帰ってきた男
久々の東京は、荒み果てていた。
地方に比べて人口が多いこともあり、諸外国ほどではなかったが、暴動もそれなりに激しかった。道は瓦礫まみれで、ビルもボロボロのまま放置されている。
誰も管理していないのだ。
管理する余裕もない。
道端には、暗い目をした人々が寝そべっている。
俺はフローターを走らせながら、リムジンを追った。
目的地は芝商店。
社会がこんなザマなのに、いまでも探偵ごっこでメシを食えているのか怪しいところだが。
*
なつかしの雑居ビル。
相変わらず書類まみれの、狭いオフィスだった。
「よう、久しぶりだな」
「お世話になります、ボス」
俺は頭をさげた。
久しぶりに見るボスは、雰囲気は以前のままだが、少し老いて見えた。おそらく五十も半ばだろう。あと数年で還暦だ。
事務所には、意外な人物もいた。
「あ、やっと来た。てか、なんか元気なくない? ちょっとおっさんになった?」
みーこだ。
パーカーを着てギャルとしか言いようのない雰囲気だが、彼女ももう二十半ばだろう。頭がプリン状態になっている。
隣には目つきの鋭い兄もいた。
こちらは以前となにも変わっていない。普段から鍛えているのだろう。まったく衰えが感じられない。まだ三十代だろうから、あるいは以前より精強かもしれない。
ロクな椅子のないオフィスだが、EXEはそれでも一番マシなのに腰をおろした。執事はその後方へ。
「揃いましたね。では始めましょうか」
*
二時間後――。
ほとんど内容のないミーティングを終え、俺たちは外へ出た。
一緒に出てきたのはEXEと執事、それとみーこの兄だ。じつはまだ名前を知らない。みーこ本人は事務所に残った。
「また一緒に仕事ができて嬉しいよ」
彼はそんなことを言った。
人を寄せ付けないような見た目だが、意外とフレンドリーだ。
「こちらこそ。山崩さんは、いまでもカルトと戦ってるんですか?」
「ああ。分裂したとはいえ、しつこく活動してやがるからな。教祖もいねぇってのによ」
内部告発のせいで、霧を使った発電は延期になった。
そのまま続報はない。
彼はフッと不敵に笑った。
「次は現場だな。楽しみにしてるぜ」
「お互いに」
バイクにまたがって行ってしまった。
ともあれ、山崩が共同で出てくれるなら心強い。
あとは、来る途中で検問にかからないことを祈るだけだ。
俺もフローターにまたがった。
このあとは、リムジンに先導してもらい、新しい家へ行くことになっている。
住む家をEXEに手配してもらったのだ。
ずっと車の外で立っていた執事が、こちらを見た。
「出発しても構いませんか?」
「いつでもどうぞ」
*
春の東京は、意外と空気がきれいだった。
ロクに車も走っていないし、経済活動もないせいだろう。残念なことに、治安もよくない。棒切れをもって道路に飛び出してくるヤツが何人かいた。
執事が窓から銃を出しただけで慌てて逃げたが。
いや、それよりも気になることがある。
リムジンの進路だ。
ずいぶん都心へ行く。
いくらか地価はさがっているかもしれないが、こちらもあまり貯金がないから、できるだけ安くないと困るのだが……。
などと思っていると、見慣れた洋館に到着してしまった。
リムジンが停車し、EXEがおりてきた。
「ここがあなたの家です」
「はい? 俺の? なら、あんたらはどこに住むんだ?」
「ここに住みます」
「……」
そう。
こいつらの豪邸だ。
住むところを手配したとかいうから、てっきりどこかを借りてくれたのかと思ったのに。ここに住めということだ。
おそらく部屋は余っているのだろう。
鬱蒼とした森に囲まれた、古びた洋館。いかにもホラー映画に出てきそうな外観だ。
こんなに怖いのでは、夜中にトイレに行くのも一苦労だろう。
執事が近づいてきた。
「さ、中へ。お食事の支度をいたします」
「いいんですか、メシの世話まで……」
「ええ。そもそも私たちの都合でお呼びしたのです。それくらいはさせていただきますよ」
至れり尽くせりだ。
*
天井の高い、大きな食堂だった。
中央には長テーブル。
花瓶には謎の花。
いかにもフルコースでも出てきそうな雰囲気だ。
ところが、いま俺の目の前にはカップラーメンがある。
嫌がらせではない。
EXEの前にも同じものがある。
「カップ麺か……」
俺がつぶやくと、EXEはなぜか勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「あら、まさか食べたことがないのですか?」
「そんなわけないだろ」
「これはじつに楽しい食べ物です。獣のエサにも劣ります。栄養もお粗末。旧時代の生活をエンジョイするにはうってつけです」
「そうかよ」
宇宙人にとっては、旧時代の生活を追体験するためのツールというわけだ。
こっちにとっては日常の食べ物だってのに。
「ご覧なさい、この箸とかいう食器。人は自らを罰するために、このような拷問器具を編み出した……。いったなぜなのかを想像するだけで、知的好奇心が刺激されます」
「フォークで食えよ」
「それでは風情が損なわれます」
信じられないほどひどい箸の持ち方だ。
いや、俺はマナーにうるさいわけじゃない。
食えればなんだっていい。
だが、彼女の持ち方は、ようやく箸を使い始めた幼稚園児レベルだ。親指と小指で挟んでいる。あの持ち方でラーメンを食えるのか?
