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サノバガン  作者: 不覚たん
第二部 白
31/36

六年後

 例の事件から五年……いや、六年は経ったか。

 俺は春の花粉に苦しみながら、フローターにまたがって荷物の配送をしていた。


 ポラリスはやめた。いまは地方で運送の日雇いをしている。フローターで悪路を踏破し、山奥へ荷物を届けるのだ。


 EXEの予告通り、国境はなくなった。

 突如現れた海底人が地球の統治を宣言し、実際、その通りになった。地上の戦力では彼らに勝てなかったのだ。

 世界のどこでも暴動は起きた。

 だが、この老朽化した日本では、その暴動も散発的なものだった。暴動するにもエネルギーがいる。ほとんどの人間は、もう、自分の意思で未来を選ぶことをあきらめていた。


 いまは安定期に入り、生活も元通りになっている。

 そう。

 元通りだ。

 平和といっていい。


 みんな疲れ切って、生きること以外、なにも望まなくなった。あるいはその生きることさえ……。


「お荷物です」

 イヌに吠えられながら、俺は農家へ荷物を届けた。

 山に囲まれた日当たりの悪い家だ。日当たりのいい場所はすべて畑にあてているから、人の住むところはだいたい日陰になっている。保管庫も兼ねているから仕方がない。

 ここでは、腰のまがった老婆が一人で畑を管理している。

「はいはい、ご苦労さんね。あのね、みかんあるから。いっこ持ってって」

「いつもありがとうございます。なんか来るたびに……」

「いいのいいの。いっぱいあるんだから」

 しわだらけの手で、みかんを押し付けてきた。

 いわゆる夏みかんだろうか。冬に食べる定番のタイプより皮がかたい。


 *


 事務所へ戻ると、上司に呼ばれた。

「内藤さん、お客さん来てるよ」

「えっ?」

「東京からいらしたって」

「はぁ……」


 東京――。

 遠い過去の出来事のようだ。

 いや、実際、五年も経てば過去の話か。


 安っぽいミーティングルームで待っていたのは、予想外の人物だった。

 来るとすれば、どうせフジコだろうと思っていたのに。


「お久しぶりです」

 彼女は立ち上がり、そう言って笑顔を見せた。

 最後に会ったときと全然変わってない。

 向井さんだ。

 スーツを着ている。新人の営業スタッフみたいだ。


「お久しぶり。よくここが分かったね。どうしたの急に?」

 俺はそう返しながら、内心、イヤな予感をおぼえた。

 彼女が来たということは、ボスになにかあったのではないか……。


 向井さんは笑顔を消して、神妙な表情を見せた。

「内藤さん、うちに戻って来ませんか?」

「戻る? なにか特別な事情が?」

 戻る気はなかった。


 俺はできる限りのことをした。

 なのに、地上の人間たちは、自力で回復できなかった。

 あれ以上のことをしろと言われても、ちょっと難しい。


 国境はなくなり、国家もなくなったのに、日本政府を自称する団体はまだ抵抗を続けていた。五つに分裂したカルトも活動を継続している。きっと他の連中も同じだろう。

 海底人の刑法では、秩序を乱したものは霧の刑に処される。

 誰にも勝ち目はない。

 抵抗できそうなのは、霧の通じないフジコくらいだろう。いまどこでなにをしているのかも不明だが。


 向井さんは、テーブルに小型の黒いケースを置いた。

「これを……」

「なに? メモリ?」

「いえ、小型のスピーカーです。有害な霧を無効化できます」

「え、いまこんなに小さくなったの?」

 腰が抜けそうなほど重かったのに。

 だが、彼女は首を横に振った。

「内藤さんが運んだのは、広範囲に反応させるためのスピーカーで。個人用のは、もともとこれくらいのサイズだったそうです」

「そうなの。これ、くれるの?」

「次の仕事に必要になると思います」

 ジョークを言っている顔ではない。


 俺はあえて鼻で笑った。

「まだ受けるとは言ってない。受け取れないよ」

「いえ、受け取ったほうがいいと思います」

「それは脅しかな?」

「半分はそうです。でも、もう半分は心配だから……」

 さすがというべきか、彼女は動揺を表に出さなかった。

 だが、言ってる内容は異常だ。


「どんな依頼なのか、聞くだけ聞いておこうかな」

「じつは海底人も一枚岩ではないそうです。地上を支配した過激派と、地上には手を出すべきではないという穏健派に分かれて争っているのだとか」

「どこも似たようなものだな」

 少なくとも、海底人すべてが愚かでないということは分かった。

 仮に善政を敷いていようが、いきなり横から現れて強制するのは蛮行そのものだ。


「その過激派に拉致されたフジコさんを、施設から救助して欲しいのです」

「拉致された? フジコが? まあ特異点みたなヤツだったからな……。けど、そんなヒロイックな依頼、俺みたいな個人じゃ難しいぜ。業界の大手に頼めばいいのでは? あそこなら設備もエージェントも揃ってるはず」

 彼女の回答はこうだ。

「ポラリスなら、作戦に失敗しましたよ」

「おいおい」

 あいつらにムリなら、俺にだってムリだろう。

 向井さんは、しかし淡々とこう続けた。

「もちろん内藤さん一人を行かせるつもりはありません」

「誰が来るんだ?」

「それは守秘義務がありますので、いまは……」

 守秘義務?

