【波北朱音】大好きな夏祭り
家の中では先輩の話は、あの日たった一日で、長く引きづられたりはしなかった。
だから、両親に大きな怒りが湧いたりすることもなく、三人で仲良くおばあちゃんの家に行けた。
机の上に置いてある携帯が、ブーブー、っと揺れる。
『今から家出る!』
雄大と奏と私の三人のトークルームで、雄大からの連絡があった。
夏休みも、あと数日で終わりである今日、毎年八月の最終土曜日に行われる夏祭りがある。夏祭りは、昔行った叔母さんの結婚式の雰囲気と少し似ているから好きだ。色々な美味しそうな食べ物に囲まれて、まるで何かのお祝いをするみたいにはしゃげる。
先輩は、夏祭りには行かないらしい。人が多いのが苦手らしく、家に籠もっている、と言っていた。
お母さんが着せてくれた浴衣を着て、自分の部屋で財布やハンカチ、貴重品を小さな浴衣用のバッグに詰める。
毎年、夏祭りへ行っている。確か行こうと言い出したのは雄大だった。
小学三年生の春に、私と奏と同じクラスに転校してきたのが雄大だった。私は隣の席だったから、雄大の新しい教科書が来るまで机をくっつけて一緒に見たり、学校案内をしたりした。
そうしているうちに私と雄大は仲良くなった。そして、この町の夏祭りで花火が上がることを知った雄大が、それを見たいと私と奏を誘ってきた。
些細なことから始まったことが、今でも続いているのは感慨深い。
私は当時の写真を眺めながら、思い出に浸っていた。
そうしてるうちにインターホンが鳴った。私は転けないように、裾を上げながら階段を降りる。
ドアを開けると奏と雄大が、こちらに向かって手を上げた。
奏と雄大が迎えにきてくれるのは毎年のこと。
「よーっす! 朱音!」
雄大はいつにも増してテンションが高い。その隣に立つ奏は、部活終わりに来ると聞いていたけれど、全然疲れた様子はなく、いつも通り爽やかだ。半ズボンから見えるすらっと長い足は、女の子のように真っ白。
毎年何があっても三人で行っている夏祭り。雄大がお姉さんと喧嘩した小六の夏も、奏が雄大と仲の良かった女の子に告白された後でさえ、私たちは三人で一緒にお祭りへ行った。
三人で高校の近くにあるお祭り会場へ向かう。いつも通っている通学路を、私を真ん中に三人で歩く。
「朱音爪青くてブルーハワイみたいだな!」
雄大はお腹が空いているのだろうか。私の足下を見ながら意味不明なことを言い出した。私のイメージは、ブルーハワイではなく海なのだけれど。
「よし! 俺、今年のかき氷はブルーハワイにする!」
雄大がにっと白い歯を見せて笑う。相変わらず声が大きい。
真っ赤な浴衣とは対照的な色をした私の爪は、確かに目立っている。お母さんの選んだ赤い浴衣と赤い花のコサージュを髪につけているのに、爪だけが海の色をしている。
お母さんは、浴衣を着せてくれる時、確かに爪を見ていた。隠したいわけではなかったけれど、小学生のとき、勝手にお母さんのマニキュアを塗っていって先生に怒られたことがあって、お母さんは怒らなかったけれど、先生から家に連絡が来てお母さんは見るからに不機嫌になっていた。だから、今年の夏休みは毎日靴下を履いていた。
お母さんは私の爪を見たとき、確かにあの時と同じように不満そうな顔をした。もう高校生だと言うのに、何がいけないのだろうか。不満になるお母さんの考えが、古いのではないか。
お母さんがもし私の爪を咎めてきたら、そう言うつもりだったけど、結局不満そうな顔をしたままで何も聞かれなかったので黙ってやり過ごした。
「綺麗だね」
隣で奏が微笑んで言ってくれた。
奏は男の子だけれど、他の男の子とは違うように思う。奏の言う「綺麗」に下心はなく、私の爪の色だけを指しているのだと思う。多分奏は、私じゃなくて別の女の子がこのマニキュアを塗っていても、変わらず綺麗だと言うだろう。
雄大は綺麗だとか可愛いだとかは、他の女の子にはよく言っているけれど私には決して言わない。思っていないことは言えないから、お世辞も言えない。
ただ、それでいい。嘘の褒め言葉なんていらない。そんな気の遣い合い、私たちには必要ない。
私は雄大と奏に対して笑いかけた。
お母さんとは違って、雄大も奏も私の好きな色、マニキュアを認めてくれる。決して否定などしない。むしろ、いつも、いいね、って嫌味無く言ってくれる。
嬉しくて、手に持っているバッグをぶんぶん揺らす。
二人といると、私はいつもより幸せになれていて、いつもより自分のことが好きになれている。ふと先輩の顔が浮かぶ。先輩といるときも楽しいし、先輩といる時の自分は嫌いじゃない。
どっちも好きだ。三人とも好きだ。
けれどこの二人と一緒にいるときと、先輩と一緒にいるときの気持ちの違いは、まだよくわからない。
高校が見えてくる。周りを見渡すと、私と同じように浴衣を着るたくさんの人たちがお祭り会場へと歩みを進めている。カップルや家族連れ、そして学校でよく見る男子のグループ。みんないつもより浮かれている。私たちも含め。
