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【波北朱音】新しい出会い 

 すぐに授業が始まり、新入生という肩書きはすぐに取れた。授業に対する新鮮さも抜け、疲れが出始めた四月末の月曜日。放課後、私は図書室のカウンターに座っていた。

 

 図書委員が嫌がられている理由は、唯一委員会の中で放課後に仕事があるからだった。終礼が終わる十六時から十七時までの一時間、私の担当は毎週月曜日。週の初めと言うだけでしんどいのに、どうしてこんなことまでしなくてはいけないのだろう。


 借りに来た人の名前と本のタイトルをノートに書き、返しに来た人の名前を確認してはんこを押していく。私の作業はそれだけだ。私と同じ月曜日の担当の二年生の先輩は、返却された本を本棚に並べ直す作業担当だ。

 決して協力するでもなく、名前も知らない先輩とただ同じ空間にいて別の仕事をしているだけ。本を返しに来る人は三人ほどで、すぐにやることが無くなった。

 私たちは、静かすぎる空間で窓から聞こえる野球部が鳴らす音を聞いているだけになった。

 暇で仕方がない。

 頬杖をついて目を閉じる。

 忙しくて疲れるしんどさよりも、やることがなくて時間を持て余す方が苦手だ。

 目を閉じていると、聴覚が敏感になる。時計の針の音が一秒おきになっているはずなのに、とてもゆっくりに感じた。そのまましばらく時計の針の音を聞いていた。

 

 やることがなさ過ぎる。

 助けを求めるように先輩の方を見ると、私が入ってきた時と同じように本棚にもたれ、本を読んでいた。脳内でどこかに行っているのではないかと思うくらい、本を持つ腕には力が入っていなくて、目に生気がなかった。放心状態なのに、集中している。そこに先輩はいるのに、魂だけがどこかに行っているような、奇妙な状態だ。背丈は高く、顔は小さい、白くて綺麗な肌、高い鼻、二重のぱっちりとした目、長いまつげ。女の子の欲しいものを全部集めたような先輩はどこか雰囲気が奏に似ている。

 

 私がどれだけまじまじ見ようとも先輩がこちらには気付く様子はない。

 先輩からは助けが得られなかったので、私は現代文の宿題を始めることにした。本当は宿題をするのは、委員会のルール違反だけれど、誰にも見つからなければいいだろう。

 カバンから漢字ノートを取り出す。そして、授業で新しく習った漢字を、ひたすら二百字帳に書いていく。

 授業でも黒板に文字を書かずに、パワーポイントで済ませる先生もいるというのに、私たち生徒は小学生の頃から変わらない作業を、今でも繰り返している。頭を使わず同じ文字を書くという単純作業は、もはや勉強ではなく我慢比べだ。手が真っ黒になって、中指の付け根が凹んでいく。この時間だけは本当の意味で頭が空っぽになる。


 静かな空間に本のページのめくる音と、シャーペンで文字を書く音がひたすらに流れた。

 知らない人と二人きりになったり、顔見知りと無言になったりするのはあまり好きではなかったけれど、この空間は不思議と心地良いと感じる。ちゃんと集中して文字を書いているのに、なんだか眠っているような、海の上をプカプカと浮き輪で浮いているようなそんな浮遊感がした。

 どんどんと手が進む。

 私は書いてはシャーペンの芯を出し、書いてはまた芯を出しての繰り返しで、どんどんと作業を進めた。

 先輩のように抜け殻になってペンが進む。頭には何もない、あるのは今から書く漢字だけ。雑念はすべて消える。

「先生に言っちゃお」

 

 !?


 いきなりのことに心臓が跳ねる。今もし立っていたら私は間違いなく腰を抜かしていただろう。脳内をなめまわすような声に耳の奥がそわそわした。頭の中を空っぽにして文字を書いていたから、周りのことを気にしていなかった。

 さっきまで魂が抜けていた先輩が、身を乗り出すようにカウンターに手をついて、私が広げている宿題をじっと見ている。

「あ、いや……」

 言葉に詰まり、私はうつむいた。怒られるかもしれない。宿題はやるな、と委員会の説明で強く言われていたのに。

 視線を下げ、立っている先輩の名札を見て、頭の中で反芻する。清水しみず清水しみず清水しみず


「意外。そういうとこあるんだ」

 笑いの含まれた声に安堵し、座ったまま顔を上げる。にっこりと微笑む先輩が佇んでいた。

 よかった。先生に言いつけられたりはしなさそうだ。

 

 身長の高い先輩の顔を真下からまじまじと見る。さっきまでどこかに行っていた魂が、体に帰ってきた先輩は先ほどとは別人だった。立っているだけなのに、妙に雰囲気がある。

 穴のようだと思っていた目は、近くで見ると薄茶色のビー玉のようにキラキラしていて、口角が上がって嬉しそうだった。

「そろそろ終わりだし早めに帰っちゃおうよ」

 先輩はカウンターから、身を乗り出す。

 先輩の鼻先が私の鼻に当たりそうになる。柔軟剤の匂いがふわりと漂ってきた。

 少し動揺したがそれを隠すように、私は余裕ぶって髪を耳にかけた。この人の距離間がおかしいのか、私の感覚が臆病なのかわからなかった。

 時計の針は十六時五十分で、図書室を閉める十分前だったが、さすがに今更人は来ないだろう。先輩がガチャリと鍵を閉める。そして、人差し指でくるくると鍵を回し始める。いかにもこの人がやりそうなことだ。

