしかしたら俺の朱音に対する感情は、恋という形にすらならないまま、継続されていくのかもしれない。
好きの答えは、未だにわからない。
不思議と心は痛くなかった。なんだか別の何かが入り込んでくるような、心に隙間という余裕が生まれた気がした。
さぁ、これから俺はどうしようか。
まずは筋トレでもして、自分磨きでもしてみようかな。
そんな楽観的なことを考えながら、家に帰った。




