客
事務所につくと、俺はまっすぐボスの執務室に入った。
「失礼します」
「どうだった?」
「配達完了です。返事はイエスだそうですよ。中身も見てないのに」
俺がそう告げると、ボスは苦い笑みを浮かべた。
「相変わらず気取った男だ」
「俺もそう思います」
それにしても狭い執務室だ。
デスクだけでなく、棚も置かれているが、もうギチギチだ。荷物をよけなければ座れない。もちろん俺の座るスペースはない。
ポラリスの社長室とはえらい違いだ。
ボスは「で?」とこちらを向いた。
「ほかにはなにか言ってなかったか?」
「第三セクターについて調査してくれたようです。五つともあったようですよ。それで、そのぅ、出資してる民間企業が、どうも宇宙人民結社の関連企業みたいで……」
ボスがガックリとうなだれた。
「おいおい」
「白木社長も、手を引いたほうがいいと」
「合点がいったよ。明智が、例の襲撃者を千里眼だと特定した。千里眼ってのは、名前は怪しいが、宗教団体じゃない。むしろその逆でな。カルトを標的にした地下組織だ」
どうやって特定したんだ?
いや、それより千里眼だ。
「有名なんですか?」
「有名になりつつある、といったところだな。だが慈善団体じゃない。宇宙人民結社は、このところ様々な分野に進出していてな。ライバルが多い。それで各団体が対策費を投じた結果、千里眼も拡大を始めたというわけだ」
法の及ばぬ地下での闘争、といったところか。
口にすべきかどうか迷ったが、俺は思い切って尋ねてみることにした。
「明智さんは、どうやって千里眼を特定したんです?」
「さあな。とある情報源としか教えてもらえなかった」
とある情報源?
まさか、俺の通信機を傍受してるんじゃないだろうな?
これは一度会う必要がある。
会話は途切れたが、ボスはなにかを言いたげだった。
だが、言わない。
また特別な用だろうか?
「分かりました。えーと、じゃあ、特になければ俺はこれで」
「待て」
やはりだ。
ボスは意外と分かりやすい。
「いまの話をくつがえすようで悪いんだが、じつは算法電力なる企業から配達の依頼が来ていてな」
「露骨にあいつらじゃないですか」
「じつはお前に頼もうと思ってたんだが……。いまの話を聞いた以上、すんなり受けるわけにもいかないようだな」
「俺はいいですけど」
受けないと事務所を爆破されるかもしれない。
ボスは難しそうな表情だ。
「本気か? 他の事務所に回すこともできるが……」
「それ、結果は同じじゃないですか? 結局、どこかの誰かがやるんです。違うのは、誰が金を受け取るかだけ」
「そういう発想ができるのは羨ましいが」
これは褒められてないな。
「判断はボスにお任せします」
俺はまともに人の上に立ったことがないから、責任についての考えも軽い。
ボスの判断が正しいだろう。
*
執務室から出ると、フジコに手招きされた。
「どうした?」
「服! いつ買ってくれんの?」
「ああ、そうだったな。金渡しとくから、好きなの買ってくれ」
「はぁ?」
露骨に不快そうな顔をされてしまった。
なにが不満なんだよ……。
「問題が?」
「いや、普通、女の子に服を買うっていったら一大イベントでしょ? 特に、あなたみたいなモテない男にとってはね!」
「モテないのは認めるが、特に一大イベントではない。家でネットでもしてるほうがマシだ」
だいたい、一緒に買い物なんかした日には、その後の晩飯までおごるハメになる。もうピザは食わせたし、それで十分だろ。次にメシをおごるのは、また銃弾を撃ち込んだときだ。
「とんでもないクソ野郎ね。じゃあ服はいいわ。お金もいい。その代わり、永遠に呪い続けるから」
「逆になんなんだよ。つーか、仮に一緒に行ったとして、俺に女の子の服なんか分かるわけないだろ。自分の服もよく分かってないのに」
するとフジコは、すっと我に返った。
「そういえばそうね。そのよく分からない服はなによ?」
「これか? 友達が作った服だが……」
「は? なに? 彼女いたの?」
「彼女じゃない。付き合ってない。そいつは男だ。しかもタダじゃなくて有料だ。おっとケチはつけるなよ。まあまあ気に入ってるんだから」
サイズ感の不明なチュニックと、頑丈なだけが取り柄のベトナムズボン。
この絶妙なダサさは、俺に合っている。
なにより動きやすいのがいい。
だが、このクソ会話は長く続かなかった。
「失礼します」
入口から女が入ってきた。
艶のある黒髪、長いまつげ、鋭い眼差し、ややかげりを帯びた表情――。歳は二十代後半といったところだろうか。スーツに着崩したところはなく、スカートから伸びた足は黒のストッキングで覆われている。
客だ。
この弱小事務所に、いきなり客が来た。
俺はすっと立ち上がった。
「ようこそいらっしゃいました。ご依頼ですか?」
「ええ」
「こちらへどうぞ」
見た目というか、雰囲気がドストライクだ。
どうでもいい情報かもしれないが、俺はこういう落ち着いた女性に弱い。
するとボスも出てきた。
「お話をうかがいます」
少し斜めに立って、すっとサングラスを直した。
まさかボス、モテようとしているのか……?
