輪
じつは内心、かなりビクビクしていたが、誰かに追い回されるということもなかった。
宛先は群馬の公園。
その一番奥のトイレが修理中になっているので、上からバッグを投げ入れてくれとのことだった。もちろんキーも一緒に。でないと爆発してしまう。
「こちら内藤。所定の位置に荷物をポストしました」
『ああ、よかった。無事に終わったんですね。依頼人へはこちらから連絡しておきます』
「ありがとう」
『それで、どうします? もし宿をとるなら、私が手配しますけど』
「いや、帰るよ。向井さんも、俺らのことは待たずに帰っていいよ」
『そうします。お疲れさまでした』
「お疲れさま」
通信を終えて、俺はぐっと伸びをした。
事務員が向井さんでよかった。
ボスだったら少しも疲れがふっ飛ばない。
フジコがジトリとした目でこちらを見ていた。
「おうおう、なんだかいい感じじゃんよ」
「やめてくれよ」
小学生かよこいつ。
仕事の役に立たないだけならまだしも、煽ってくるとは。こっちはいちおう職場の先輩だぞ。先輩風ビュービューに吹かすぞ。
「けど内藤さん、向井さんのこと好きでしょ?」
「人柄は好きだけど、恋愛感情はないよ」
「おやおや、強がっちゃって。それともアレですか? ボスの愛人だから、ビビって手が出せないと?」
「大いなる誤解があるな」
「誤解? なにが?」
きょとんとしている。
まあ、彼女の誤解も分からなくはない。
向井さんはボスと親しい。だいたい事務所で二人きり。昼飯も一緒に食っている。たまにディナーも一緒。だが、愛人ではない。
「あー、絶対に言わないでくれよ? いや、言ってもいいけど、そのタイミングは適切に」
「だから、なに?」
「あの二人、親子なんだよ」
「はぁ? えっ? はぁ? 親子?」
そう。
親子だ。
フジコは星空を見上げ、首をひねり、そしてまたこちらを見た。
「は? いまなんて?」
「疑うな。受け入れろ」
「いや、だって苗字違うじゃん」
「奥さんと離婚してるから」
「え、なにそれ? 重い話?」
いまどき珍しいことでもないだろう。
いや、珍しい点はあるが。それは向井さんが、あの父親の事務所を守るため、低賃金で事務員を引き受けていること。関係は円満だ。
「重い話かどうかは知らない。俺もあんまり深く聞いてないからな。ただ、本人の前では言わないでくれよ? 言いふらすような話でもないしさ」
「言えるわけないでしょ」
つまり向井さんに手を出すということは、ボスの娘に手を出すということになる。
だいたいなんなんだ「ボス」ってのは。
「社長」じゃダメだったのか?
まあ本人が「ボス」って呼んで欲しいようだから、いちおう従ってはいるが……。
フジコは首のストレッチを始めた。
「ま、仕事も終わったことだし、撤収しましょう」
「はいよ」
*
だがいったん事務所へ寄ることになる。
フジコには家がないから、事務所に住みついている。俺は彼女を事務所に届けてから、自宅へ戻ることになる。
つまりフジコを仕事に連れてくると、「送迎」という余計な仕事が増えるのだ。無給で。
なければまっすぐ自宅に戻れるのに。
深夜の道路。
走っているのは俺たちだけ。あるいはたまにトラックが通るくらいか。
街灯だけが流れ去る。
ほとんど誰も通らないのに道だけがある。
まだ人類がたくさんいたころの名残だ。もし需要がないと判断されれば、いずれ整備もされなくなり、ボロボロになり、そのうち閉鎖されることになるだろう。
いまはまだ、豊かだったころの資産が使えている。
赤信号だったので、俺はフローターを停車させた。
横切る車もないのに、我ながら律儀なことだ。
スピーカーから音楽が流れて、後ろでフジコが鼻歌を歌っている。いつもなら大声で歌っているところだが、いまは控えめだ。
ドーンと音がした。
やや遠く。
爆発だろうか?
いったいなにが……?
まさか公園の荷物か?
ちゃんとキーは置いてきたはずだが。
通信機がビービー鳴り始めた。
運転中の俺の代わりに、フジコが取った。
機械の合成音声のような、妙な抑揚の音声が流れてきた。
『安心してください。あなたたちの仕事はとどこおりなく完了しました。次回もよろしくお願いします』
そして切れた。
いったいなんだ?
「誰からだ?」
「表示されてない」
露骨に怪しい。
普通に考えれば算法技研だろう。なぜなら依頼人は彼らだからだ。
なぜ素性を隠す?
