【谷山雄大】変わらない気持ち
「もしもし先輩? 着いたよ」
朱音は電話をし始めた。
おかしい。
なんでだよ。
俺だけが、立ちすくんでいて、朱音と奏は、当たり前のようにずんずんと前に進んでいく。
朱音に連れてこられたのは、俺の住む団地だった。
いや、途中からなんかおかしいな、と思ったけど、俺と一緒のところに住んでんのかよ。
空に向かってツッコミを入れながら、朱音たちの背中を追う。
俺たちはエレベーターの前で、並んで立っていた。
エレベーターの現在位置を表す数字が、だんだんと小さくなっていく。
その数字が減る度に、心臓をかじられているみたいな気分になる。一体、朱音の恋人は俺たちに会ってどうしたいのだろうか。
目の前のエレベーターがガタンと音を立てて開く。
Tシャツにワイドパンツ履いて、首にヘッドフォンをつけている女の人が中から現れる。
朱音の恋人だ。
「うぉ! こんなとこにいたのか」
初めて聞いた声は、容姿の割にやけに幼さを感じた。食堂で見たときは、人間らしくない近寄りがたい感じに見えたが、そうでもなかった。
朱音の恋人は、俺たちに気付いた瞬間、顔をぱっと明るくさせて近づいてきた。近くで見ると、やはりスタイルが良い。食堂で見たときはわからなかったけど、明らかに俺より身長が高い。けど俺より細い。
「朱音の幼なじみに会えて嬉しいー!」
朱音の恋人は、ニコニコしながら簡単に朱音に触れた。朱音も彼女と距離を詰める。
腕を組んでいるでも、手を繋いでいるわけでもないのに、二人が醸し出す雰囲気にムッとした。
クラスの女子同士の戯れは見慣れている。
髪を触りあって、手に触れあって、抱き合っているのをいつも見ている。でも、朱音のこととなると気が気じゃ無かった。
朱音は、まるでたんぽぽの綿毛のようにほわほわと恍惚とした表情を浮かべている。
なんと言っても、朱音が普段と違う表情を浮かべていることが一番気に入らない。朱音は俺たちの前ではあんなふにゃふにゃ笑うことないのに。
心の奥から何かめらめらと燃え上がってくる。それを包み隠す余裕はなかった。俺は胸の前で腕を組んで、自分を大きく見せようとした。
朱音が一度、恋人から離れ、俺たちを順に指さしていく。
「先輩、紹介するね。この小さいのが雄大。谷山雄大で、大きい方が奏、月岡奏」
「いや、その説明やめろよ!」
「じゃあ、カッコいいのが奏で、普通なのが雄大」
「失礼だな!」
朱音はケラケラと笑っている。
もう。楽しそうだからもう何でもいい。
俺は朱音につっこむのをやめ、のそのそとし清水伊織に近づいて「うっす」とわざとらしく無愛想に挨拶をした。
心の中の闘争心が、俺の心を燃やす。けれど闘争心を持っているのは俺だけじゃなかった。
「雄大くんか。清水伊織でーす」
子供のような声で俺に話しかけてきたくせに、清水伊織の俺を見る目は敵意だった。自分のものだから、捕るなとでも言いたげな目。
俺は小さく会釈する。
朱音にはふわふわした雰囲気を醸し出しておいて、俺には、めらめらとした敵意が向いている。
まるで、お互い何かを探り合うように目線を合わせる。目の奥をじっと見てしまうと呑まれてしまいそうだと、直感で感じて、すぐに目をそらした。
「奏くんも、来てくれてありがとう」
清水伊織は威嚇する猫のように俺を睨んでから、一変して奏を見た。
奏に対しては、俺に比べて態度が明らかに柔らかくなった。
「こんにちは」
「こんにちはー。近くで見るとやっぱり整った顔立ちしてるね」
「先輩の方が」
二人は互いを褒め合った。
清水伊織が奏に向ける敵意は俺よりも少ない。むしろ好意的だ。
身長の高い奏と清水伊織は、並ぶとなんだか似ていた。纏う雰囲気もそうだし、顔立ちがどこか似ていた。
でも、奏の方が明らかに格好いいし、人気者だし、性格も良いしな。
脳内で勝手に、清水伊織に勝った気持ちになる。
清水伊織の隣で朱音が、とろんとした目をしていた。
