【波北朱音】幼なじみ
【波北 朱音】
高校に入学してから一週間が経った。私は入学してから毎日、ボディーガードのように右には奏、左には雄大と、男二人を連れて家へ帰っている。奏は明日から正式にバスケ部員となるから、三人で一緒に帰るのは今日が最後だ。
「聞けよ奏―! 朱音頭良さそうだからって図書委員にさせられたんだぜ! 反抗できずに『……やります』って!」
同じクラスの雄大は私のモノマネをして大爆笑しているが、笑い事ではない。
今日の委員会決めで、私は委員会の中で一番嫌がられていると噂の図書委員に勝手に任命された。高校に入学して、最初から印象を悪くするのも嫌だったので了承したけれど、私は本が好きなわけではない。本なんて、読書感想文を書くために読むくらいだ。
横目でギロリと雄大を睨み付ける。
「うるさい。雄大だってうるさいって怒られてたじゃん」
強く言い返しても、雄大はまだゲラゲラと笑っている。とにかく声が大きい。本人は自覚していないみたいだけれど、私たちのクラスが他のクラスよりうるさいと言われている原因は、雄大にある。
「そう言う雄大は何になったの」
私たちよりも大人びたトーンで奏が雄大に問う。
「俺はねー、体育委員!」
「あー。ぽいね」
奏は爽やかな笑みを浮かべた。まるで雨上がりの空のような爽やかさだ。
私たちはバランスが取れていると思う。いや、私たち、というよりも奏の落ち着きが雄大の騒がしさを緩和している。
おじいちゃんの散歩かというぐらいに私たちはゆっくり歩いていた。後ろから、同じ制服を着た人が私たちを抜き去っていく。
「それより久しぶりに海行こうよ」
三人で帰れる最後の日ということで、私はよく三人で行っていた海へ行くことを提案した。
学校から、私と奏の家まで歩いて十分。そこから、雄大の住む団地まで五分。そして、その先を十分くらい歩いたところに海がある。決して絶景と言えるほど綺麗では無い、ただの海辺。でも私は、カフェやゲームセンターよりも、その海辺が好きだ。穏やかで、まるで時間の進みがゆっくりに感じられる。
「いいね。行こう」
「よっしゃ。奏。久しぶりに砂浜ダッシュしようぜ!」
四月だというのに、雄大の纏う雰囲気は暑苦しい。雄大の纏う季節には夏しか存在しないのだろう。
「しんどいからやだよ」
「なんだと!?」
奏に冷たく突っぱねられる雄大。さっき、私を馬鹿にしたから仕打ちを受けたんだ。いい気味だ。
「はぁー。それにしても高校生になってもまた奏は学級委員か。真面目ちゃんだもんなー」
「真面目ちゃん装ってるだけで、腹黒かもよ」
ため息交じりに奏を褒める雄大に対し、私は奏を馬鹿にするような言葉を投げかけた。
奏は学校の成績がよくバスケでも成績を残している。中学生のときには、県の選抜選手に選ばれていた。親からの評判もよく、もうすでに同級生の女子からの人気も獲得している。容姿端麗で成績優秀。奏は完璧な人間だ。
そんな完璧な奏をこうして馬鹿に出来るのは、私と雄大だけ。優越感という嬉しさの感情が、胸に立ちこめる。それはきっと、雄大も同じだろう。奏と仲良しということは、私たちにとって誇らしいことだ。
そんな奏は私をチラリと見たあと、鼻で笑った。
「腹黒かもね」
「ほらー、言ったじゃん雄大。奏腹黒なんだって」
私はさらに調子に乗って、奏を馬鹿にした。
奏は足元に転がる石ころを無言で蹴っ飛ばし始めた。ボールのように転がる石を、奏に続き雄大が「ほい」と言いながらサッカーをするように遠くへ飛ばす。次は私の番だ。
子供じみた遊びをこの歳になってもまだ続けている。でもそれが楽しい。しょうもないことが、楽しい。
私は目の前にコロコロと転がる石を、じっと見ながら、蹴り出す姿勢へと入った。
「え」
しかし、私が蹴ろうと思っていた石は、溝の方に飛んでいき、カラカラと音を立てながら落ちていった。奏が私より先に蹴り、わざと落っことしたのだ。
「やっぱり腹黒じゃん!」
「だからそうかもねって言ったでしょ」
さっき私がした顔を再現するかのように、奏は私を嘲笑う。いつもニコニコしている菩薩のような奏の意地悪な顔を見られるのは、私たちの特権だ。喜びと悔しさが混じった複雑な感情のせいで、顔をしかめているのに、心の底からじわじわと喜びがこみ上げてくる。
ムキになって奏の肩を強く押す。しかし、歩道から落とそうとしても、変わらず奏は歩き続けている。スポーツマンを動かすのは、私には無理なのだ。ムキになって何度も何度も奏の肩を押しながら、いつもまにかキャッキャとじゃれ合っていた。
「はいそこ! いちゃいちゃしないでくださーい!」
二人で押し合いをしているところに、勢いよく雄大が割り込んでくる。私と奏はその衝撃でよろめいた。
