【波北朱音】赤と虹色
小説は続きがあったが、私はすぐにブラウザバックした。
意味がわからない文章。それに、死にたいとか、そういったネガティブなことを言う人は嫌いだ。
先輩がこれに共感出来ない理由はすぐにわかる。
先輩は、死にたいとは無縁だからだ。
先輩が死にたいなんて言っているところは想像出来ない。むしろ死ぬギリギリまで「死にたくないよー」と喚いて、迷惑がられるタイプの人間だろう。
そんな先輩を想像し、一人でフフフ、と笑う。
「朱音ちゃんー。お風呂入ってちょうだい」
下からお母さんが呼んでいる。
私は自分のパジャマを持って、お風呂に入った。
それから、一週間後。日曜日の夜、お父さんとお母さんと夕食を食べていた。
明日から、おばあちゃんの家に行く。父方の祖母だ。
お父さんは帰省のために、三日間の有給を取ったらしい。
ポテトサラダを口に運ぶ。そして、その隣に並ぶミニトマトを箸でつまんだ。
「朱音ちゃん先週お家に来てくれた先輩とお付き合いしてるって本当?」
お母さんが口を開いた。
私は驚きで、つまんでいたミニトマトを皿の上に落とした。
「え……?」
私だけではない。お父さんの食べる手も止まる。
先輩と付き合ってから、私は周りにそれを話さなかった。両親には特に隠していた。
お父さんとお母さんはきっと私が女の子と付き合うことを許してくれない。髪の短い、エメラルドオーシャンのランドセルを選ぶ女の子を。
特に考えが硬く、融通の利かないお父さんは、私たちのことを許さないと思う。先輩がやってきた日、お父さんは仕事だったので、家に居なかった。もしかしたら、そもそも私が付き合っている人=女の人と思ってはいないかもしれない。
お父さんの選択肢は、いつも決まって一つだ。
「誰から聞いたの」
肯定する前に、お母さんに別のことを聞いた。
私は付き合っていることを誰にも話していない。先輩が、勝手に誰かに言いふらすとは思えない。つばさにしか言っていないと言っていた。
もし仮に、先輩が言いふらしていたとしても、お母さんの耳に入るなんてことはないはずだ。
お母さんは、ゆっくりと机にお箸を置く。そして、こっちをまっすぐ見てきた。真面目な話をするときのお母さんだ。
「奏くんよ」
「奏が?」
「そうよ」
どうして奏が知っているのだろう。
そんな疑問が浮かぶも、今ある緊張感のせいでその疑問はすぐに飛んで行ってしまう。心臓が、自分のいる場所を示すかのようにドクドク鳴っている。
お父さんは下を向いたまま動かなくなっていた。私はそれを見ないようにした。
「所詮学生のうちだけだけどね。勉強はちゃんとしなさいね」
高校生が終われば別れが決まっているかのように、お母さんは私たちの付き合いを馬鹿にした。
私は先輩と適当に付き合っているわけではない。恋愛の好きかどうかはわからないけれど、大切にしたい。
私は一度つまんだトマトを再度箸でつまみ、口に放り込んだ。
トマトをすぐの見込み、魚の煮付けに手をつける。それもすぐ飲み込み、お茶碗を持つ。
食事のスピードを上げて、今すぐにこの場から逃げたい。
「そんなお遊びに付き合わなくていいんだよ」
お父さんが、ずっと黙っていた口を開いて顔を上げた。食べ物をたくさん放り込んだ口を動かすのをやめて、お父さんの顔を見る。
見たことのある顔だ。私に赤いランドセルを買ってくれた時の顔だ。
そうだよね。
もともとそう言われることを予想していたから隠していたのだ。
自分が同性愛を否定しているのではなく、周りの人間はそれを認めてくれないということを信じていた。特に両親はそれを否定するということを最初からわかっていた。
認めて欲しい、なんて思わないから、許せないならどうか関わらないでほしい。
口の中にある米と、溢れるような気持ちを、無理矢理味噌汁で流し込んだ。
「そう」
両親の意見は理解した。賛成はできないけれど、二人の気持ちもわかる。そういった意味を込めて一言だけ返した。
お父さんの少し不満そうな顔と、お母さんの困り顔が目に映る。
お父さんは私を否定しなかったけれど、先輩を大いに否定した。先輩が、お遊びで私と付き合っているのだとわかったように言ってきた。
それは自分が否定されるよりもひどく悲しいことだった。
先輩を否定しないで。
反抗の意味で、乱雑に食器を重ねて立ち上がる。それをシンクに置いてから、階段を登って自室へ戻った。
先輩に会いたい。私を自由にしてくれる先輩に会いたい。私は決してお遊びで先輩と恋人になったわけではない。
両親への不満が募る。