「あっつ!」
案の定、うまくラーメンをつかめずに、跳ねたお湯でダメージを受けた。
執事はテーブルにつかず、孫でも見るような優しい表情で見守っている。
まあ本人たちがいいならそれでいい。
俺は構わずラーメンをすすった。
想像通りの味だ。
塩味が少し濃い気もするが、これくらいジャンクなほうがカップ麺らしくていい。お上品なカップ麺はカップ麺とは言えない。
数秒前まで楽しげだったEXEは、もはや表情を消していた。
「見せつけてくれますね……。しかし箸を使えるからといって、他者より優れている証拠にはなりません。どうかお忘れなく」
「ああ、おぼえておくよ」
悔しいならそう言えばいい。
それとも、宇宙人としてのプライドが許さないのか。
*
食事を終えると、紅茶が出てきた。
無駄のないデザインの、白磁の食器。かおりもいい。さっきのカップラーメンとのグレードが違いすぎる。
EXEはまだ不満そうな顔をしている。
「ま、私は箸の初心者ですから、あれでも上出来なほうでしょう」
「俺は左手でも箸が使える」
「はて? いまのはマウントでしょうか?」
「気のせいじゃないか?」
俺は紅茶をすすった。
熱すぎず、かといってぬるくもなく、じつに飲みやすい。
「ところで、執事の方は、お食事は?」
俺がそう尋ねると、彼は笑顔でこう応じた。
「ご心配なく。のちほど摂取します」
摂取……。
EXEが補足してくれた。
「旧時代の食べ物は口に合わないのだとか」
「よほど立派なモノでも食ってるんだろうな」
しかし俺の皮肉は無視された。
「せっかく同じテーブルを囲んでいるのですから、少しお話ししませんか? たとえば海底人のお話しなどは?」
「なにか教えてくれるのか?」
「彼らが地上へ介入した理由を、まだ教えていませんでしたね」
*
地上の人間が海を汚しすぎたせいで、海底人が怒った。
ごく簡単に言うと、そういうことだ。
ところが海底人も、いろいろ海に垂れ流していたらしい。人類が活動した結果、自然環境が汚染されるのはお互い様だった。
だが、地上の人間はやり過ぎた。
海底人の許容範囲を超えた。
海底人は、まずは宇宙人に打診した。
地上をなんとかできないかと。
だが宇宙人は、地球への干渉を拒み続けた。
海底人は焦り始めた。
地上における唯一の窓口だったアメリカは、いちおう話を聞きはするものの、状況の改善に前向きではなかった。
シビレを切らした一派が、地上を変えるべく動き出した。
かくして「霧」が使用された。
これには複数の意図があった。
一、地上のレベルをあげ、宇宙人の介入を誘発する
同調傾向の高い人間を減らすことで、地上のレベルをあげようともくろんだ。レベルがあがれば、自動的に宇宙人が介入してくるはずだった。
これは失敗。
二、霧を使った発電を普及させ、汚染を減らす
霧を蔓延させた上で、霧による発電技術を伝えれば、人類は海を汚さずに電力を得るようになる予定だった。
発電技術は、もともと宇宙人からもたらされたものだが、それをこっそり地上へリークしたようだ。
こちらも達成できず。
三、地上の人間たちに、クイーンの存在を知らしめる
意味不明に思えるが、彼らにとっては重要なことだ。
地上へ攻撃を仕掛けた過激派どもは、クイーンを神と崇めるカルト教団だった。
連中は、地上の人間にもクイーンを崇めるよう押し付けるつもりだったらしい。宗教を使って地上を支配するプランだったのだ。
俺たちは、地上のカルトだけでなく、海底のカルトにも苦しめられていたことになる。カルトは正しさよりも、目的を優先させるから怖い。