向井さんは笑顔のままお茶の準備を始めた。
*
「算法電力から参りました、烏丸麗です」
その自己紹介で、場の空気が静まり返った。
懸念となっていた客が、みずから乗り込んで来たというわけだ。
しかし残念だな。
その名の通り、こんなに麗しい女性が、よりによってカルトの手先とは。
ボスも面食らっている。
「本日は、例の件で?」
「ええ。ぜひ御社に依頼を受けていただきたく、お願いに参りました」
「いや、あー、ですが、お返事はまだ先のはず」
「はい。きっとお悩みかと思いましたので、最後の一押しにと」
淡々と強気なことを言う。
ボスは肩をすくめた。
「じつはこのところ立て込んでましてね。受けたくとも、受けられない可能性があるんです。その場合、同業者を紹介しますんで、そちらにご依頼いただければと思いますが」
「そういう冗談は結構ですよ。それに、いまはお願いという体で参っておりますが、最終的には強制することになると思います。必ずやることになると思いますよ」
烏丸さんは表情を変えない。
「強制? それは聞き捨てなりませんな。具体的には、いったいどんな?」
「忙しいというにも関わらず、もしふらふらしているところを見かけた場合、スナイパーが足を撃ち抜きます」
「……」
「もちろんもう一方の足も。それから腕も一本ずつ。もし7.62ミリ弾の直撃を受ければ、おそらく回復不能なダメージを受けることになるでしょうね」
サイアクだ。
雰囲気はよかったのに、こんなド畜生だったとは。
やはり見た目より性格を重視すべきだな。
「どうぞ」
向井さんが笑顔で茶を出し、また事務仕事に戻った。
烏丸さんは手を出さなかったが、ボスは一口飲んだ。
「方法の是非はおくとして、それでも疑問は残りますな。なぜ、それほどウチにこだわるんです? 優秀なチームならほかにもあるでしょう?」
「あなた方もじゅうぶん優秀では?」
「それは否定しませんがね。しかし資金も設備も潤沢とは言えない」
「道具とは、身体の拡張である」
「えっ?」
ボスが気の抜けた返事をした。
烏丸麗は微笑している。
「つまり道具が不足していれば、仕事の質も落ちるということですね。しかしその点は問題ないのでは? こちらは、必要であればいくらでも資金を投じるつもりでいます」
「最初から不足してないところに頼んだほうが、安上りですよ」
「なぜそんなに拒むのか分かりませんね。もしかして、私たちがカルトだから?」
この言葉に、茶碗をつかんでいたボスの手が止まった。
事実だ。
俺たちは、こいつらがカルトだから渋っている。
まあ金は金だし、どうせ誰かがやるんだから、個人的には受けてもいいと思うが。
一方で、ポリシーを捨てたら、そいつはもう人間じゃないとも言える。金を稼ぐ機械だ。幸福のために働いているかどうか怪しくなる。
つまり「金さえ稼げればそれでいい」のであれば、そいつは詐欺師になっていないとおかしいわけだ。しかし大半の人間は、詐欺師ではない。少なくとも職業上の詐欺師では、ない。
しばしば非合法の仕事をしている俺たちに、倫理観を語る資格があるのかはともかく。
烏丸さんは微笑のままだ。
「結構ですよ。事実ですので。私たちは、信仰ではなく脅迫を使ってお金を巻き上げている。そのお金で政府とも癒着している。反社会的な組織です」
おそらく事実なんだろうが、俺は少し混乱した。
彼女は政府の人間ではなく、政府と癒着している民間企業の人間なのだろうか?
つまり、宇宙人民結社の?
ボスもそこに気づいたらしい。
「なるほど、あなたが誰だか思い出しましたよ。まさかこんなに強硬な人物とは思わなかった。だが、そちらがカルトかどうかはさておき、仕事の内容がマズい。調べた感じでは、千里眼の事務所にクール便を送ることになってる。ウチは、生モノは扱ってないんです」
気分が悪くなってきた。
そいつは、どう考えてもよろしくない生モノだ。
フローターに乗せたくない。
しかし烏丸さんは表情を変えない。
「おかしいですね。過去に何度か生モノを受け付けた履歴があるはず」
「以前はそんな仕事も受けてたような気もしますがね、ほんの例外です」
「なら、お願いではなく、強制するしかないようですね」
「待ってください。そうまでしてウチにこだわるなら、隠さないで理由を教えてください。誰が目当てなんです? 内藤? フジコ? それとも俺ですか?」
「……」
ボスの問いに、烏丸さんは返事もせず、静かに茶をすすり、ほっと息を吐いた。
俺はその姿勢に見とれていた。
あきらかに気に食わない敵なのに。
彼女は、するとフジコを見た。
「あの方、フジコさんとおっしゃるのですか?」
すると本人が「なによ?」とぶっきらぼうに応じた。
敵とはいえ、いちおうは客なのに。
烏丸さんは眉ひとつ動かさなかった。
「うちの系列のローン会社から一億をだまし取り、その代償として新薬の実験体にされた女性を思い出しますね。名前は違いますが、彼女とよく似た顔をしていた気がします」
よりによってカルトの系列から金を借りたのかよ。
なら、目をつけられても仕方がないな。
ボスもこれには苦笑いだ。
「きっと人違いですよ。ええ。ですが分かりました。お受けいたしましょう。日程が決まったら教えてください。すみやかに対応します」
ウソだろ?
いや、これが正解だったのか?
ボスはフジコを守ったのだ。
烏丸麗はすっと立ち上がった。
「ではそのときにまたうかがいます。おいしいお茶、ごちそうさまでした。失礼しますね」
一礼をして退室。
胆力のあるいい女だ。
だが、マジでクソだった。
頭を抱えるボスのもとへ、フジコが駆け寄った。
「ボス、いいんですか? 私のために」
「気にするな。いいか? この件は、いっさい負担に感じる必要はない。その代わり、お前はクビだ」
「は?」
おいおい。
おそらくフジコを守るためだとは思うが、いきなり?
するとボスは、こちらへも目を向けた。
「それと内藤。お前もクビだ」
「はい?」
え、なんで?
巻き添え?
俺をクビにしたら、誰が生モノを配達するんだ?
(続く)