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【谷山雄大】噂

谷山たにやま雄大ゆうだい

 テストも終わって浮かれていた夏休み三日前、同じクラスの男友達三人と学食を食べながら言われた言葉に、俺は耳を疑った。


「俺らの学年の一位のやつ。二年の女の先輩と付き合っているらしいぞ」」

 クラスは違うが仲良くしている田中が、ひそひそ声で言ってきた。

 持っていたスプーンがぐわんと落ちそうになるのを、直前で阻止した。

 学年一位のやつ、という言葉に俺はすぐに頭が回らなかった。

「まじかよ。あのきれい系の子だよな」

 山本は、苦い物でも食べたかのような顔をする。

「そうそう、波北さん。俺、あの子可愛いから狙ってたのになー」

「雄大お前、あの子といつも一緒に帰ってるから、付き合ってんのかと思ってたわ」

 同じクラスの山本が、こちらを見る。こちらを見ているのはわかるけど、俺は焦点の定まらない目で、ぼんやりしていた。

「え!? お前、波北さんと付き合ってんのー!?」

 田中がひそひそ声のまま俺に言ってくる。

「俺は、奏の方と付き合ってんのかと思ってた」

 ずっと一人黙々と食べてた香山が、やっと喋ったと思えば、突拍子もないことを言い出した。

「え……? 一位のやつって……。え?」

 拍子抜けた声が漏れる。

 ぽかんと開けた口に辛口のカレーを口に運んでも、全く辛くない。未だに話していることが理解出来ない。

 

 朱音が、女の人と付き合っている?

 

「いやー、あの子もいいけど、やっぱ四組のさくらちゃん可愛いよな」

 俺のことなんて置いてけぼりに、田中は新しい女の子へと話題を変える。

 俺は味のわからないカレーを無心で口に詰めていく。

「でもさくらちゃん奏のこと好きらしいぞ」

「まじかよ。それは勝ち目ないだろ」

 田中と山本はいつも女の子の話ばかりだ。

 俺はいつもそれを聞き流していた。

 一組のミニスカのギャル。三組の美優ちゃん。奏のいる四組のさくらちゃん。

 そんなのどうでもいい。その子が奏を好きでもどうでもいい。

 

 でも朱音のことだけはどうでもよくない。

 朱音が女の子と付き合っているなんて信じられない。信じたくない。

 そんなこと、やめてくれ。

 俺一人だけが、朱音の話に頭を打ち付けられ、唖然としていた。

 俺はやけになりながら、カレーを一気に口に詰め、水で流し込んだ。

 

 その日の帰り道、俺はいつもよりそわそわしていた。

 あの噂は本当なのだろうか。それとも、誰かの勘違いから生まれた嘘なのだろうか。

 朱音と並んで帰り、どうともない会話をしているのに、何も耳に入ってこない。俺はとりあえず、全て笑っておいた。

 心の中はとてもじゃないけど、笑えるような状態では無かった。

 女の人と付き合っているのか?

 そう聞きたい気持ちはやまやまだが、聞く勇気は無い。

 怖いのだ。そうだよ、と肯定されるのが、俺は怖い。

 

 俺の中で何年も積み重ねてきたものが、たった一言で壊れてしまうかもしれない。

 

 お互いの手が、さらりとぶつかる。

 俺は自覚できるほどに肩を揺らした。

「あ、ごめん」

 朱音はそう言って、俺とぶつかった白い左手で、髪を耳にかける。

「こっちこそ」

 朱音の耳があらわになる。

 俺はそれだけのことで、どうしようもない気持ちになってしまう。

 心臓に熱い何かが一気に流れてくるような、そんな気持ちになってしまうというのに。

 

 さっきよりも距離を取って、一緒に並んで帰る。

 手を繋いだり、腕を組んだりする関係では無い。俺たちはそんな特別な関係では無くて、ただの幼なじみだ。

 朱音と幼なじみという関係でなければ、こうして一緒に帰るなんてことは一生できなかっただろう。

 俺は前までとても贅沢な時間を過ごしていたのだ。

 朱音の背後にある、見えない恋人の影を感じ取りながら、ぐっと何かに耐える。

「夏祭り。楽しみだね」

 朱音が隣でぽつりと呟く。

 毎年奏と朱音と俺の三人で行く夏祭り、朱音は毎年それを楽しみにしている。毎年同じ赤色の浴衣を着て、長い髪を綺麗に束ねている。

 可愛い。

 初めて祭りに行ったとき、朱音は「なんだか村で行われている結婚式みたい」と嬉しそうに話していたことを覚えている。

 小学三年生のときに行こうと言い出したのは俺で、それから毎年決まったように三人で行っている。


――付き合っている人がいるのに一緒に行ってもいいのか?


 俺は出かけた言葉を口にしなかった。

「そうだな。屋台の食べ物いっぱい食おうぜ」

「昔みたいに吐かないでよ」

「いつの話してんだよ!」

 朱音は意地悪な笑みを浮かべる。小六のとき、俺が調子に乗って食べ過ぎて吐いてしまった話を、朱音は笑い話に毎年持ってくる。

 朱音に軽くグーパンチをしようと拳を握る。でも、朱音にそれをぶつけはしなかった。昼間に聞いた話が頭をよぎり、触れることさえ容易に出来なかった。

 一緒に行く祭りも、高校生が終われば終わりかもしれない。そう思うと、どうしようもなく悲しくなった。

「ねぇ雄大」

「うん?」

「奏その日、部活あるのかな?」

「奏、一日練の後に来るって言ってた気がするわ」

「そうなんだ。歩いたりするの、しんどくないかな?」

「奏だぞ。あいつ体力底なしだからいけるだろ」

「雄大に言われたくないでしょ」

 あははと笑われる。それがどうしようもなく、嬉しい。意地悪されて笑われるのも、嬉しい。俺が笑いの要素になっているだけで、とてつもなく嬉しい。

 でも、俺じゃあ多分、この笑顔の先は見られない。笑顔を通り越した喜びを表す朱音を、多分俺は、この先見ることが出来ない。

 

 ずっと、この恋が叶わなくてもいいかななんて思っていた。朱音の隣にいられたらそれでいい。朱音の笑いの一部分になれていたら、それでいい。そう思っていた。いや、そう自分に言い聞かせていた。

 でも実際、別の誰かに急に朱音を捕られたと思うと、苦しくてたまらなくなる。このまま朱音の手を取って、どこかに閉じ込めてしまいたくなる。

「じゃあ雄大、また明日」

 先に学校から近い、朱音の家に着く。

「おう。じゃあなー、朱音」

「バイバイ」

 俺に手を振る朱音が家に入ったのを確認してから、再び歩き出す。

 

 手が届く距離にいるのに、朱音を自分のものにはできない。

 もし俺が感情をぶつけたら、これまで 築いてきたもの全て壊してしまうかも知れない。朱音と奏、三人との関係もすべてぐちゃぐちゃになってしまうかもしれない。

 絶対に言ったらダメだ、とわかっているのに胸の奥から想いがあふれ出す。

 あふれる想いを呑み込むかのように、唾を呑み、一人で家へ帰った。

 

 そしてまた今日も、雑念を全て切り裂くかのように、無心でバイトに励んだ。




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