*
翌日、事務所にポラリスの二人が来た。
不手際のお詫びにでも来たのかと思ったが、どうやら違ったらしい。ボスがなにか説明するために呼び出したようだ。
大手事務所の社員が、弱小事務所に呼びつけられてホイホイやってくるとは。あいつらのプライド的に問題ないのだろうか。
ソファもないから、どんな客であろうとキャスター付きのオフィスチェアに座らせることになる。もっとも、今回の連中は客でさえないが。
ミーティングには俺とフジコも参加した。
「呼びつけてすまない。だが、大事な話だ」
ボスの言葉に、ポラリスの上司は恐縮し、各務は「なんでわざわざ俺たちが」という顔をしている。どんなパワーバランスなのかはよく分からない。
「じつは今回の依頼主である算法技研だが……。実在しないことが分かった。どこかのダミー企業だな」
「……」
ボスの言葉に、俺たちは反応できなかった。
実在しない?
ダミー企業?
いや、そういうケースもないわけじゃない。
後ろめたい連中は、ダミー企業を使う、偽名を使う、他人の名をかたるなど、様々に偽装して仕事を依頼してくる。いちおう報告用の連絡先はあるが、それもすぐ不通になる。
しかし今回は、職員がここへ来た。
顔まで見せたのだ。
やってることがちぐはぐだ。
俺は思案しながらこう尋ねた。
「えーと、じゃあ……。誰か別の人物が?」
マヌケな質問だ。
ダミーを使っているということは、必ず別の人物がいる。
その正体が分かっていたら苦労しない。
ボスも溜め息をついた。
「まあそうなるな。正体は分からないが。だが、インテリジェンスチームに調べさせたところ、あの辺一帯が、水輪オフィスプラザという第三セクターの所有地であることが分かった」
「第三セクター?」
「政府と民間が共同で運営している組織……のようなものだ」
「なんかヤバい組織なんですか?」
「いや、ただの事業組織だ。表向きはな。だが期待するな。裏側も分からん。だが怪しいことは間違いない。いまインテリジェンスチームが解析を続けている」
なにがインテリジェンスチームだ。
落ち武者のようなおじさんが一人でパソコンをいじっているだけだろう。彼は出社しないから、俺もほとんど会ったことがない。
各務が溜め息をついた。
「じゃあ、なにも分かってないってことですか?」
なにも分かっていないのに、弱小事務所が、大手事務所の社員を呼びつけたのか、という抗議の言葉に聞こえた。
すると上司が頭をさげた。
「すみません、芝さん。こいつにはあとでしっかり教育しておきますんで」
「気にするな、越水。彼の言う通り、俺たちはまだなにもつかめてない」
ボスは弱々しい笑みを浮かべた。
この二人は、なにかつながりがあるらしい。
ボスはこう続けた。
「だが分かっていることもある。内藤が荷物を届けた群馬の公園。あの辺を、別の第三セクターが買収にかかってる」
これには越水が「別の?」と聞き返した。
「風輪開発機構だ。偶然かもしれないが、どこかで似たよな名前を見たよな」
ボスは印刷された資料を出してくれた。
そこには「水輪オフィスプラザ」「風輪開発機構」と並んで「火輪」「地輪」「空輪」の字が記されていた。
水輪、風輪、それに火輪、地輪、空輪……。
世界は、これら五大要素で構成されている、と、昔の人は考えていた。
ボスはすっとサングラスをかけ直した。
「ただの偶然かもしれない。だが、なにか関係があるかもしれない」
各務が首をひねった。
「政府が絡んでるんですよね? こんなバレバレなことしますかね?」
「俺たちが調べもしないと思っているか、あるいはバレても構わないと思っているんだろう。実際、似た名前の組織が偶然出てきただけの話だからな」
その通りだ。
「この資料、いただいても構いませんか?」
越水がそう尋ねると、ボスは肩をすくめた。
「いや、記憶して帰ってくれ。こいつはあとでシュレッダーにかけておく」
アナログにはアナログのメリットがある。
通信しないから、傍受されない。ログも残らない。ネットでやり取りすれば必ず足がつく。もっとも、うちのインテリジェンスチームがパソコンで「検索」している以上、誰かが本気になれば必ず足はつくと思うが。
*
だがボスの推理はアタリかもしれない。
数日後、茨城県内の倉庫で爆発騒ぎがあった。しかも爆発しただけでなく、大規模な青色スモッグまで発生したのだという。
おかげで消防は足を踏み入れることができず、ただ経過を見守ることしかできなかった。
さて問題は、その倉庫が「火輪エネルギー開発」なる第三セクターの敷地にあったことだ。正確には、第三セクターに出資している民間企業の倉庫だが……。まあ同じようなことだ。
五つの輪のうち、三つまでもが埋まってしまった。
残りの二つも、この国のどこかで暗躍していることだろう。
(続く)