【谷山雄大】着信
朱音に頼まれたかき氷を買いに行くため、人混みを抜けていく。
朱音からのお願いなんか断るわけがない。
朱音に吐くなよ、と笑われたが笑い話で済むかどうか怪しい。俺は最近あまり何も食べられなくなっている。濃い食べ物の匂いを嗅ぐだけで嗚咽がする毎日だ。
二人に絶対見つからないことを確認してから右足を引きづって、歩いた。それだけで、足の痛みがだいぶましになる。
二人には心配をかけるわけにいかない。それに、俺には体調が悪くなる理由がない。毎日バイトしかしていない俺に、しんどいなんて通用しない。
やっとの思い出かき氷屋に着く。メニューを見ながら、何の味にするか考える。
俺はブルーハワイが好きな訳ではないが、さっき朱音の爪を見て意味のわからない発言をしてしまったから、俺の味はすでに決まっている。
二人の味は何にしよう。せっかくなら、三人別々の味にしようかな。
メロン、いちご、レモン、ぶどう……。
ぱっと朱音に思いついたのが、ぶどうだった。
昔、朱音の家で、よくりんご、みかん、ぶどうのパックジュースを出してもらっていた。そのとき朱音はいつもぶどうを選んでいた。自分からぶどうが好きだとは一度も言ったことがなかったが、いつもそうだった。
俺はそれを知っていたから、いつもみかんを選ぶようにしていた。そして奏はりんごだと俺の中で勝手に決めている。
赤は主人公の色だからだ。赤は奏に似合う。
俺は朱音がぶどう、主人公の奏がいちごというつもりで買った。実際は二人がどっちを選ぼうがどっちでも良かったのだけれど。
歩いて二人の元に戻る。もうすぐ花火が始まるから、もうすでに場所取りをしている人が多くいた。
そんな人の多いところで見なくても、俺たちには俺たちだけの穴場スポットがある。
心の中でどや顔しながら、人混みをかき分けていく。
バイトで培った技術なのか、二つの手で三つのかき氷を持っていても、もう一つ何か食べ物がもげそうなくらいには余力があった。
スキップ出来そうな気持ちで、駆けていく。
人が減ってきたところで、俺の心に邪念が湧く。そして俺は、それを実行した。
当たればラッキーという気持ちで、ブドウ味の方を一口食べる。そして、そのままプラスチックのスプーンをぶどう味のかき氷に戻した。
これが当たれば、俺は朱音と間接キスが出来る。
背徳感で気持ちよくなる。まるで、インフルエンザにかかった四日目、学校を休んで家で漫画を読んでいる時のような気持ちだ。
いちご味にも口をつけるのは、神様からバチが当たりそうだったからやめておこう。
その代わりに、自分のブルーハワイを一口食べた。
若干雑味を感じる大人の味だ。無意識に避けていたけど、意外にも好きな味かもしれない。吐き気なんてものは、遙か彼方に遠ざかっていた。
青いかき氷を見ながら、ふいに朱音の白い足先を思い出した。真っ白で透明感のある足に綺麗な色の爪。
ふいに変な気持ちになってしまって、必死に朱音の綺麗な足を頭からかき消す。
違うだろ。俺。何変なこと考えてるんだよ。
頭の中で必死に自分を制する。
忙しかった毎日だったけれど、久しぶりに朱音と奏に会えて、俺は脳内がどこかへふわふわと飛んで行っているように浮かれていた。
「買ってきたぞー!」
「遅かったね」
戻るまでに十五分ほどかかってしまったせいで、二人の元に戻った頃にはかき氷が少し溶けかけてしまった。
「ワリイワリイ! ちょっと混んでてよ! これは俺のおごりってことで!」
「わーい!」
端から財布を出す気のない朱音がわざとらしく手を上げて喜ぶ。
可愛いな。本当に。
「しょうがねぇなー。ほらよ!」
俺は二人に向かって、呆れたふりをしながらかき氷を渡す。
当たるだろうか。まぁ、当たるだろうな。
朱音は多分、ぶどう味を選ぶ。
そんな確信を持ちながら、二人を見る。
すると、二人は決まったように、俺が思っているのとは真逆の色を選んだ。何も言わず決まったように、二人はそれぞれ俺が思い描く色とは違う色を選んだのだ。
朱音が主人公カラーを持っている珍しさと、奏が赤以外の色を選んでいることが違和感でしかなかった。
「まじか」と言おうとしたが、すぐにやめた。
二人がそれぞれ選んだものをとやかく言うのはよくない。
俺が口にしたスプーンが、奏の口へと進んでいく。まるでスローモーションでことがスプーンが移動しているような気がした。
俺は心の中で盛大なため息をついた。
奏と間接キス……。
ダメだ。ダメだ。せっかく楽しい祭りなのに、切り替えなくちゃ。
俺は勢いよく、二人の前に自分のかき氷を突きつけた。
「なあ! これな! それぞれの色見れば色んな味を楽しめるんだぜ!」
「何それ」
俺の馬鹿げた提案に、朱音は苦笑いしながら、冷たく流す。
「いいじゃん。雄大やろうよ。まずは目をつむってやってみよう」
いつもは乗ってこず、傍観している奏が、意外にも俺の提案に乗り気だった。
全部同じ味だという説のあるシロップの味を、俺たちは目をつむって確かめることにした。
そっと目をつむる。
さっき考えた朱音の白い足が、頭に浮かぶ。
やめろ、俺。
必死に脳内で自らのみだらな妄想をかき消す。それから自分のかき氷をすくって口へ運んだ。
「ブルーハワイだ」
ぶどう味を食べたはずの奏の小さな子供ような声が、前から聞こえてくる。
あぁ、俺は奏と間接キスをしているのだ。男と間接キス……。
そう思うと、一気に味覚がなくなった。
目を開けると、朱音も奏もニマニマと嬉しそうに笑いながら、かき氷を小さな口に運んでいた。
たった二百円、二人分で四百円。それでこんなにも喜んでもらえるなんてお得だ。
三人で騒いでいたら、すぐに花火の時間になった。
バァン……! バァン!
