【波北朱音】ルーティーン
先輩とお付き合いを始めて、大きくは何も変わるわけではなかった。一緒に登校する約束も、一緒に昼食を食べる約束もしない。先輩曰く、ずっと一緒にいないから、一緒にいる時間が恋しくなるらしい。先輩に言っている意味はわからなかったけど、とりあえず流れるままに時間は過ぎた。
特に大きな変化は無かったけれど、日常の新しいルーティンは出来た。先輩と毎晩十分間の電話をすること。
私は初めての恋人らしいことにわくわくとドキドキが混じっていた。誰かと電話することなんて、何か至急の用事があるときだけだ。
「もしもーし」
学校の時よりもさらにゆっくりな甘い声が電話越しに聞こえてくる。それだけで、なんだか変な気持ちになる。まるで先輩と一緒に寝ているような、くすぐったい気持ちになる。
「もしもし」
「あ、朱音の声がする」
先輩は当たり前のことを言ってから、今日あったことを話してくれた。
昼休み図書室で昼寝していたら五時間目の授業に遅れたこと。五時間目が始まって二十分した頃に目覚め、急いで戻ると顔によだれの跡があることを先生に指摘されたこと。
漫画みたいな先輩の実話に思わず声を上げて笑う。
雄大でもさすがにそんなことはしない。奏なんてもってのほかだ。
「そんなことばっかりしてたら、留年しちゃうよ」
「それはいいね」
「なんで?」
「それなら朱音と一緒のクラスになれるかもしれない」
「馬鹿じゃないの」
冷たく言った私に対し、先輩が電話越しでケラケラ笑っている。いつもの弾けるような笑いではなく、落ち着いている笑い声だ。
携帯を耳に押し当てながら、自分のベッドに倒れ込む。
先輩が何も喋らなくなったので、眠ってしまいそうになる。うつらうつら、としながらそれでも携帯を握る。
ぼーっと天井を見ながら、口を開いた。
「ねぇ」
「どうしたの?」
「なんで私のこと好きになってくれたの?」
疑問に思っていたことを直接投げかけた。言葉にしてから直接的すぎたか、と少し恥ずかしくなったけれど、お互いの反応を見られない電話だから別に良い。
「えっ!? 急に!? ……えっとねえ、最初は声だけだったんだよね……」
先輩はモゴモゴと言葉を詰まらせている。
「入学式の新入生代表の挨拶の時。寝かけてたんだけど、朱音の声聞いた瞬間にぐわって心持って行かれちゃって……。それだけだったんだけど、まさか同じ曜日に同じ委員会だったなんて思わなくてさ」
先輩は恥ずかしさに慣れてきたのか、事細かくペラペラと話し出す。私が相づちを打つ暇はない。
「顔見て話したら普通に好きになっちゃったよね。朱音小さくて可愛いし! なんか良いに匂いするし!」
「へぇー」
やっとの思いで相づちを打つ。
馬鹿馬鹿しいと思ったが、それを聞いて喜んでいる私の方が馬鹿らしい。
仰向けから、横向きに姿勢を変え、ぐっと丸まる。
「ありがとう。でも、私はまだ先輩のことラブの好きかはわからないよ」
嘘をついて付き合うのも嫌だ。だから今の自分の思いをそのまま伝えた。
私は、先輩が大好きだから付き合うことに了承したわけじゃない。ただ『ノー』という選択肢が頭になかったから、という理由だけで付き合った。
先輩に声や髪を褒められるのは不快ではないし、むしろ嬉しい。先輩の子供っぽくて可愛い笑い方も好きだし、真面目なときの顔も好きだ。だけれど、それと先輩と恋人として好きということはイコールなのか私はまだ十分にわかっていない。
それを確かめるためのお付き合いなのかもしれない。
「ちゃんとわかってるよ」
「うん」
「でも、ラブの好きになったら教えてね。あと、無理かもしれないと思っても教えてね」
笑い声交じりにそう言われる。
うん、とすぐには言えなかった。
私の部屋の時計が、トクトクという心音と共に、二十三時を指している。私は眠たい目を擦った。
夜の先輩の声は、お風呂みたいで心地良い。
「先輩、私、そろそろ寝る」
「わかった。おやすみ」
「うん。おやすみ」
電話を切る。そして携帯を抱きしめる。
先輩に近づきたい。広大な自由の海のような先輩に惹かれたのは間違いではない。
『好き』という言葉の意味を、先輩から教わりたい。
そのまま電気を消して、眠りについた。
「ね、つばさにバレちゃったよ」
期末テスト真っ只中の夜、電話越しで先輩が申し訳なさそうに言ってきた。
「真っ赤な顔して朱音が、『先輩に会いたくて』って来た、ってからかわれて正直に話しちゃった……」
「はぁ?真っ赤な顔なんてしてないし」
「でもつばさがそう言ってたよ」
「してない。いっぱいの人に見られて恥ずかしかっただけ」
むきなって反抗する私に対して、先輩はケタケタ笑っている。電話だからその様子は見えないけれど、いつもの笑顔が頭に浮かぶ。
たった顔を合わせていないだけなのに、先輩の顔が見たいと思ってしまう。まるで先輩中毒みたいだ。
「でもまぁ、私が朱音を気に入っているのは前からバレてたよ」
「じゃあ先輩のせいじゃん」
「知られるの嫌だった?」
やけに申し訳なさそうに、私の機嫌を伺うように言われる。
一瞬不安になった。私は何か言葉を間違えたのだろうか。
「え、いや? 何で? だって悪いことしてるわけじゃないでしょ」
私の言葉に無言が続く。
「そっか……。そっかぁ! つばさはね、自慢の幼なじみなんだよ! 今日もつばさの家でご飯食べてきたんだぁー!」
「私あの人パパみたいで好きだよ」
「パパ!? 朱音のパパあんな強面なの?」
「違う。世間一般的なパパのイメージ。私のお父さんはもっと賢そう」
すぐに自分が言葉を間違えたことに気付く。しかし遅かった。
「うわ! つばさはバカそうだってことだ。言っとこー、朱音がつばさのことバカそうだって言ってたって」
「やめて」
怒っているのに、先輩は相変わらず笑っている。
私は顔を見られているわけじゃないのに、口をとんがらせて拗ねた。
「私、もう寝る」
「待って」
「待たない。切るね」
時計を見ると、もう十五分も経っていた。
「待ってって」
「なに」
ため息をつく。どうせしょうもないことだろう。
「朱音だいしゅき」
「きも」
「ひどい!」
ふふふ、と自らの口から笑い声が洩れる。鍋に入った沸騰したお湯のように、笑いが溢れ出る。
声を上げて笑った。
しょうもない。
しょうもないことなのに、それが嬉しくて楽しい。
「朱音、笑いすぎだよ。明日もテスト、頑張ろうね」
多分先輩は私が素直になれないことに気付いている。私の性格を知ってくれているから、私の発言にいつも安心したように笑ってくれる。
「うん。おやすみ」
私が好きだと言ったら、先輩はどうなるだろう。
そう思いながら、電話を切った。




