ドライブ
職場に来たはいいが、特に仕事もなかった。
そういうとき、俺は事務所のパソコンで動画を観る。
それは茨城の一般人が撮影した倉庫付近の映像だった。
青色スモッグが広がっている。
だが、特に混乱はない。
一般に、青色スモッグが発生する場合、最初にラッパの音がする。そして青黒い霧が湧き出してくる。ヒトの姿になる。人間を襲う。
この順番だ。
当初はニュース映像でも、青黒い人影がハッキリと映り込んでいた。無数のヒトが、とにかく人間を捕まえて霧散させるのだ。ところが、いまは引きの映像しか流さない。見たければ動画サイトをあさるしかない。
ともあれ、普通は人的被害が出る。
ところが、ここ数日の青色スモッグは……ただ視界を奪うだけで、これといった害も及ぼさなかった。
もし害があるとすれば、フジコをヘコませたくらい。
あいつは霧の中でなにかを見たんだろう。その「なにか」は不明のままだが。
いまフジコは……PCでおそらくエロサイトを見ている。眉をひそめ、集中した表情でマウスを動かしている。
ボスが部屋から出てきた。
「明智から報告があがった」
プリントを手にしている。
明智というのは、うちのインテリジェンスチームだ。
そのデータを、ボスは印刷してから読んだのだろう。
ボスが腰をおろしたので、俺たちもそこへ集まった。
「先日、水輪の敷地に行っただろ? あそこの霧の発生パターンを分析してもらった。その結果がこれだ」
「はぁ」
グラフが出てきた。
これは気象庁から引っ張ってきたものだろうか。いや自治体か。ともかく公式なものだろう。
「なにか気づかないか?」
「霧の発生に周期があるような印象を受けますね」
「正解だ。だがもっとよく見てみろ」
「えーと……」
山あり谷ありの棒グラフだ。
規則性があるように見える。
だがそれだけだ。
するとフジコが「あっ」と声をあげた。
「分かった! 土日はお休み!」
「……」
俺はつい顔をしかめた。
そんなバカな。
あれが自然現象かどうかは疑問の余地があるにしても、人間が勝手に決めた曜日とはさすがに無関係だろう。
そう思ってグラフに目を落とす。
本当だ。
土曜日と日曜日には、霧が発生していない。
なんだこれ?
ボスは神妙にうなずいた。
「あくまで俺の推測だが、あの近辺には霧を発生させるなにかがある。そしてそのなにかは、人の手でコントロールされている。だから土日はお休みってワケだ」
俺はつい鼻で笑った。
「そんなお役所仕事みたいな……」
「きっとお役所仕事なんだろ」
ボスは真顔だった。
えっ?
つまり政府が?
いや第三セクターがそれをやっていると?
「だが、俺たちのよく知る霧とは性質が違いすぎる。ラッパは鳴らないし、人も襲われない。だからこれは、霧を模してつくられた別物だろう」
「政府が似たようなものを作っていると?」
「おそらくな」
霧の多発地点は、すでに把握されている。
だから多くの人は、その手の場所は避けている。現在、あまり大きな被害は出ていない。
俺は言おうか言うまいか迷ったが、念のため確認することにした。
「えーと、つまり、あの周辺を探れば、霧の発生装置が見つかるかも……ってことですか?」
「そんな顔するな。お前に探らせたりしない。やったところで一円にもならないからな」
それもそうだ。
依頼主もいないのに仕事なんて。
しかも探ったところで、政府に目をつけられるだけ。
そんな誰も得しないボランティアをするヤツがいるとすれば、きっととんでもない暇人だけだ。あるいは頭がどうかしているか。
*
ボスは資料を置きっぱなしにしたまま、誰かの電話で事務所を出て行ってしまった。
またやることがなくなった。
席に戻ると、フジコがぐっと顔を近づけてきた。
「あのさ」
「おわ」
なんだこいつ!?
足音もなく人の背後をとりやがって。
「そんなに驚かないでよ。それより、今度の休み、暇だったりする?」
「暇じゃねーよ」
「なんか予定あるの?」
「たぶんな」
いや、予定などないし、間違いなく暇だ。
だが俺には分かる。
こいつはいまから、とんでもなくクソみたいな提案をしてくるはず。決して応じてはならない。
フジコは空いている椅子に腰をおろし、また距離をつめてきた。
「ドライブでもどう?」
「断る」
「は? 美女とドライブできるのよ? あなたに断る権利あるの?」
「どうせ水輪の敷地を探らせるつもりだろ?」
「正解」
ニヤリと笑みを浮かべた。
こいつはもともとマネキンみたいな顔だから、笑顔がとんでもなく怖い。
「勘弁してくれよ。俺は金にならない仕事はしない主義なんだよ」
「ダサいわね。それでもちゃんとタマついてんの?」
「どうだろうな。少なくとも最後に確認したときはついてたが」
向井さんがいるのにセクハラするのやめて欲しいな。
するとその向井さんが、なんとか笑みを浮かべてこちらへ来た。
「あの、もしよければ私が付き合いましょうか?」
「はい?」
この疑問は俺とフジコの両方から出た。
向井さんが付き合う?
つまりフジコのクソみたいな提案に乗るということか?
「私、フローターの運転もできますし、銃も扱えますから」
意外な事実が発覚してしまった。
フローターはいい。
高校生でも運転できる。
だが銃はどうだ?