女の子だから、と雄大は躊躇することはない。私が嫌いな言葉を、いつも二人は決して口にはしない。そんな二人が好きだ。
「じゃあ雄大もいちゃいちゃする?」
「朱音ちゃん。それは嫌だからやめて」
私のジョークに対し、奏は真剣に嫌そうな顔をしている。そんな奏と顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「二人ともひどい!」
私たちの様子を見て、雄大は拗ねて前を駆けていく。でも、私と奏はそれを追いかけない。
だって、結局雄大は寂しくなって、私たちのところに戻ってくるのを知っているから。
いつものセオリーだ。
案の定雄大は、三十メートル程先から何もなかったかのように私たちのところへ戻ってきた。奏と顔を見合わせニヤニヤと笑い合う。
明日には内容の覚えていない会話。私たちはそれを小学生の頃から繰り返して、高校生になった。もうお互いに関して知らないことはない。
「そういや小学校の遠足で水族館行った時、朱音楽しそうだったよな! 海好きなのか?」
桜の花びらが落ちていくのと同じくらいのスピードで、雄大は話題をコロコロと変えていく。
小学五年生の時に行った遠足。辺り一面が青く綺麗な水族館。
「朱音ちゃんはそもそも青色が好きなんじゃないの」
私が好きだよと答える前に、奏が口を挟んだ。まるで私の全てを知っているような奏の一言が、私を妙に納得させた。
「そうかもね」
二人は私の知らない私さえ知っている。きっと自分ですら気付かない何かでさえ、二人には知られているのだろう。
雄大の住む団地を通り越すぎると、青い海が見えてきた。潮のにおいが風に混じってやってくる。
「ふぉー! 海だ!」
私たち以外誰もいない砂浜で、雄大は変な奇声を上げながら走り出した。私も、埋まる足をなんとか動かしながら、海の一番近くまで近づく。靴の先にちょんと海水が触れる。
「入ってみようかな」
私は、いつも見ているだけの海に入ってみたくなり、靴と靴下を乱雑に脱ぎ捨てた。
「つめた」
足先を付けただけなのに電流が走ったかのように全身がぴくっとなる。
この海の底はどうなっているのだろう。
青い海に吸い込まれるように、スカートを持ち上げながら足を進める。膝上まで来たところで限界を感じ、立ち止まる。
「いいね、スカートは」
声のする方を振り返ると、奏が携帯を私に向けて立っていた。奏の足下には、さっき私が砂浜に脱ぎ捨てた靴と靴下が、綺麗に並べられてあった。奏が揃えてくれたのだろう。
「似合ってるよ」
奏はそう言って、シャッター音を鳴らし、私を小さな携帯に収めた。
その時、お父さんにランドセルを買ってもらい、同じように『似合っている』と言われながら写真を撮られたときのことを思い出した。
奏が私に向けた『似合っている』は、何が何に似合っているのかわからない。私に青が似合うのか、私に海が似合うのか。
でも、お父さんにも言ってもらった『似合っている』よりも、奏が言った意味のわからない奏の『似合っている』の方がなんだか嬉しくて、じわじわと頬が緩むのを感じた。
「おーい! また俺を置いていちゃいちゃするなよー!」
奏が持つ携帯を見つめていると、遠くから砂を蹴り飛ばしながら、雄大が奏のもとへ全力で走っていた。砂浜で走っているというのに、私がアスファルトを走っているときと何ら変わらない様子で軽々と走っている。
雄大の体力は底無しだな。
携帯をポケットにしまいながら笑う奏の横顔と、必死になって走る雄大の横顔を海の中から呆然と眺める。私よりも二人の方が、青が似合うような気がする。爽やかで鮮やかな青色。
そんな二人と私は、あと何年こうしていられるのだろう。私たちが幼馴染として楽しく一緒に過ごせる期間には限界があるのだろう。いったい幼馴染とはなんだろう。
きっと二人は私じゃない誰かと恋愛して、結婚して、そして家庭を築いていく。その時に私の存在は邪魔ではないだろうか。
海の冷たさに慣れた足先の、そのまた先の海の底を想像しながら、そんなことを考えた。海は時に全てをかき消してくれることもあれば、津波のような大きな不安を呼び寄せることもある。
しばらく海の上で立ち尽くしていると、雄大が私と同じように靴を脱ぎ捨て、海に入ってきた。私に海水をかけてこようとするので、私の方から海水を掬って雄大にかけた。顔が濡れても呑気にゲラゲラと笑う雄大の脱ぎ捨てた靴を、奏が丁寧に並べている。そんな奏を見ていると、砂浜と海が、大人と子供の境界に見えてきた。
私と雄大が子供で、奏は大人。まるで線を引いているかのように、ゆらゆらと波が揺れていて、奏は靴の先一つ濡らそうとはしなかった。