フレンドリーファイア
銃撃戦はなかった。
その代わり、転がっている死体を見つけた。
車の中で撃たれて、そのまま放り出され、この路地裏へ逃げ込んだ、という感じか。
スーツを着用した中年男性。
やや白髪混じり。
正体は不明。
向井さんは銃をしまうと、その場にしゃがみ込んで死体をあさり始めた。
目の前で人が死んでいるというのに、まったく躊躇がない。
どう考えても俺より現場に向いている。
「これはキーカードでしょうか? どこのだろう? これが免許証……。個人は特定できても、所属までは分かりませんね」
男は腹を撃たれている。
普通、助かろうと思ったら、救急車を呼ぶなりするはずだ。なのにこの男は、最後の力を振り絞って路地裏に入り込んだ。
ここになにかあるのだろうか?
ああ、ある。
露骨に怪しい鋼鉄のドアがある。しかもカードリーダーがついている。あそこから中に入ろうとしたのだろう。
向井さんも気づいたらしい。
「なるほど、このドアから中へ。なにかありそうですね。私が先頭に立ちますから、二人はバックアップを」
「いやいや、待ってくれ。いったん冷静になろう」
やっとつっこみを入れることができた。
彼女は任務を遂行する戦士みたいな顔つきになっている。が、思い出して欲しい。これは任務でもなんでもない。休日のドライブだ。銃はあくまで護身用。
「私、冷静さを欠いていましたか? では内藤さんが指揮を執ってください。従います」
「いや、そうじゃなくて。給与外労働にしては、あまりにハードすぎないか?」
「労働? いえ、探検ごっこだと思ってます」
「探検ごっこで発砲するのか?」
「もし参加しないのなら、私一人で行きますが」
頭おかしいのかこいつは。
数少ない常識人だと思っていたのに。
俺は哀しいよ。
どうしようか迷っていると、次の瞬間、向井さんはロックを解除してドアを開け放った。
銃を手に、迷いなく中へ。
「大丈夫です。誰もいませんよ」
「おいおい……」
一人で行かせるわけにはいかない。
ついていくしかない。
*
スイッチを入れると、照明がついた。
まっしろな廊下を、パキッとした硬質な光が満たす。LEDだ。だが古くなっているのか、やや薄明るい。
さすがのフジコも引いている。
「え、向井さんって、意外とこういうの好きなタイプ?」
「好きというか、それが目的で来たので」
そうだ。
俺たちはここを調べに来た。
そして怪しいドアを見つけ、そのキーさえ手に入れた。
渡りに船とはこのことだろう。
死体さえ転がっていなければ最高だった。
通路に沿っていくつかのドアがあったが、どれもキーで開けることができた。
だが内部はなんらの変哲もないオフィス。
もちろん無人。
なぜなら今日は休日だからだ。
休まなかったヤツは死んだ。
どうせ誰もいないだろうと思い、片っ端から部屋を確認していった。
だが、いた。
電気もつけず、フラッシュライトを片手に資料をあさっていた男に遭遇してしまった。しかもそいつは銃を持っていた。
一瞬、お互いに驚いて固まった。
最初に発砲したのは男だった。パァンと炸裂音がして、壁に穴があいた。
俺は慌てて廊下へ引き返した。
向井さんは数発撃ち込んでから廊下へ退避した。
「え、やった?」
「まだやってません」
そいつはしゃがんでいたから、デスクが障害物となっていた。
まさか本当に銃撃戦をやるハメになるとは。
見ると、俺の銃には安全装置がかかったままだった。情けない。
フジコはもっと情けない。刀を抜こうともせず、「えっ? えっ?」とキョロキョロしっぱなし。こいつは本当に、どんなシーンだったら役に立つんだ?
たいした戦闘訓練は受けていない。
銃を使うのもあくまで護身。
こういうときは、ドアを閉めて、逃げる。それ以外に選択肢はない。
なのだが、向井さんは違った。
銃だけ入れて、何回も撃ち込んだ。
「内藤さんも!」
「お、おう」
彼女は間違いなくボスの血を引いている。
俺が射撃を始めると、向井さんは手際よくリロードを始めた。そしてまた射撃。
中から情けない声がした。
「ま、待て! 待ってくれ! 降参する! 命だけは助けてくれ!」
本当か?