普段は優しい。温かいご飯も毎日作ってくれるし、洗濯も掃除もしてくれる。温かいお風呂も湧かしてくれる。
でも、自分とは違う考えを持つ人たちを全て迫害しようとする考えはやめてほしい。人の自由を、侵害して縛り付けないでほしい。
自分の娘だけならともかく、他人のことまで自分の思う正しいルールの範疇に入れようとしないで欲しい。
ああ。嫌だ。
両親への不満が募る以上に、優しい両親を忌まわしく思ってしまう自分に嫌悪感が募っていく。
私は自分の募った汚い感情を洗い流すかのように、お風呂に向かった。
お風呂から上がり、塾で出された宿題に手をつける。でも、意識はずっと携帯にあった。
早く先輩の声が聞きたい。私をいつも自由にしてくれる先輩の声が聞きたい。
宿題は最初のページから一つも進まない。
じっと耐えた末、携帯が光った。電話を待っていたことがバレたくなくて、三コール鳴ってから出た。
「もしもーし、あかねちゃーん」
先輩の猫のような声が私のこわばった心を溶かす。
「もしもし」
「あぁ朱音だー。癒やされるー。今日もバイトで疲れたよー」
「先輩ちゃんと宿題してます?」
「全然してないー。今日も一日中小説読んでたー」
私はシャーペンを筆箱にしまい、塾のワークを閉じながら、枯れた笑いを漏らした。
きっと先輩は私のこと以上に小説が好きだ。きっと、私がいなくなっても先輩は自由に生きていけるけど、小説がないと生きていけない。
先輩は私を自由にしてくれる。たくさんの新しい景色を見せてくれる。
私は先輩に何をしてあげられるのだろう。
不安が、煙のように押し寄せてくる。胸が苦しい。
「朱音なんか元気ない?」
先輩の声色が急に真剣なものに変わった。
気づいてくれて嬉しい。でも、今日の話は先輩には絶対知られたくない。私は咄嗟に嘘をついた。
「今日間違えてボディーソープで頭洗っちゃってて、すぐ流したのに髪の毛ガシガシになっちゃった」
昔経験した失敗談を笑いながら話す。あの時は三日ぐらいへこんだ。
「なにそれ! ショックすぎる! 朱音もそんなミスするんだね」
花火のように先輩の笑い声が弾ける。
「明日三日間はおばあちゃんの家に行くから電話はなしなんだよね。
「うん」
「楽しんで来てね」
「うん。ありがとう」
先輩は何の悲しみも出さずに変わらず笑っている。
私は少し寂しいと感じるのに、先輩は寂しくないのかな。
好きという言葉の意味を知らないまま、訳もわからぬ不安が頭に溜まっていく。
私は携帯を耳に当てたまま、机におでこをくっつけるように、目をつむって下を向いた。
「まあ、私がいなくても朱音なら大丈夫か! 私の方が大丈夫じゃないかもね」
「大丈夫じゃないよ」
「ウエッ?」
「大丈夫じゃない。先輩の声聞けないと、私寂しいよ」
勝手に自分だけ好きみたいに言う先輩に腹が立ち、勢いで言葉を返した。先輩の鳥の鳴き声みたいな驚きの声が聞こえて、すぐに無言になる。
自分の口走った言葉が、とてつもなく恥ずかしい意味を持つことに、気付く。
恥ずかしさで胸が焼けそうだ。
「朱音―! もうだいしゅき! いっぱいメールするね!」
電話越しの先輩の顔が頭に浮かぶ。きっと子供みたいに無邪気に笑っているのだろう。嬉しくて、恥ずかしくて、頬が緩む。
「はいはい」
「じゃあね! おやすみ」
「おやすみなさい」
私が切るより先に先輩が電話を切った。
「大好き」という言葉を言われることは、とてつもなく生きている実感がする。先輩は私にたくさんの幸せを与えてくれている。それなのに、私は先輩に何も与えることは出来ていない。確かに好きなのに、ライクかラブなのかわからない。だから恋人の先輩に『好き』と言えたことはまだない。
波のように押し寄せては戻ってくる不安も、さっきまで頭にあった両親に対する罪悪感も、電話の後ではやってこなかった。
私は携帯を置いて、電気を消し、布団に入った。
先輩と話している時の自分は、何も我慢しなくて良くて好きだ。
もしかして、『好きな人』というのは、ありのままの自分でいられる人、のことなのかもしれない。
雲のように考えが浮かぶ。でもすぐにそれは消えていく。
違うな。だってもしそうなら、私が今抱えている、先輩に対する不安、親に対する不満に親に対する罪悪感も、全て先輩に話せたはずだ。
でも、そうじゃなく私は、嫌な自分は見せたくないと思った。
まるで、空一面が雲で覆われたかのように、考えがぐちゃぐちゃになって、何もわからなくなる。
ベッドの上でぎゅっと目をつむる。
ちゃんと自分なりの好きの答えが出るまで、あとどれくらいだろか。そう思いながら、眠りについた。




