【谷山雄大】本命の女の子と大好きな友達
日に日に悪化する足は、夏祭りの当日には大きく腫れ、青ざめていた。でも足とは裏腹に、俺はあまり暗い気持ちではなかった。
あれから母さんが夜、失踪することはなかった。母さんは、暴れる時間も減り、寝ている時間が多くなり、俺は少し安心していた。
母さんがまたどこかへ行ってしまうのではないか、という不安はあまりない。むしろ、順調にことが進んでいっているように思えた。
このまま、順調に元の母さんに戻ってくれれば。
ベッドの上で眠っている母さんを一目見ながら、祈るように考えた。
そして、部屋に戻り自分の荷物を持つ。
今日は毎年楽しみにしている夏祭りだ。
携帯を開き、朱音と奏にメッセージを送る。
そして、寝ている母さんを起こさないようにそっと家を出た。
場所的に、俺が奏の家に寄り、朱音を一緒に迎えに行く。
コンクリートを歩く度、ズキリズキリと足が痛むも、まあなんとか耐えられそうだ。歩けないことはないし、気合いでなんとかなる。
まずは奏の家だ。大きく息を吸い込んで気合いを入れ、歩き出す。
奏は練習後らしいけど、相変わらず涼しい顔をしているんだろうな。
俺たちの高校のバスケ部は、公立ながらもそこそこに強くて練習量もかなり多いらしい。休みはお盆の中の四日間だけ。それ以外は基本毎日練習。上下関係も厳しいと聞くが、奏はその中でも先輩にも先生にも気に入られているみたいだ。
中学の頃から、奏はみんなの憧れで、他校のバスケ部員からも人気者だった。当たり前に女子からもモテた。他校の女子から告白されたのを目撃したこともある。連絡先を教えてほしいと、俺伝い頼まれることは何度もあった。
そんなに人気者なら疎ましく思うものかもしれないが、本人がモテることをひけらかしたりしないので嫌に思わない。多分奏は、自分が人気者であることを自覚していない。
それが見てて、可愛いななんて思う。どうしても憎めない。
そんな奏の家に着き、インターホンを押す。やっぱり朱音の家の方が大きいけれど、奏の家も他の家に比べてかなり大きい方だ。
まじまじと見ていると、奏の部屋がある二階の右端の部屋の電気が消え、すぐに、玄関から練習着姿の奏が出てきた。
「雄大、おまたせ」
「おう」
よ、と手を挙げる。
「行こうぜ」
小さく頷く奏を見ながら、歩き出す。
やっぱり、予想通り。
奏は疲れていなかった。というより、疲れが見えなかった。奏はいつもそうだ。
体力もあって、足も速い。どんなにしんどい練習でも周りが見えていて、集中すると頭がそのことで真っ白になる俺とは違った。
相変わらず澄ましてるな、と思いながら並んで歩く。数週間合わないうちに少し大きくなったような奏は、部活終わりのはずなのに良い匂いがした。柔軟剤のふんわりとした匂いと、爽やかなせっけんのような制汗剤の匂いが入り交じっている。
「奏、風呂入ってきた?」
「いや、さっき帰ってきたところだから時間なかった。臭い?」
奏は襟元から自分の匂いを嗅ぎながら、不安な犬みたいな顔を俺に向けてきた。
異常に顔が整っているのが、見ていて無性に腹が立つ。男の俺が見ても、奏はカッコいいと思う。
「くせえよ。くせぇー!」
全く臭くなんかないけれど、鼻をつまんで言ってやった。
「うるさい」
奏も俺の様子に嘘だと気付いたのか、笑いながら軽く頭をはたいてきた。
朱音の家は、奏の家のすぐ近く。この町で一際目立つ大きな家に住んでいる。
朱音の家を、都会のビルを見上げるように見回してから、インターホンを押した。奏は俺の後ろに、隠れるように立っている。
インターホンに「雄大です」と言う心構えをしていたが、すぐに玄関から、浴衣をまとった朱音が出てきた。
朱音を見ると、今年も夏祭りがやってきた、という気分になる。毎年綺麗になっていく朱音の隣で、俺の心はいつも躍っていた。
朱音を真ん中に歩く。下を見ると、朱音は爪も綺麗に青色に染まっていた。
好きな人のおかげで綺麗になっているのだろうか。
そう思うと、複雑な気持ちになってくる。
祭りに俺たちと一緒に行ってもいいのか、と思った。でも言わない。絶対に言わない。
朱音の足を見て、綺麗だ、と言おうとした。細かいところまで気付ける男はモテるのだ。
「綺麗だね」
しかし、祭りで言えたらかっこいい言葉を先に言ったのは、やっぱり奏だった。