カツカツ、と私の下駄の音が響くぐらい、一瞬三人とも静かになる。それを破ったのは奏だった。
「そういや朱音ちゃん付き合っている人いるって本当?」
「へ?」
思わず首を捻り奏の顔を見る。顔色一つ変わっていない。
「いや……。部活の先輩が言ってて、それを耳にしたんだけど……。もしかして隠してた……?」
「いや、その……。隠してたとかじゃないんだけど……」
「ごめんね」
私は黙り込んだ。
隠していないと言葉にしたけれど、確かに私は隠していた。
自分の嘘が、自分の首を絞めるように喉の奥をつっかえる。
「おめでとう」
奏はまっさらな笑顔を私に向けてくる。
そういえばお母さんも、奏から聞いた、と言っていた。部活の先輩から? つばさが話したのかな。
今すぐに立ち止まって頭を整理したいけど、そうはできない。
冷静を装い。足を止めずに歩いていく。自分の下駄の音がそのまま心臓に響いているように痛い。いつも安心できるはずの奏の笑顔に、ひどく恐怖している自分がいた。
会場はもう目前で、言葉にならないざわめきでそこら中一体を活気づけている。
奏は私の恋人が女の先輩であることを知っているはず。お母さんに伝えたのが奏なら、知っていないとおかしい。
いつもと変わらない爽やかな笑顔で私を見てくる。
どうしてこんなに普通な顔をしているのだろうか。
そう考える前に、もう答えにたどり着く。答えは簡単。奏だからだ。
奏は何に対してもいつも肯定的。決して否定などしない。だから、同性と付き合うことを否定などしないのだ。
そんなことで差別しないから、私のお母さんにも何の気なしに伝えたのだ。はやし立てるように伝えたのではなく、祝福の意味をこめて伝えてくれたのだろう。
私は奏に苦笑いをした。勝手に奏の笑顔に恐怖を覚える私の方が何倍も、同性愛に否定的では無いだろうか。
先輩と付き合い始めてからずっと持っていた後ろめたさが、はっきりとした形になってあらわになる。
「え! まじで! 俺より先にハッピーになりやがって……!」
隣を歩いている雄大は、私を送り出す親のような反応を示す。
雄大は部活をやっていないから、噂を聞くことが無かったのだろう。
嬉しそうな顔をしている雄大は、私が付き合っている相手が女の子だと知ったらなんて言うだろうか。
「たくさん食うぞー!」
隣で雄大が声を荒げる。
まぁ、雄大なら、良かったな、って馬鹿みたいに大きな声で言ってくれるだろう。
はしゃぐ雄大を横目に見ながら、お祭り会場へと足を踏み入れる。
会場に着くなり、雄大はすごい勢いで焼き鳥、焼きそば、たこ焼きと、たくさんの店に回り出す。奏が呆れたような目つきでそれを見ている。
「雄大、炭水化物ばっかりだね。太るよ」
「ね、食べ過ぎて吐かないでよ」
私も奏と同じく、雄大に半笑いで言う。
小六の夏祭りの日、雄大はお姉さんと喧嘩した勢いで、やけになって屋台の食べ物を食べ過ぎて戻してしまった。それを毎年、私は笑い話にしている。
「うるせぇな! いつの話してるんだよ! もうやめてくれよ!」
ゲラゲラと笑いながら、雄大は怒ってくる。
「毎年定番の雄大いじりだね」
奏が珍しく悪ノリしてくる。やっぱり奏も浮かれているみたいだ。
「奏までいじってくんな!」
怒っている雄大に対し、奏とゲラゲラ笑う。そして気がつけば、雄大が一番大きな声で笑っている。いつもの構図だ。何年も前から変わらない、私たち同士だから笑えるいじり。
私たちがどれだけ大きな声で話しても、今日だけはうるさくない。怒られることなんてありえない。周りが私たちよりも何倍もうるさいからだ。ゲラゲラと大爆笑していても、目立たないお祭り。
先輩は今、何をしているのだろう。本を読んでいるのだろうか。それとも、音楽を聴いているのだろうか。
ずっと一緒にいないから、一緒にいる時間が恋しくなる、と言っていた先輩の言葉を思い出す。
毎日電話をしているのに、顔が見たい。笑い声が聞きたい。
私は少し冷めてしまったカステラを、一つ口へと放り込んだ。
「いつものところ、座ろうぜ!」
雄大が私たちを引率するかのように先頭に立つ。
「そうだね。ずっと止まらず歩いてたし、座ろうか」
奏が雄大に続き、私は黙って奏の後ろに続いた。
少し離れた階段のあるところに座り、買った食べ物を広げながらただ談笑するのが、私たちの毎年の夏祭りだ。花火が上がる八時までそこで談笑する。
さすがに部活をしていない雄大は食が細くなっていて、前よりは食べなかった。よく見ると少し痩せた気がする。
奏はご飯系をあまり食べず、いちご飴、わたあめ、チョコバナナを持っている。
「奏女の子かよ! 可愛いな!」
「うるさい」
雄大は私には可愛いと言わないけれど、奏にはよく言っている。可愛いと言われた奏は不満そうに頬を膨らました。
真っ白でまるで大福みたいに綺麗な顔の奏は、女の子のようで確かに可愛い。
「奏可愛いね」
「朱音ちゃんも馬鹿にしないで」
私たちはまたゲラゲラと笑う。決して真面目な話はしない。
宿題した?