背は低めだが、だいぶいかつい感じの中年男性だった。
どんな素性の人間かは分からない。
信用していいのだろうか?
すると向井さんは声を張った。
「投降するなら、銃をこちらへ渡しなさい!」
「信用できねぇ!」
「ならこちらも信用しません! また撃ち合いますか?」
「分かった! 渡す! 渡すから! 殺さないでくれ!」
「地面へ置いて、こちらへ蹴りなさい」
やりくちが素人ではない。
なんなんだこの子は?
本当に事務員か?
床を滑って銃が来た。
素直だな。
相手は一人だし、このまま続けても不利だと判断したのか。
向井さんはその銃を腰に差し込むと、自分の銃を構えながら部屋に入っていった。
「両手をあげて。ゆっくりと立ち上がってください」
「な、なんだ、ガキじゃねーか……」
「次に余計なことを言ったら足を撃ちます」
「黙るよ」
向井さんはガキというほどではないが、確かに小柄だから幼く見える。
歳も二十代前半といったところだろう。
詳しくは知らない。
フジコがふんと鼻を鳴らした。
「で? あなたはどこのどなた? 表の死体もあなたがやったの?」
「死体?」
「とぼけないで。撃たれて死んでたわ」
「知らねぇよ。俺はただ、金目のものを探してただけで」
それはウソだろう。
このいわくつきの施設に、ただの泥棒が入り込むとは思えない。
男は汗だくで、やたら何度も目をつむった。
緊張しているのだろう。
反撃の機会をうかがっているのかもしれない。
俺たちは、不用意に警戒を解くべきではない。
向井さんがくいっと銃を動かした。
「まだ質問に答えてませんよ。あなたの所属は?」
「いや、だから、ただのコソ泥なんだ。信じてくれ。こんなご時世だろ? まともな仕事もなくて……」
「どうやって中へ?」
「キーを拾ったんだ。ホントだ。なあ、見逃してくんねーか? まだなんも盗んでねぇんだ。へへ」
信用ならないな。
だが、うかつにもフジコが近づいて行った。
「おじさん、さっきからウソばっかりね。あんまり調子のいいこと言ってると、お仕置きしちゃうけど?」
「るせぇ!」
あまりに近づきすぎたせいで、腕をつかまれて拘束されてしまった。しかも男は、袖からナイフを取り出した。
「きゃっ」
「おう動くな! 動いたらこの女を殺すぞ!」
形勢逆転、といったところか。
男のナイフが、フジコの首筋にぴたりと当てられている。
向井さんはそれでも銃を構えていたが、狙いをつけているというよりは、あきらかに固まっていた。
顔面蒼白だ。
たぶん緊張していないのは俺だけ。
いや、緊張していないというのはウソだが、おそらくこの中では一番リラックスしているはずだ。たぶん。
「やめて! 殺さないで!」
「黙れ! 静かにしねぇと抉るぞ!? あ? お前らも銃おろせ!」
「た、助けて……」
「オラ早くしろ! 一生消えねぇ傷がつくぞ」
向井さんの呼吸は荒くなっていた。
従うしかないと思ったのだろう。
泣きそうな顔で、ゆっくりと銃をおろした。
だが、そんな顔をすることはない。
俺はトリガーを引き、フジコごと男を撃った。
パァンと室内に炸裂音が反響し、マズルフラッシュの閃光が網膜に焼き付いた。
「あがぁっ」
男は獣のような声をあげた。
俺は構わず、二度、三度と発砲を繰り返した。
男はよろよろと後退した。
もちろんフジコも無事ではない。
二人はしばらく耐えたが、やがて崩れ落ち、自らの血だまりに沈んだ。
向井さんは震えている。
目も、肩も、声も、すべてが小動物のように震えている。
「え……な……なんで……?」
「殺すつもりはなかった」
「なんで……?」
なんで?
言葉で説明するのは難しい。
俺は床へこう声をかけた。
「フジコ、もういいぜ。いい演技だった」
「……」
返事はない。
もしかして死んだのか?