*
「やってることはクソとしか言えないが、理屈は分かった。それで、海底人はなぜフジコを? あいつを誘拐して、なにを目論んでるんだ?」
俺の問いに、彼女はゆっくり紅茶を味わってから応じた。
「姉を霧に触れさせないためです」
「それだ。ずっと気になってたんだが、なぜ霧はあいつを避ける?」
「偶発的な事故により、姉は生死を超越した存在になってしまいました。この変異は、私たちの社会でも禁止されています。完全な不死ではありません。たとえば高温で焼却するなど、回復スピードより早く傷つければ死滅します。ただ、人類の定義から外れた存在なのは間違いありませんから、もし霧が取り込んでしまえば、拒絶反応を起こします」
「拒絶反応?」
焼却云々の話は聞かなかったことにしよう。
あまりに物騒すぎる。
EXEの回答はこうだ。
「群体が崩壊します。すなわち同調していた精神を包摂できなくなり、群体は群体として成立しなくなります。このとき凄まじいエネルギーが生じるため、姉を中心に半径数キロメートルにわたって焦土と化すでしょう。衝撃で地軸もずれるため、気候が変動します」
霧が避けてくれてよかった。
ヘタしたら俺も蒸発していたところだ。
「なるほど、発電に応用できるわけだ」
「そう。あれは高レベルのエネルギー体なのです。ですので海底人たちは、姉を幽閉し、絶対に霧に触れさせないよう隔離したようです。実験や解剖が目的なのではありません」
それは隔離が必要だな。
むしろ二度と表に出すべきじゃない。
危険すぎる。
すると彼女は、目を細めてこちらを見た。
こういう、人を軽蔑するようなツラは、姉に似ているかもしれない。
「もしかしていま、姉を隔離しておくべきだと思いましたか?」
「まさか。むしろ、どうやって救出しようか考えてたところだ」
「ええ。信じましょう。あなたの大事な人を霧から復元できるかどうかは、私の機嫌にかかっているのですから。もちろんその機嫌を損ねるようなマネはしないはずです」
「も、もちろんだ」
こいつは本当に、自分の立場をフルに使ってきやがる。
もう箸でマウントを取るのはやめよう。
危険すぎる。
ふと、執事が近づいてきた。
「お嬢さま、そろそろお時間です」
「分かりました」
すっと立ち上がった。
「なにかあるのか?」
俺が尋ねると、彼女はうっすらと笑みを浮かべ、こう応じた。
「『帰ってきたポルチーニ』の再放送です」
「は?」
「ネットでいつでも観られる、などと、哀しいことを言ってはいけません。こうして放送時間に縛られて、生活を拘束されるのは、いかにも旧時代らしくありませんか? この不便さをエンジョイしませんと」
前にフジコが言ってた「シン・ポルチーニ」とやらのお仲間か?
姉妹揃って同じ作品のファンというわけだ。
「よろしければあなたも一緒に視聴しませんか?」
「いや、いい。途中から観ても分からないだろうし。少し考え事をしたい」
「考え事? ええ。深く考えるべきですね。それをやめてしまえば、私たちなどサル同然です。霧にさえ敗北してしまう」
大袈裟だ。
俺はポルチーニの話を見たくないだけだ。
ともあれ、海底人の意図は分かった。
なぜフジコが誘拐されたのかも。
問題は、どうやってフジコを救出するのか、だ。
いや、俺が考えずとも、賢い宇宙人サマがとびきりのプランを立ててくれるだろう。今日はもうなにも考えたくない。ビールを飲んで寝たい。
(続く)