 鍵を返しに行くだけのことで二人もいるか、と思ったがとりあえず先輩の後ろを歩いていく。

 そしたら先輩は、いきなり職員室ではない教室へ当たり前のように入っていった。


「つばさー! よーっす! 今日はあれ弾いてよ、最近よく一緒に歌ってるやつ」

「お!おりか! びっくりさせんなよ」

 中にはクラリネットを持つ男の人が一人。

「ね、波北さんもこっちおいでよ」

 先輩は部活中であろう男の人の目の前に堂々と座り、教室の外で狼狽える私に向かってとペットに呼びかけるような手招きをしている。疑問だらけだが、導かれるように教室へ入り、先輩の隣にある椅子に座る。椅子に座って我に返る。

 

 私は、どうしてこんなところで知らない人の演奏を聴こうとしているのだろう。


「いくぜ」

 私を置いてけぼりに、『つばさ』と呼ばれる男の人は嬉しそうにクラリネットを弾き出した。まるで風船を膨らますかのように、クラリネットに息を入れていく。必死にクラリネットを弾くつばさには見向きもせず、目をつむってフンフンと首を揺らしながら鼻歌を漏らす清水先輩。

 私もつばさには見向きもせず、自由の象徴のような先輩の横顔を、前髪の隙間からこっそり見ていた。また、本を読んでいた時みたいな、魂がここにないみたいな様子だ。

 流れていく光景をただ見ていることしかできない。テレビの中に間違えて入ってしまったかのように、目の前の光景には現実味がない。

 全く知らない曲がピタリと止まると同時に、先輩が拍手を始める。私も形だけの拍手をした。

 先輩はガッと立ち上がり、勢いよく外に向かって歩いて行った。私も必死に後を追う。

「つばさありがとうー!」

「おう! じゃあなー、伊織」

 手を振り合う二人。先輩の後ろを早足で付いていきながらつばさに会釈をした。

 そして、意気揚々と進んでいく清水先輩を小走りで追いかける。

 なんだ、このマイペースすぎる人は。

 初対面なのにすごく距離感が近いし、部活中の友達(?)であろう人の邪魔をしに行くし、その割には全然演奏聴いてないし。

 私はもしかしたら、面倒な人と、同じ委員会の日になってしまったのかもしれない。放課後に仕事があるだけでも面倒なのに、私の高校生活、どうなってしまうのだろう。

 まるで幼児に振り回されている時みたいに、心が疲弊していた。 

 大股でズカズカ歩く清水先輩は、職員室へ入っていく。続いて私も一緒に入った。私はもう、色々疲れて息切れしていた。

 職員室にある時計の針は十七時ちょうどを指している。

 あぁ、つばさの演奏は時間稼ぎだったみたいだ。すぐにそう思った。


 清水先輩が特別教室の鍵がたくさんあるキーフックに図書室の鍵をかけていると、図書委員の先生が私たちに気付いて近づいてきた。

「清水と波北、委員会お疲れ」

 図書委員の担当でもあり、私の現代文の担任もしている熊田先生だ。通称クマ、と呼ばれていて、起こるとすごい怖いらしい。噂だから知らないけれど。

「センセー! 清水頑張ってるから今度の現代文点数あげといて!」

 でも清水先輩は物怖じせず熊田先生に話しかけている。今度の中間テストのことだろうか。

 先輩馬鹿そうだな、なんて、思ってしまったけど、それは顔にも言葉にも出さない。

「お前はまたそんなことを言って……。波北を見習え! なんせ、新入生代表の挨拶をした学年トップだからな」

「えー。でもねセンセー、波北さんさっき、」

 先輩はぺらぺらと喋っている。


 この人は何を言おうとしているんだ。まさか。


「カウンターの上でしゅ――」

「ちょっと…! ストォップ!」

 大きな声を上げ、先輩の持っているカバンを思いっきり引っ張った。先輩はわっと驚いた声をあげてからすぐにケタケタと笑い出す。それを見ている熊田先生もガハハ、と笑った。

「仲良いなお前ら。気をつけて帰れよー」

 私の焦りなんて気にせずに、熊田先生はパソコンに向かって何か仕事を始める。

「帰りますよ」

 ケタケタと意地悪な笑いを浮かべる先輩を無理矢理引っ張って、職員室を後にした。

 入学してすぐに目をつけられるなんてあってはいけない。せっかく首席入学して、良い印象を与えられているのに、その信用を落とすことはしたくない。

「波北さん、怒ったときの声可愛いね」

 先輩は相変わらず意地悪な笑みを私を見てくる。


 先輩は、本を読んでいる時は真面目そうに見えたのに、中身は小学生男子のようだった。

 



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