【谷山雄大】空間
ひとしきり泣いた後、奏のお父さんが、好きなものを買っておいでと俺に千円をくれた。
それを握り絞め、購買へ行くため奏と一緒に病室を出た。
「ありがとうな」
のそのそと歩きながら、自分の足に包帯が巻かれていることに今更ながらに気付く。
そうだ。俺は足を怪我していたのだった。
俺の隣を歩く奏は、俺のゆっくり歩くペースに明らかに合わせてくれていた。
「いいや。僕は何もしてないよ」
「いいや、奏がいなかったら、俺も母さんも今頃どうなっていたか」
「それを言うなら僕の両親に感謝でしょ」
「それもあるけどさ」
二人でエレベーターを待つ。
確かに病院に俺と母さんが入院できたのは、明らかに奏のお父さんとお母さんのおかげだ。高校生一人で、なんとか出来ることではない。
でも、奏は「大丈夫」と俺に言ってくれた。
その奏の「大丈夫」がどれだけ心強かったか。どれだけ、俺の暗い心を晴らしてくれたか。
チーンと音が鳴り、エレベーターが開く。出てきた看護師に会釈してからエレベーターに乗り込む。
奏が一階のボタンを押してから、『閉』のボタンを押す。その指にはテーピングが巻かれていた。その努力の証を見て、俺は奏に尋ねた。
「部活楽しい?」
「うーん。入学してからずっと試合には出させてもらってるよ。練習しんどいけど」
「まじか! やっぱすげえな奏は!」
エレベーターは下へぐんぐん降りていく。
「雄大はバイト? ラーメン屋だっけ?」
「そうなんだよ! ラーメンうめえし、店長優しいし、お金もらえるしいいことしかねえよ!」
「へえ、そうなんだ。雄大ラーメン屋似合いそうだね」
チーンとエレベーターのドアが開く。奏は馬鹿にするように、にやつきながら俺を見ていた。
くっそ。奏はおしゃれなイタリアンレストランとか人の少ないカフェが似合いそうだ。そしてお客さんにモテてそうだ。
俺が完全にエレベーターから出たのを確認してから、奏がエレベーターから出てくる。やはり、こういう気遣いが出来るところが紳士でモテるポイントなのだろう。見習わなくては。
二人で購買に入る。そして冷蔵庫に並ぶデザートや、種類豊富なアイスクリームを見ていた。
俺たち二人は、自分の小遣いじゃなかなか買わない、高いのに小さなアイスクリームを選んだ。
レジには数人の人が並んでいた。
「雄大。僕、買ってくるから座って待ってて」
「おう、ありがとう」
俺は、奏にアイスを渡し、一人でエレベーター椅子に座りに行った。
やけに視線を感じるな、と思った。なんだか懐かしい気持ちになった。
そして気付く。
俺が目立っている訳では無い。奏が目立っているのだ。
俺たちと同じくらいの歳の人たちが、レジに並んでいる練習着姿の奏を見ている。
「かっこいい」
「バスケの人だ」
「生の月岡奏、めっちゃイケメンだ」
色々な声が聞こえてくる。
顔が格好いいのに加えて、中学の時、バスケで県選抜に選ばれて、学校の横断幕に大きく名前が載ったから、奏はここら辺じゃ、有名人だ。
中学生の時に感じていた、優越感と羨ましさが混じる名前のない感情が生まれる。
俺は勝手に鼻を高くしながら奏を待っていた。実際俺は金魚の糞なのだけれど。
そこへ、会計を済ませた奏が帰ってくる。俺の背後から、黄色い歓声が沸いていた。
「走り方すらイケメンすぎる」
走るだけで、そんな歓声を浴びるなんて、人生で一回くらい奏になってみたいものだ。多分俺は、人生で一回も奏よりモテることはないと思う。いや、確実にないな。
「おまたせ」
「おう」
俺は立ち上がって、奏の方へ行く。そして、二人でエレベーターの方へ並んで歩いた。もちろん俺は、金魚の糞だけれど鼻高々にして、ランウェイを歩くモデルみたいにな気分で歩いた。一方の奏は、多くの視線に気付いていない様子で、いつもと変わらなかった。
エレベーターを待っていると、奏が思い出したように声を上げた。
「そういや朱音ちゃん、相当心配してたから、後で連絡してあげてね」
「ああ。そうだよな。わかった。ありがとう」
「うん」
「奏もありがとうな。奏のおかげでちょーっとへこんでたの元気出たわ」
「それはよかった。何にもしてないけどね」
エレベーターがチーンと開く。誰もいないエレベーターに乗ると、がくんと一瞬下に沈んだ。そして、ドアが閉まっていく。
「雄大さ……」
「ん?」
奏が何かを言いかけて止める。二人とも階のボタンを押していないので、エレベーターは一階で止まったままだ。
俺は手を伸ばして、自分の病室のある四階のボタンを押した。ゆっくりとエレベーターが上昇していく。
「お母さんに対してむかつくとか、うざいと思わなかったの?」
エレベーターが動くと同時に、奏がやっとしゃべり出した。
「うーん……。むかつくって思う前に助けてもらったからなー。『死ねっていうお前が死ねよ!』とか思いたくなくて……。でもどうすれば解決するのかもわかんねえじゃん? 俺、奏とか朱音みたいに優秀なわけじゃないし」
奏は俺の言葉に何の反応も返さなかった。うつむき気味で、俺の話を聞いているのかわからなかったけれど、俺は自分の思うままに口を動かした。
「しんどいなっていうのはあったけど、とにかく母さんには汚い感情はぶつけたくなかったから逃げたかったな。悲しい、しんどい、辛い、て思うことから逃げたかった。そん時に助けてもらったって感じ。だから誰も悪くない」
すらすらと言葉が出てくる。実際は、こんなに綺麗な感情じゃない。悲しかったし、しんどかったし、辛かった。死にたいすら思った。けれど、今そこまで裏腹に話す必要はないだろう。
出来るだけ、自分をよく見せたくて、俺は自分の良いところだけを切り抜いて喋った。
「すごいね雄大は」
「本当奏と朱音が幼馴染でよかったよ。奏もなんかあればいつでも助けるからな。言ってこいよ」
上昇していたエレベーターが止まり、ドアが開く。
いつも助けてもらう側の俺も、奏を助けたい。奏に何かあれば、俺が一番の味方になってやりたい。奏が辛いときは、俺が手を取ってやりたい。
「まぁ俺なんかに言うことなんかねえか」
ため息交じりにそう言うと、奏はにっこり笑った。
「そんなことないよ。ありがとう」
相変わらず、お世辞がうまいなと思った。
奏の一言で、すぐにいい気になってしまう。俺だって、何でも出来る優秀な奏を助けられるんだ、ってつけあがってしまう。それが、奏の気遣いとわかっていても、気持ちが昂ぶるのを抑えられない。
きっと俺だけじゃないだろう。奏は人を持ち上げるのがうまい。そして、俺はいつも、まんまと持ち上げられている。
二人で食べたアイスは、甘くて、汚かった俺の心を漂白していくかのように、俺の心をじんわりと白くしていった。