ふと、昔のことを思い出した。姉ちゃんとした大喧嘩した小六の夏祭りの日だ。
当時の小学六年の時の俺には、お祭りのために髪を切ってきたという姉ちゃんの変化が、全くわからなかった。
「何も変わってねぇじゃん。金の無駄だよ」
俺は姉ちゃんに無神経な言葉をぶつけてしまった。当たり前のように姉ちゃんは激怒した。
「うるさい! だからあんたはモテないんだよ! 奏君に女の子とられちゃうんだ!」
「うるせぇよ!」
ちょうどその年の夏休み、朱音と奏は家族がらみで旅行へ出かけていた。そのときに感じた疎外感で、俺は数日ショックを受けていた。その様子を、姉ちゃんは知っていた。
ムキになって姉ちゃんの髪を引っ張ったり、姉ちゃんに飛びついたりした。でも、その頃、姉ちゃんの方が身長も大きくて、力も強かった。俺は、すぐに姉ちゃんに蹴飛ばされて、被害者のように泣きわめくことしかできなかった。
その後姉ちゃんは、ぐちゃぐちゃになった髪を、母さんに綺麗にしてもらい浴衣を着せてもらっていた。
その間、俺は父さんと話をしていた。
「女の子はね、『俺たち』より繊細で傷つきやすいから、大切にするんだよ。あと、さっきの雄大の発言はよくなかったね。お姉ちゃんあんなに可愛くなったって喜んでいたのに、それって無駄? それならもっと喜ばせてあげる方がお得じゃない?」
感情的に怒ることは一度もなかった父さんが、『俺』と言ったのを聞いたのは、後にも先にもこのときだけだった。
父さんの男らしい一面を見せてもらえた気がして嬉しかった。
父さんはいつもたくさんの言葉で、俺を納得させてくれた。
浴衣をまとって出てきた姉ちゃんを「やっぱり陽南は可愛いね。さすが母さんの娘だ」と言って母さんも姉ちゃんも一気に笑顔にしていた。
そんな父さんの大きな後姿を俺はぼんやりと眺めていた。
「姉ちゃん、ひどいこと言ってごめん……。」
先に祭りへ出て行こうとする姉ちゃんに、俺は声を振り絞った。プライドと自分のかっこ悪さでみじめになって、涙が溢れた。姉ちゃんは何も言わず、すぐ出て行ってしまったけれど、その後父さんが俺に「頑張った」と言ってくれて、余計に泣いたのを覚えている。
そしてその日、俺は朱音と奏のところに行くまでもずっと泣いていた。二人に訳を話すと笑われた。
恥ずかしくて仕方なかった。自分の過ちが恥ずかしかった。そんなぐちゃぐちゃの感情を払拭するため、食べ過ぎたら吐いた。お祭りの役員さんに連れて行かれ、休憩室で横になっていた。その隣で、朱音と奏はニヤニヤしながら俺を見ていた。
二年ぐらいは恥ずかしくて引きずった。姉ちゃんにやってしまったことよりも、その衝動で食べ過ぎて吐いたことの方が、長く引きずった。
でも、今では笑える思い出話だ。
今でも俺は父さんに言われたように、女の子を男よりも大切にしているつもりだ。何度も何度も、女の子を褒めて褒めて褒めまくった。父さんみたいになりたくて、たくさん褒めた。
けれどいつも本番ではうまく言えなかった。
可愛いも、綺麗も俺は本命の相手には一度も口に出来ていない。
「そういや朱音ちゃん付き合っている人いるって本当?」
しばらく三人とも黙ったまま歩いていたところ、奏が急にこんなことを言い出した。
なんだ。
奏も朱音に恋人が出来たことを知っていたのか。
でも、それが女だとは知っているのかはわからなかった。
奏は、「隠していたならごめん」と朱音に謝り、それからおめでとうと喜んだ。
朱音は顔を真っ赤にし、うつむいている。
俺の見たことのない顔だ。胸の内に、なんとも言えない感情がわき上がる。
見たことない表情が見えた嬉しさと、その顔にさせているのが自分ではない悔しさが入り交じる。とてもじゃないけれど、笑っておめでとうとは言えない。
ズキリと足に痛みが走り、俺は歩みを止めた。
二人は前に進んでいく。
朱音と一緒に幸せになりたい。俺より先に幸せになるな。俺と一緒に幸せになろう。
下を向くと、言ってはいけない気持ちが口から出てきそうだったから、夕焼けを見て唾を呑んだ。
ダメだ。絶対に言っちゃダメだ。
俺たち三人の関係を壊したくない。
朱音を心から手に入れたい反面、そう思う自分もどこかにいた。
再び二人と並んで歩き出す。
朱音が下駄を履いているおかげで、少し遅めになっている速度に俺はついて行くのに必死になった。