部活はどう?
最近何してる?
そんなことはどうでもいい。ただその時その時を楽しむだけ。頭に浮かんだ話題を話していくだけ。
「そういや朱音、知ってるか? 奏また先輩に告白されたんだって」
私の座る階段の一段上に座っている雄大が私に密告してくる。
「高校入ってから何人目だよー」
雄大は奏をからかうように見た。
「うーん、五人?」
「覚えてないってか!」
曖昧に答える奏に、雄大はたこ焼きを頬張りながらパンチを食らわす。
奏はモテる。幼稚園のころから、ずっとモテる。
奏は去年付き合っていた彼女と別れてしまってから誰とも付き合っていないみたいだ。
「奏はどんな人がタイプなの?」
チョコバナナを食べながら、奏に尋ねた。
奏が誰かの事が好きだとか、奏の口からは聞いたことがない。だから、去年、彼女が出来たと聞いたときは衝撃だった。芸能人でこういう人が好きとかも、奏は昔から言ったことが無かった。
「俺も知りたい! 俺も知りたいそれ!」
「うーん……。僕のことがあんまり好きじゃない子」
奏はうーんと悩む素振りを見せながらも、聞かれるのを知っていたかのようにすらすらと答えた。
「どういうことだよそれ、自分の方が好きになりたいタイプか!? 奏、モテすぎなんだよ! 隣にいる俺の気持ちも考えろよ!」
私が突っ込むより隙もなく、モテる奏に雄大は不満をぶつける。奏に対しての不満だけじゃなさそうだ。一向に彼女が出来ないことの鬱憤も透けて見える。
雄大は嫌われているわけではないけれど、奏の隣にいるから女の子にモテない。一度気に入られたとしても、後に奏がみんな持って行ってしまうのがオチだ。
奏が隣にいなかったら、雄大はもうすでに恋人がいただろう。不憫だ。
「奏っておかしいよね」
私は嫌味を込めて言ってやった。
モテることが羨ましいという雄大のような理由ではないけれど、私も奏になってみたいなと思うことはある。奏みたいな心の持ち主なら、自分のことも大好きになれるのだろう。
奏はこちらを見た後、にやりと笑ってきた。モテるのが羨ましいだろ、とでも言いたげな顔だ。
何も言えない。そりゃあなた、モテるので。
持っていたチョコバナナをまた一口食べた。
お祭りの時にしか食べないチョコバナナ。きっと海外の材料が使われているだろう。お父さんが海外のお菓子は危険だと言うから、家では食べることが出来ない。でも、私は海外の甘ったるいチョコや、色とりどりのグミが好きだ。
私はやっぱり二人と一緒の時間なら、好きなものを自由に選べている気がする。
雄大を見ると、熱い食べ物を食べ過ぎたのか、汗を流していた。それを見るだけで、暑くなる。
「そういえば雄大かき氷は?」
私も食べたいから買ってきて欲しいなーなんて、そんな目で雄大を見る。雄大も奏も目線から何か感じたのか、口を開けて笑い出した。
「僕もかき氷食べたい。雄大買ってきて」
「よっしゃ! 任せろ!」
雄大はすぐに立ち上がり、走って人混みの中へと消えていく。
まるで飼い主に忠実な犬みたいだ。
味を頼むのを忘れたけれど、まあいっか。