高校生はおろか、社会人でも扱えない。いやトリガーを引けば弾は出るとして。それだけだ。扱えるというレベルじゃない。
フジコも目をパチクリさせている。
「え、向井さん……正気?」
「正気ですよ。それとも、私じゃ頼りないです?」
「いや、えーと……」
目が泳ぎまくっている。
自分でクソみたいな提案をしておいて、なぜ俺に助け舟を求めるのか?
だが、向井さんを行かせるわけにはいかない。
「分かった。俺が行くよ。だから向井さんはムリしないで」
すると反論は向井さんから来た。
「ムリなんてしてません」
「ああ、ごめん。別に頼りないとかじゃなくて……。道、分からないだろうし」
「道は知ってます。ナビもありますし。それに、私も行きたいんです。人為的に霧を発生させるなんて、どうやってるのか……」
いつもはにこやかな向井さんが、どこかムキになっているように感じた。
そんなに行きたいのか?
フジコがあたふたし始めた。
「や、でも危ないかもだから、向井さんは行かないほうがいいんじゃないかな?」
「なんでですか? 私、いたら邪魔ですか?」
「いや、邪魔とかじゃなくて……。なんかあったらボスに殺されちゃうし」
「ボスは関係ありません」
火に油を注いでしまった。
彼女は確かにボスの娘だが、自立した一人の大人でもある。ボスのことを持ち出すのはよくなかった。
俺は溜め息を噛み殺し、こう切り出した。
「分かった。なら三人で行こう。ただ、危険と判断したらすぐ引き返すこと。俺も死にたくないしね。それでいい?」
「はい」
もしボスがいたら、きっと止めていただろう。
いや、あるいは俺が止めるべきなのかもしれない。
だが、言って聞くような雰囲気じゃなかった。
強く反発して無視されるより、同行して流れをコントロールしたほうがいいだろう。たぶん。少なくとも最悪な選択肢は回避して、少しマシな選択をできたはず。
こういうのを「場に流される」というのかもしれないが。
とはいえ、依頼ではないから、配達すべき荷物もない。強奪犯も来ない。あの辺で発生する霧も無害だと分かっている。
想定外のトラブルさえなければ、本当にただのドライブで終わるはずだ。
*
秋ではあったが、やや夏を思わせる暑さだった。
風が吹けば涼しいのだが、それがなければぬるま湯の中にいるようだ。日差しも強い。
空は水色。いや青白いというべきか。
どこかよどんでいるのに、目には清々しい印象がある。
ともあれ、現地だ。
駐車場にフローターを停めて、歩き始めた。
「ここが最初の現場。まあ見れば分かるか」
道路に血痕が残っている。
どうせ誰も来ないと思って、ろくに清掃もされていない。
遺体は回収されているから、警察は来たはず。
これが事件として処理されたか否かは不明。この業界、不明なことが多すぎる。まあ俺に面倒が舞い込まないならなんでもいいが。
フジコはキョロキョロしている。
夏みたいなキャミソールを着ている。肩がつやつやしていて、作り物みたいだ。きっと無言で立っていたら、マネキンと区別がつかない。
「どうだ? なんかあるか?」
俺がそう尋ねると、フジコはぐっと表情をしかめた。
「どうだ? なんかあるか? なんでそんな他人事なの? あなたも探しなさいよ」
「なにを探せっつーんだよ」
「なにかよ。探偵なんでしょ?」
「探偵じゃない。ただのパシリだ」
しかも安月給だ。
だいたい、俺は探偵の真似事さえしたことがない。
ボスは浮気調査やネコ探しなんかもしているらしいが……。
「向こうの区画が、第二の現場ですよね? ホントに近い」
向井さんは、手にしたタブレットで位置を確認していた。
秋らしい涼しげなワンピースがよく似合っている。
あのいかついボスの遺伝子から、こんなに可憐な娘が生まれてくるとは。きっと母親似なんだろう。そうとしか考えられない。
俺は特に真面目にやる気もなかったから、適当にそこらを散策した。
あくまでなにかを探すフリだ。
なのだが、イヤなものを見つけてしまった。
血痕がある。
しかも古いものではなく、新しいものだ。まだ赤い。派手にぶちまけられている感じではなく、点々と落ちている。
それが路地裏まで続いている。
見なかったことにするか……。
「ちょっと内藤さん! なにぼうっと……」
フジコが大股で近づいてきた。
しかも血痕を見つけてしまった。
「ご覧の通りだ」
「え、事件?」
「いや、通りがかった誰かが、鼻血でも出したんだろ」
「誰かって、誰よ?」
「さあ」
俺はつい路地裏へ目をやってしまった。
奥の方は見えない。
きっと「いる」んだろう。
いや、逆に、そこから出てきてどこかへ行った可能性もある。その場合、乗り物でどこかへ移動したことになる。血痕が途切れているからだ。
選択肢はそう多くない。
1.見なかったことにして立ち去る。
2.警察に任せる。
3.自分たちで路地裏を確認する。
だが俺に意思表示する猶予はなかった。
なぜなら向井さんが拳銃を抜き、両手で構えて路地裏を覗き込み始めたからだ。
「私が先頭に立ちます。二人はバックアップをお願いします」
「えっ?」
鋭い眼光だ。
こちらに選択肢はない。
フジコも「腕が鳴るわね」などと意気込んでいる。
おそれを知らぬというのは、いいことばかりではない。危険を危険だと分からなくなるし、なにより一円にもならないことに首を突っ込んでしまう。
もし怪我をしたらマイナスだ。
おとなしく家でネットでもしているほうが、はるかにマシだったろう。
(続く)