【谷山雄大】親
目覚めると、知らない場所にいた。一瞬夢かと思った。
「あら、起きた?」
目の前には奏のお母さんがいる。
状況が飲み込めない。俺の腕には点滴が刺さっている。
あの夜、俺はどうなったのだろう。
あたふたしていると、奏のお母さんが状況を察したのか丁寧に説明してくれた。
祭りの夜、救急車で運ばれたこと。意識を飛ばして、丸一日眠っていたこと。頭を打ったから数日検査入院すること。点滴は栄養失調が原因であること。看る人がいなかったからと、時間に余裕のある奏のお母さんが来てくれたこと。
「ありがとうございます。迷惑かけてすみません」
そう言いながら、頭に母さんのことがよぎった。でも、それもすぐに説明してくれた。
あの夜、母さんは電車に飛び込もうとしていた。しかし、駅員に止められ母さんはひどく暴れたらしい。そして騒ぎになっていたところを、仕事帰りである奏のお父さんが偶然通りかかって、母さんのことを引き取ってくれたらしい。
「あの人が休日出勤で本当によかったわ」
奏のお母さんは、ほっと声が聞こえそうなほどに、安堵している様子だった。
「じゃあ、母さんは今、奏の家にいるんですか?」
「いや……」
奏のお母さんは言葉を詰まらせた。
「精神の状態が良くないだろうって、夫が今日精神病院に連れて行っていってきたわ」
「そうなんですか……」
「さっき連絡が来てね。奏の部活が終わったから、これから一緒にここへ来るって」
状況が良い方向に進んでいる、ということはわかった。ありがとうございますと頭を下げる。そんな俺を、奏のお母さんが制する。それでも俺は、深く頭を下げた。
目を覚ましたことを看護師に伝えると、医者がやってきた。自律神経が何やら関係しているかとか、食事は好きなモノで良いから気持ち悪くならないものを食べなさいとか色々言われた。質問を色々された後、そこまで大きな外傷はないから、多分来週には退院できるだろう、と言われた。
外がまだ明るい中、出された早めの夕食を食べていると、練習着を着た奏とスーツを着た奏のお父さんが病室に入ってきた。
「こんにちは。雄大くん。調子はどうかな」
「こんにちは。まぁ、それなりに、元気です」
俺は食事の手を止めて、奏のお父さんに会釈をし、奏には「よ」と声をかけた。
二人は俺のいるベッドの隣に並んだ。背丈の大きい二人に囲まれ、なんだかこびとになったような気分になる。
「良かったよ、それでね、いきなり本題に入るんだけど、今日、雄大くんのお母さんを病院に入院させることに決まったよ」
「え、あ、ありがとうございます」
俺は気の抜けた返事をした。
あ、そうか。そうだよな。
なんだか腰の抜けてしまった気分になる。
そうだよな。いきなり母さんが元気になって、楽しく暮らせるなんて、ムシの良い話だよな。
さっき一瞬頭に浮かんだ妄想が、塵に成って消えてゆく。
奏のお父さんは、ハンカチで汗を拭いながら話し続けた。
「それでね、雄大くんにはお母さんの入院期間中、僕らの家に食事に来て欲しいんだ。毎日じゃなくて良い。土日だけでもいい。とにかく僕たちは、君が心配なんだ」
奏のお父さん、お母さんから優しい空気を感じる。
俺は思わず泣きそうになった。母さんに対して、申し訳ない気持ちになる。
久しぶりに感じる、『親』いう存在が奏の両親だなんて。
母さんに、顔向けできない。
「何が辛いことがあったんだよね。僕たちに話してくれないかな」
奏のお父さんにじっと見られる。
これまであった出来事を、どう言葉にすればいいのだろうか。
布団の上で、拳を握りしめる。じんわりと拳の中で手汗が滲む。
自分の身に合ったことを振り返ると同時に、自分自身のプライドを捨ててみじめな話を始めた。
「父さんが死んでからすぐは、母さんは気持ち悪いぐらい元気だったんです。でもその反動で、月に一回ぐらいは精神を壊して。それが、俺が高校生になってからは、週に一回母さんが暴れ出すようになっちゃって。『お前が死ねばよかった』って暴れ出しちゃうときもあれば、『もうあたしが死ぬ』って家から出てったりすることもあって。姉ちゃんも家から出て行っちゃうし、」
ひどく顔の右側が痛む。
脳裏に幽霊のような母さんの姿、俺を殴りつける母さんの姿、もういない父さんを探す母さんの姿が浮かぶ。
閉じ込めた嫌な記憶を、無理やりほじくり返す。自分の言葉がめちゃくちゃになっていることがわかる。
脳裏に母さんの姿が浮かぶと同時に、どうしようもない自分の姿も浮かんでいった。
何も出来ない馬鹿な俺、姉ちゃんと母さんの喧嘩を見て見ぬふりした俺。
俺は、次々と頭の中に浮かんだ言葉を、取捨選択せずすべて出していった。
「俺……。奏とか朱音みたいに才能もないし何も出来なくて母さんを惨めにさせちゃって。自分で買ったご飯も吐き出しちゃうようになっちゃって。夜も寝られなくなっちゃって。しんどかったんです。俺が悪いんですけど、俺一人で母さんのこと支えられなくなっちゃって……。死にたいなぁとか……」
言葉を紡いでいった。
死にたい。本当はそんなことは思っていない。
助けてほしい。それが自分で口にできなくて死にたいという言葉に逃げていただけだ。
「かわいそうに……。そんな冷たいこと言う親はいないよ。きっとお母さんはそのとき頭がいっぱいいっぱいになっていたんだ。そんな言葉信じなくて良いからね」
奏のお父さんの低く優しく声が、俺の固まった心を溶かす。
「そうよ。雄大君は何も悪くないわ」
奏のお母さんが俺の手をぎゅっと握ってくれた。温かい。
「大丈夫だよ」
俺の隣に立つ奏と目が合った。その一言が俺の中で花火のように打ちあがる。
お祭りの日の夜も、奏の一言が、ひどく嬉しかったんだ。大丈夫だ。奏の一言が、俺を認めてくれているような気がして、俺はとても安心したんだ。
俺は悪くない。母さんも悪くない。歯車が少しずれてしまって不具合を起こしてしまっただけだ。
「ありがとう」
ヒクヒクとしゃくりあげながら、泣いた。
誰かに聞いてほしかった。誰にも悪いなんて言われていないのに、俺はずっと俺が生きていることが悪いかのように思い込んでいた。そうしないと何もうまく理解できなかった。
俺はずっと、悲しみたかった。誰かの前で強がること無く、泣きたかった。
夜中枕に顔を押し当てるんじゃ無くて、誰かに顔を見せながら泣きたかった。
三人の温かみを感じながら、枯れるほど涙を流した。ひどい顔をしていたと思う。出てくる鼻水を啜ること無く、ひとすらに泣いた。
わんわんと子供のように泣きじゃくる俺を、三人は温かく見守ってくれた。