空で花火が打ち上がる。
きっ今日した会話の内容も、明日には覚えてないんだろう。でも、そのどうでもいい会話をしたと言う思い出が出来るだけで十分だ。
――来年も楽しみだなあ。
朝食を食べているのに昼食のメニューを考えるように、来年のことを待ちわびていた。
花火が弾ける綺麗な空になり、そして何も無い空になり、また花火が咲く。
それを十分間繰り返す。空で花火が、何もかも奪い去るみたいに弾けている。
「綺麗だね」
奏が小さく呟く。
俺は、うん、と声にならない頷きを返した。無言の肯定、というやつだ。
母さんとの無言の時間、姉ちゃんとの無言の時間。それは耐えられなかったけれど、この二人との無言の時間は好きだ。
朱音の後ろ姿をぼんやりと見る。学校では真面目で静かなのに、俺たちの前だけではキャッキャと子供のようにはしゃぐ姿が可愛らしい。
抱きしめたい。
そんな衝動を必死に抑える。俺の代わりに、花火が騒いでくれている。
言葉にしなくても、全部伝われば良いのに。抱きしめたいくらい朱音が好きで、それに劣らないくらいに奏も好きだって、言わなくても、二人に伝われば良いのに。
バァン、と花火が上がる。
将来三人別々の大事な人とこうして花火を見たりするのだろうか。来年はもう、三人バラバラでこの花火を見ているかもしれない。
夢のような世界から、いきなり現実に引っ張られるような感覚がした。急にだ。急に何かに襲われるみたいに、不安な気持ちがやってきた。
途中から、花火の音がどんどん小さくなっているような気がした。
また、あくびをしているような、自分の吸う息が耳に詰まっている感覚になる。空気が薄くなっているような気がした。目の前の二人が離れて行っているような侘しさを感じる。
花火の音のはずなのに、空で鳴っている音が、姉ちゃんがドアを閉めたときの音と重なって聞こえた。
その瞬間、耳元でシャボン玉が弾けたような、そんな身の毛がよだつ感覚がした。
久しぶりに会った二人に、俺は随分と置いて行かれているのではないだろうか。二人が早くに行っているのではなく、俺だけが去年の冬に取り残されているのか。
――父さん早く帰ってきて。
だんだん気持ち悪くなってきて、さっき食べたものを、一瞬戻しそうになったがすぐ飲み込んだ。
ぶるぶると俺の足が振動している。そして、朱音が俺に何かを訴えかけてくる。
「で、ん、わ!」
本当は聞こえているけど、ずるい俺は聞こえていないふりをしてさらに顔を近づけた。
今日の俺は調子に乗っている。
互いの鼻がかすめるほどに近い距離に、動揺もない朱音は、耳元で電話のジェスチャーを作り、必死になって俺に訴えかけてきた。
可愛い。
耳元から朱音の声が入って全身を震わせる。不安になる気持ちも、朱音の声ですべてどうでもよくなる。
俺は振動している携帯をポケットから取り出して、相手を確認した。
胃酸が上ってくる。
多分無意識に、全身に力を入れた。足首がひどく痛んだことで、そのことに気付く。
携帯には画面には、『母さん』の文字。
俺は息を呑んだ。花火の光は確かに感じるのに音は聞こえない。
これはなんともない親からの連絡だ。
そう思いたいのに、全然そうは思えなかった。この間の夜みたいな、不吉な予感がする。
どうしよう。母さんがまた、父さんに会いに行こうとしていたらどうしよう。
俺は肩で呼吸を整えてから、電話に出た。