「大好きな幼馴染と先輩が一緒にいるなんて……」
朱音は、感慨深く声を上げる。
大好きな幼馴染。
大好きな幼馴染……。
大好き……。
俺の耳は、朱音の言葉を都合良く切り取っていく。
「私のことは?」
清水伊織は、犬を愛でるかのように朱音を見た。
俺は即座に二人の間に入った。
「大好きじゃないらしいっすよ。俺の方が好きみたいですね……。残念すね……フフッ」
「うるさい! 朱音に聞いてるんだよ!」
わざと挑発してやると、清水伊織は闘争心丸出しで声を荒げた。まるで駄々をこねる幼稚園児だ。
その様子を見て少し安心してしまった。
もっと澄ましている人かと思っていたがそうではないらしい。
朱音への愛情が漏れ出していて、朱音のことを大事にしていることが伝わりすぎて、俺の方が好きだなんて言おうなんて考えもしなかった。
うらやましい。
うらやましいけれども、俺たちには見せない顔で朱音が嬉しそうに笑っているものだから、もうそれで良いかもしれない。
不思議と、自分の心の中に嫌悪感などは無かった。
朱音の恋人という存在に会ってしまえば、悔しくて殴ってしまうんじゃないかと思っていた。俺の方が何年も隣で見てきたのになんでお前なんかに、と思っていたのも嘘ではない。男の俺は、女の子を好きになった朱音にとって圏外であることを理解したくなかった。
だから、朱音が女の子と付き合っていると知った瞬間ショックを受けた。
清水伊織の俺に敵意を向けてくる目をじっと見る。
食堂で見たときは、感情が無い展示品みたいに見えたのに、朱音と一緒だとなんだか、この人は生きているのだと実感させられる。朱音といると、感情の全てをさらけ出しているみたいに見える。
殴れるほどひどい奴じゃなかった。
俺の方が好きだって言えるほど、適当に付き合っている奴じゃなかった。
気持ち悪いと噂されていたのも嘘だった。
もしそれが本当だったら、俺は悪いやつから朱音を救うヒーローになれたけれど、悪いやつはどこにもいなかった。
清水伊織は、ただ朱音が好きすぎるやつだ。俺と同じぐらいには。
「雄大と先輩、似た者同士だね」
睨み合う俺たちを見て、朱音が嬉しそうに言う。
「『似てないよ!』『似てねぇよ!』」
清水伊織と声が被る。俺たちは再び、にらみ合った。
俺たちの様子を見て、朱音がまた、きゃきゃきゃと小さい子供のように笑った。
あぁ、可愛い。
朱音の笑顔によって、俺の心にある綺麗なものも汚いものも、トイレの水が流れるように一気に消え去っていく。
本当ずるい。朱音は本当にずるい。
似ているだけで、俺じゃだめなんだから。
朱音が笑っているのを見ながら、心の中で安堵した。その安堵は多分、朱音を笑わせたのが自分じゃなくても、朱音の可愛い笑顔が見られる存在でいられたことから出たものだと思う。
この感情の名前はわからない。
朱音のことは好きだ。出来ることなら、手を繋ぎたいし、抱きしめたいし、口づけだってしたい。
でも、それよりももっと大事なことがある。
朱音が幸せに笑ってくれることだ。心から幸せに、誰のためでも無い自分のために笑ってくれることだ。
朱音をそうやって笑わせられるのが、俺ではないことは悔しいけれど、それだけのことで決して朱音を嫌いになるわけではない。
俺は、これからもずっと、朱音が好きだと思う。これから新しい恋愛対象に出会ったとしても、変わらず好きでいられる自信がある。
これを伝える術はきっと無い。
「好きだ」なんて言葉じゃ伝わりきらないくらい、当たり前に好きだ。
幸せか、はたまた不幸なのか、考えると俺はこれまでずっと幸せだったのだと思う。ずっと長い間、朱音が隣にいて、奏が隣にいることが幸せか考える以前に、当たり前となっていた。
二人が幸せに今を過ごせていることが、俺にとっての幸せだ。
どうも嘘くさく聞えてしまうかもしれないが、本心だ。
子供のように笑う朱音と、綺麗に静かに笑う奏を見ながら、俺も思わず笑顔になった。