向井さんもおそるおそるといった様子で覗き込んだ。
「え、生きてる……んですか? えっ? フジコさん? フジコさぁーん? あの……? ほら! やっぱり死んでるじゃないですか!」
「おかしいな」
「おかしいなじゃないですよ! なんで撃ったんですか!? 助かる方法あったかもしれなかったのに!」
向井さんは涙目で詰め寄ってきた。
いや、予定では死なないはずだったのだが……。
「ひゃあ!」
切り裂くような呼吸とともに、フジコが顔をあげた。
すると向井さんは「きゃあ!」と悲鳴をあげた。
これに驚いたフジコも「きゃあ!」と悲鳴をあげた。
なんだ?
ギャグか?
「いったぁ。マジで。いった。バカじゃないの? なんで撃ったの?」
フジコは腹をさすっている。
「やっぱり生きてたか」
「生きてたかじゃないのよ! このサイコパス! なんで撃ったか聞いてんの!?」
「サイコパスじゃない。被害を最小限に抑えようとしたら、こうなった。いいだろ、死なないんだから」
この女は「死なない」のだ。
だから不死身のフジコ。
本名は知らない。
「せっかく買った服が台無しじゃない! 弁償してよ!」
「いくらだよ?」
「二千円」
「意外と安いな……」
「あと慰謝料! ご飯おごりなさい! ファミレス!」
「安上りだな……」
本当に金のかからない女だ。
向井さんはしゃくりあげそうになっていた。
「えっ? なんで? なんで無事なんです? せ、せせ、説明してくださいっ!」
まあそうなる。
意味不明だ。
俺も最初はそうだった。
フジコはまだ痛そうに腹をさすりながら、バツが悪そうにこう応じた。
「いや、だから、特異体質っていうか……。あのー、でも生まれつきとかじゃなくて、借金のカタにクスリ漬けにされて……。あ、でも誰にも言わないで! これ結構なヒミツだから!」
「いえ、あの、全然分かりません」
「あー、えーと、分かった。じゃあ、あとで改めて説明するから。ね?」
「はい……」
しかもその借金というのが、やむにやまれずという感じではなく、「一億持ち逃げしたら働かなくて済むのでは?」的な軽いノリだったというから救えない。
こいつの体質は、あきらかに自業自得だ。
俺は溜め息をついた。
「けど、どこのどいつだか分からなくなっちまったな」
男は死んでいる。
まだ息はあるかもしれないが、すでに助かる状態じゃない。
二度と目をさますことはないだろう。
するとフジコは、俺の倍はデカい溜め息をついた。
「なんなの? どこのどいつだか分からなくなっちまったな? 誰が撃ったと思ってんのよ?」
「避けがたい事態だった」
「ジェイソン・ステイサムなら私のこと助けてた」
「そうかもな。けど俺はジェイソン・ステイサムじゃない」
「罰として、ヘアスタイルだけでもステイサムにしなさいよ」
「お断りだ」
いずれあのヘアスタイルにするかもしれないが、それはいまじゃない。
向井さんは釈然としない様子ながらも、男の死体をあさり始めた。
動揺していても、なすべきことはする。
プロだ。
事務員にしておくのはもったいない。
男の所有していたタブレット端末にはロックがかかっていたが、指紋で解除できた。
メッセージのログも残っていた。
所属は「千里眼」という組織のようだ。指示役は「目」のデザインのアイコンを使っている。
こいつのコードネームは「どんぐり」。
「工場」から「レシピ」を持ち帰るのが彼の仕事だったらしい。
ここはなにかの工場なんだろうか?
向井さんはどんぐり氏の銃をしげしげと眺めていた。
「これ、ベレッタのコピーかな。ずいぶん粗悪ですね」
「銃、詳しいの?」
「いえ、ぜんぜん。知ってるのは有名なのだけです」
じゅうぶんだ。
俺は自分の銃の名前はおろか、なにが有名なのかさえロクに知らない。分かっているのは、トリガーを引けば弾が飛ぶということだけ。あとは、撃つ前に安全装置を外さないと弾が出ないこと。
「さ、レシピを探しましょう。きっとどこかにあるはずです」
「オーケー」
きっと向井さんは、それを見つけるまで帰らないつもりだろう。
言い出したら聞かない。
どこかの誰かにそっくりだ。
(続く)