 芝商店のエージェントといえば、秋田と宮崎にそれぞれ一人いるだけだ。まさか向井さんが出るつもりか? 腕が確かなのは認めるが……。


「依頼主については、守秘義務がないので、教えることはできますが」

「いや、いい。余計な情報を知ると危険が増える。悪いけど、その仕事は受けられない」

 日雇いだから、この運送会社をやめるのはいつでもできる。


 海底人は、地上の人間を滅ぼすつもりはないのだ。ただ、まともな社会になって欲しいと思っている。そのための手段はクソだが。

 わざわざ事を荒立てることはない。

 いまの生活にも不満はないし。


 向井さんはなんとも言えない顔で俺を見た。

「本当にいいのですか?」

「なにかあるの?」

「ない……とは言えませんけど……まあ、私には強制できませんから」

 これは「ある」な。

 なにかある。


 *


 スーパーで弁当とビールを買い、自宅アパートへ戻った。

 かつて住んでいたマンションはもうない。もともと親の家だった。俺が住まなくなった時点で、親が売り払ったのだ。

 いま住んでいるのは、林に囲まれた古いアパートだ。

 壁には小さなヤモリが張り付いている。


 それはいいのだが、アパート前に黒塗りのリムジンが停車している。

 露骨に怪しい。

 どこかの筋の人間が来ているとしか思えない。

 俺の部屋でなければいいのだが……。


 階段をあがり、二階へ。

 あまりに古びているせいか、一段あがるたびにぐらぐら揺れる。これはいつか壊れて事故になると思うのだが。いまのところは耐えている。


 ドアは施錠されていた。

 勝手に入り込まれた形跡はないかもしれない。


 いや、カギを開けて中に踏み込んだ瞬間、俺の想定は裏切られた。

 いる。

 それも二人。


 俺は遠慮なく溜め息をついてから、まずは靴を脱ぎ、中に入っていった。

「ふざけんなよ。なんでいるんだ?」

「依頼を受けていただきたくて」

 すまし顔で紅茶のカップを手にした、お人形のような格好の女。

 EXEだ。

 数年ぶりだからか、当時より大人びていた。二十は超えたのだろうか。


 執事もいる。

 こちらは年齢不詳だが、風貌が変わらない。

 すっと背筋を伸ばし、EXEの後ろに立っている。


 あまり散らかった部屋ではないが、それでも紅茶の似合う部屋とは言いがたい。

 優雅にティータイムなどされても困るのだが。


「依頼なら断った」

「それは困りますね。ここに住むことになってしまいます」

 真顔で言うジョークじゃない。

 いや、執事も笑っていないところを見ると、まさか本気なのか?

「前に言ってなかったか? 地球のレベルは低すぎるから、宇宙人は接触しないって」

「宇宙人としてはそうですが、しかし個人としては違います。テクノロジーも思想も持ち込まなければ、個人的な交流は許可されています。あなただって、もし旧時代の生活を体験できるなら、少しは試してみたいと思うでしょう?」

「旧時代で悪かったな」


 だが、彼女にとってフジコは姉だ。

 救いたいと考えるのは自然なこと。


 EXEが特に反論もなく茶を飲み始めたので、俺はこう尋ねた。

「けど、こういうことだろ。もし仕事を受けたとして、宇宙人からは、特にこれといった支援は受けられない」

「そうです。しかしちょっとくらいならズルできます。たとえば、すでに海底人に提供されているテクノロジーを、あなたに提供するとか」

 それなら海底人とはイーブンで戦えるかもしれない。

 きっと昼間の小型スピーカーがそうなんだろう。あんなの見たこともなかった。


「なぜ俺なんだ? もっとスペックの高いのはいくらでもいるだろう」

「もし知能や身体能力のことを言っているのなら、イエスです。ただし、体験に関しては違います」

 まあそうだ。

 フジコとはずっと一緒にいた。

 だが、それだけだ。

 一緒にいるだけなら、俺以外の誰でもできる。多少の忍耐力は要るが。


「あなたは、何度か霧に意識を飛ばされましたね。そのとき、姉も近くにいた」

「あれはなんだったんだ?」

「人工物とはいえ、濃度の高い霧を吸引すると、オーシャン……すなわち同調を体験します。クイーンの干渉を受けるわけです。ただし影響を受けるのは脳だけで、身体は変異しません」

