【谷山雄大】自主練中
落ち着いてから、母さんと一緒に談話室を出て、病室へ戻った。
俺が入院していた病室より、少し狭くてこぢんまりとした部屋だった。
俺はそこで、奏の家でお世話になっていることや、奏がバスケ部のエースになったこと、朱音と帰り道で毎日同じ猫を撫でていることを話した。
母さんは、俺が二人の話ばかりするので、「本当に二人が好きなのね」とぼやいていた。
「久しぶりに二人に会いたいわ」
「二人にも言っとく。多分喜んで来てくれるぜ」
「そうだといいんだけど」
そうこうしているうちに、母さんの夕食の時間を知らせに看護師が入ってきた。
母さんがお世話になっている看護師だそうだ。どうやら歳が近いとかで、仲良くなったらしい。息子です、と母さんに紹介され、俺は小さく会釈した。
「じゃあ俺、そろそろ帰るわ。また来る」
「うん。今日はありがとうね」
母さんは笑ってそう言ってから、俺が持ってきた荷物の中から財布を取り出して、小遣いをくれた。月にもらっていた額の三倍はあったけれど、ありがたくもらっておいた。
「ありがとう。じゃあ」
すっきりした気持ちで病院を出る。
少し涼しさを感じる季節になってきた。
上を見ると、空で色んな色が混じっていた。上の方は青紫色で、水平線に近づくにつれて、赤くなっていた。不思議な情景を思わず写真に撮った。
帰りは五キロほどの道を歩いて帰ることにした。海沿いを歩いていると、来たときよりも海の色を感じられた。目に見えるものが、そのままストンと心に響いている気がする。
もうすぐ夏が終わる。蝉がミンミンと鳴いている。思えば、少しこの蝉の声も小さくなっているような気がする。
少しずつ過ごしやすい気温へと変わっていっている。
そういえば、高二はもうすぐ修学旅行らしい。俺たちも、来年の今頃には修学旅行に行っていて、将来の進路のことなんかも考えているかもしれない。
この間入学したばかりに感じるのに、全てがあっという間だ。
今朝、母さんに会うのに緊張していたというのに、今はもう安心しかない。心の中が、満ちている。波の寄せる音が、俺の心に安堵を運んでいる。
ふと海を見ると、砂浜を走っている人が見えた。コンクリートではなく、砂浜を走っているというのに、その人は軽々と地面を駆けている。
走り方で、知り合いだとわかる。
あれは。奏だ。
「おーい! 奏―!」
道路の方から海に向かってそう呼びかける。
奏は走るのをピタリと止め、こちらを振り返った。ちょうど影になって、奏の表情は読み取れなかった。
俺も砂浜の方に入り、奏の方へ駆け寄った。もう、砂浜をぴょんぴょんと走るほどには、足は治っていた。
「お疲れ! 自主練とはさすがだな!」
奏に声をかける。奏は練習着を着て、結構な汗を流していた。自主練で走っていたのだろう。中学の時は、俺もよくこの砂浜で走らされたものだ。
「こんなところでどうしたの?」
「俺は母さんの病院の帰りだよ」
一瞬間が開く。俺と母さんとの間にあったことを知っている奏は、俺が詳しいことを言い出すのを待っていてくれているのだろう。
「母さんとすっげえ話し込んでてさ! そうだ! 母さんが今度奏と朱音に会いたいって言っててさ。時間あったりする?」
「そっか。よかったね。もちろん、行くよ。確かもうすぐ午前練の日があったはず」
「そっか! サンキュー! 朱音にも今度聞いてみるわ! で、奏はいつまで浜ランすんの? 一緒に帰ろうぜ!」
「もう帰るよ」
「おお! ちょうどよかった!」
俺と奏は、砂浜からアスファルトへ出て、コンクリートを歩き始めた。
辺りはもう、暗くなり始めていた。なんとなく、聞いてみたかったことを聞いてみた。
「奏はさ、男でも好きになることある?」
俺の質問に奏は驚いたような顔をした。
奏の口からこんな人がタイプだとか聞いたことがなかったし、もしかしたらありえるのかもしれないと思ったが、違ったみたいだ。
やれやれ、とでも言いたげな顔で、奏は俺を見た。
「え、何急に。僕のこと好きなの?」
「ちげえよ! 聞いてみただけ!」
「うーん。雄大のことは好きだよ」
「え、ごめん」
「何。僕が振られたみたいにするのやめてくれる?」
奏が俺の頬をつねる。
「ひゃひゃひゃ。痛い痛い!」
紫の空の時間は一瞬で終わり、辺りは黒い空となった。
痛がる素振りを見せる俺に対し、奏が渇いた笑い声を上げる。
「あはは。……でも、まあ、僕は無いかな」
奏が俺の頬をつまむ手を緩めて、どこか遠くを見た。ぬるい風が吹いて、奏の髪がさらりとなびく。
意外だな、と思った。
奏は何事も否定しない。いつも何でも肯定してくれる。どんな意見でもとりあえず、受け入れる。自分がどうかとかは置いておいて、必ず、『ありえない』とか『それは違う』と決めつけたりすることは無い。
でも、今の少し否定的な言い方が、どこか引っ掛かった。
もし、仮に俺が同性愛者だったら奏の発言に少しは傷ついていたはずだ。そんな発言を、あえてしてきたことが意外だと思った。
「ふーん。そっかー! まあ、奏は女優並みの美女と結婚して幸せな家庭を気付くんだろなー」
「そう?」
「おう。奏の家見てたらそんな感じする。なんか奏の家って、理想の家って感じだろ」
奏は自分の家のことを、理想だなんて思わないかもしれない。でも、自分の家が良い家庭だとは思っているはずだ。
「奏のお父さんマジ優しいしよー。湊くんも奏のお母さんもみんな奏大好きって感じが、すげー伝わってくる」
俺がそう言うと、奏は嬉しそうにいつもの笑顔で笑った。
「まあ、雄大がそう言うならそうかもね。ほら、雄大の家ついたよ」
もう俺の住む団地の前だった。
奏と話しているとあっという間に時間が過ぎた。
明日は日曜日。また、奏の家でごちそうしてもらう日だ。
右手を挙げ、奏に手を降る。
「じゃあ。明日。夜また家行かせてもらうわ」
「うん。待ってる。じゃあね」
そう言った奏は、家に向かってランニングで帰って行った。
遠くなる奏の背中を見てから、エレベーターに乗った。
今日は色んなことがあった。母さんが回復に向かっていてよかった。俺も言いたいことが言えて良かった。
上昇したエレベーターが止まり、チーンという音とともに扉が開く。ぱっと目につく街灯が、俺の心を表しているかのように眩しく光っていた。