「その言い方だと、脳は変異してるみたいだな」

 俺は遠慮なく缶ビールを開けた。弁当はあとであたため直そう。


 彼女は表情もなくうなずいた。

「適性が備わった可能性があります」

「適性?」

「あのとき、あなたは姉と同調しました。姉もあなたと同調しました。意思疎通のためのチャンネルが作られた、とでもお考えください」

 いや、勘弁してくれよ。

 だったらあのときフジコが吐いてたのは、俺と同調したせいみたいじゃないか。こっちは吐いていないのに。不公平だ。俺も吐いておけばよかった。


 こちらが困惑していると、EXEはそっとカップを置き、こう続けた。

「姉は感度が高かったため、クイーンとも同調したはずです。その姉と同調したあなたも、間接的にクイーンと同調したはず」

「それがなにかの役に立つのか?」

「彼女と対話できるかもしれません」

「そもそも、クイーンってのはなんなんだ?」


 確か、海底人が神と崇めている巨大生物だ。

 アメリカはどこで手に入れたのか、眼球を所有していた。


「あなたは蜂を知っていますか?」

「知らないと言ったら?」

 バカにしてるのか?

 知らないヤツがいるなら、ここに連れてきて欲しい。


 彼女は、しかし俺の返事など無視してこう続けた。

「蜂の女王は、他の蜂と遺伝的に差がありません。しかし摂取したものの違いによって、身体を変異させます。クイーンも同じ。もとはただの人間です。姉同様、薬品の投与による偶発的な変異でした。クイーンは、身体を保ったままオーシャンにアクセスできます。地上で発生したオーシャンの大半は、クイーンの活動によるものです」

 そいつが地上の人間を消してたのか……。


「なるほど。クイーンについては分かった。それで? 俺になにをさせたいんだ? お姉さんを探して欲しいのか? その……テレパシーみたいな力で?」

「ええ。そうなります」

 皮肉を飛ばしたのに、まったく動じなかった。

 たぶん友達いないだろこいつ。

 まあ俺も人のことは言えないが……。


「悪いが、それならアテが外れたな。フジコがどこにいるかなんて見当もつかない」

「そこで、これを使います」

 EXEがそう告げると、執事が円形のなにかをテーブルに置いた。ケーブルまみれだ。

 まさかとは思うが……。


 EXEは笑いもせず、真顔のまま言った。

「あなたの能力はまだ開花していません。そこで、この装置で能力を増幅し、姉を見つけてもらいます」

「えっ……いや……あの……」


 この「いかにもSFガジェット的なもの」を頭にかぶれって言うのか?

 正気か?

 もしこんなカッコで街に出たら、そこらのヤツに勝手に撮影されて、SNSにアップロードされてしまうのでは?

 アルミホイルをかぶるほうがまだマシだ。


「受け入れてください。地上のテクノロジーを組み合わせるとなると、これが限界なのです」

「いや、ダメだ。断る」

「姉を見捨てるのですか?」

「大丈夫だ。あいつは死なない」

「報酬は一億」

「一億でもダメだ」

 だいたい「日本円」だっていつまで使えるか分からないのだ。

 いまのところ普通に使えているが……。


 テーブル上には、金属のサークレット。

 ビールをぶっかけていいなら、そうしたい。

 デザインがあまりにもダサ過ぎる。


 EXEは真顔のまま溜め息をついた。

「では、ここに住むしかなさそうですね。爺や、紅茶をもういっぱい入れてくださる?」

「かしこまりました」

 いや、かしこまりましたじゃない。

 住むな。


 俺はサークレットを脇に避け、ぬるい弁当を食うことにした。

 せっかくの唐揚げがしなしなになっている。


 EXEはにおいにやや顔をしかめながらも、こう続けた。

「では報酬を追加いたしましょう」

「もしジョークを言うつもりなら、笑えるヤツで頼むぜ」

「霧に取り込まれた人間は、死んだわけではありません。群体の一部として生き続けています」

「えっ……?」

 箸が止まった。

 生きてる?

「過度に同調傾向の高い人間は復元できませんが、そうでなければ個体に戻せる可能性があります。ご希望であれば、どなたか復元しても構いませんが」

「ほ、本当に……?」

「ただし宇宙人のテクノロジーですから、地球上では使用できません。宇宙船まで来ていただかなくては。そうなると、私にとって好ましい人物でなければ困りますね」

「……」


 降参だ。

 こちらにはハナから選択肢などなかったのだ。

 やるしかない。


(続く)

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