予兆
数日後、また配達。
待ち合わせ場所は、前回と同じではないが、ほぼ近く。
当日はポラリスの二人も参加する。
いや、当日ではなく、前日に前乗りしたほうがよかった気もするが……。
これでは、また殺してくれと言わんばかりだ。
もしかして算法技研の連中は、荷物が爆発して霧が発生することを望んでいるのでは?
ともあれ、本日も立派な秋晴れ。
濃すぎない青空。
清々しい風。
こんな天気のいい日に、人の死体を見るのは気が進まないな。
フジコはあれからずっと無口なまま。
露骨に分かりやすい。
俺は現地付近の駐車場にフローターを停め、自販機で缶ジュースを二つ買った。
「やるよ」
「ありがと」
本当は参加したくなかったんだろう。
出発前もギリギリまで向井さんにしがみついて、行きたくないとダダをこねていた。前回は事務所にいたくないと言っていたのに。
俺は缶コーヒーをひとくちすすってから、こう切り出した。
「もし言いたくなきゃいいんだが……」
「言いたくない」
「前に来たとき、なんかあったのか?」
「言いたくない」
どうやら言いたくないようだな。
ま、聞く前から分かってはいたが。
ポラリスの面々は、道路の反対側にいる。たぶん。
今回は二方向から詰めて、犯人を挟撃する。
ただし俺たちはギリギリまで銃を撃たない。
なぜなら、挟み撃ちにして発砲すると、味方に当たる危険があるからだ。しかしポラリスは撃つ。すると俺たちに当たる危険はあるのだが……。当てないから大丈夫とのことだった。
あのクソども、逆の立場でも納得するんだろうか。
こっちは防弾ベストさえないってのに。
予算のない弱小事務所はつらい。
集合時間まであと三十分。
それまで秋の空気を堪能しながら、メンタルを整えるとしよう。無人の街は落ち着く。ほとんど貸し切りだ。日曜日のオフィス街みたいに。
無線が鳴った。
『こちらAチーム! 至急応援願う! 応答せよ!』
勘弁してくれ。
至急?
応援願う?
まだ三十分あるのだが?
ポラリスさんは時間も守れないのか?
俺は無線をつかみ、こう応じた。
「なんです? 至急って言いました? どうぞ?」
『至急だ! 非常事態だ! とにかく集合せよ! 以上!』
なんだ「以上!」って。
まるで命令するような口調だ。
うちがメインで受けた仕事だろ。
俺はコーヒーを飲み干し、缶をゴミ箱に捨てた。
「行こう。応援をお願いされたぞ」
「お願い? 命令にしか聞こえなかったけど」
「あいつら日本語がヘタクソなんだ。許してやってくれ」
彼らの日本語は、出会ったときからいまのいままで、ひとつも成長していない。
*
現場はもう手詰まりみたいな状態だった。
合流するはずだった職員は、例のごとく路上で死亡。そしてポラリスの各務は、襲撃犯につかまって銃を突き付けられ、いまにも気絶しそうな顔をしていた。
今回の襲撃犯は二名。
一人が各務を拘束し、もう一人はバッグに銃を突き付けている。
「仲間がいたのかよ!?」
犯人が顔をしかめた。
だが安心して欲しい。仲間というほど良好な関係ではない。
彼らの銃はさほど大きくなかった。よくある9ミリ拳銃か。それでも人の命を奪うには十分だ。
どこのメーカーか分からないが、粗悪なコピー品かもしれない。最近では3Dプリンタでも銃は作れる。
各務の上司は言った。
「これで二対三だ。銃を捨てておとなしく投降しろ。手荒な真似をするつもりはない」
髪をオールバックにした精悍な男だ。見た目だけは説得力がある。
だが切羽詰まった相手はそんなこと気にしない。
犯人の一人が笑った。
「二対三? それがどうした? 俺がトリガーを引けば、みんな死ぬんだぞ? 俺が全員の命を握ってる。偉そうに命令するな。お前こそ道をあけろ」
ん?
なぜ爆発することを知っている?
まあ、前回の件から学んだと考えるのが自然なんだろうが……。だったら前回のマヌケは? あいつは知らなかったから、フローターで走り去った。
つまりこの組織は、バッグを奪うのは今回で二回目ということになる。
青色スモッグは、それ以前から発生していたはずだから、二回目とかでは困るのだが。いや困るというか、俺の推理がやり直しになる。
霧は自然発生だった、ということか?
なら、なぜ算法技研はこのエリアを集合場所に選ぶ?
もっと言えば、死んでいる連中の乗り物も見当たらない。
徒歩でここへ来たのか?
誰かに運んでもらった?
それともここに住んでる?
「た、助けて……」
各務が情けない声をあげた。
まあ可能なら助けてもいいが、必ずしも可能とは限らないのが現実の哀しいところだ。そのときはあきらめてもらうしかない。
「動くな!」
犯人が声を張り上げた。
各務に言っているのではない。
俺でもない。
なぜなら動いていない。
だが、フジコがやたらキョロキョロしていた。
撃たれたいのかこいつは……。
「待って。こんなことしてる場合じゃないって」
「はぁ?」
「霧が来るよ」
「……」
フジコの態度に、犯人も固まった。
理由はともあれ、ここが霧の多発地点であることは間違いない。
この情報は一般公開されているから、犯人たちも警戒しているはず。
だが、ハッタリもいいところだ。
バッグが爆発しなければ霧は出ない。
たぶん。
俺の推理が正しければ。
俺は念のため上司に尋ねた。
「ところで、彼らの要求は?」
「聞く必要はない」
譲歩はしない、というわけか。強気なことで。
これには犯人も舌打ちだ。
「てめぇ、偉そうに。そっちに選択肢があると思うなよ? その気になれば全員道連れだからな? おい! だから動くなって言って……」
「……」
俺たちはそのとき、全員が同じものを見た。
青黒い霧だ。
それがわっと広がって、壁のように迫ってきた。いや、迫るなんて悠長なものじゃない。あっと思ったときには、もう、飲み込まれていた。
青、青、青。
外から見るより、内側から見るほうが鮮やかな青をしている。
ガヤガヤという喧騒にも似た音。
人の声のようにも聞こえる。
呼吸が苦しい。
この霧は、一体なんなのだろうか?
ヒュンと何かが飛んだのが見えた。
それはまるでレーザーのように青を突破し、いずこかへ消えた。
誰かが発砲したようだ。
俺は慌てて地面に伏せた。
背を低くしていれば、被弾する面積が小さくなる。寝るのが一番。
弾丸が音もなく霧を貫いてゆく。
霧が立ち込めているから、その軌道がいつまでも残って見える。
美しい光景だ。
濃くて鮮やかな青。
誰もラッパを吹かない。
ヒトのような影も出てこない。
ただ青いだけの世界。
*
気がつくと、状況が一変していた。
犯人グループは射殺されており、各務は保護されていた。どうやら無線を聞いていた別動隊が加勢してくれたようだ。
別動隊というか、かなり離れた場所にスナイパーを待機させていたようだ。
銃刀法など完全に無視だ。
いや、デカい事務所はさすがだと褒めるべきところか。
問題を起こしたのもこいつらだけどな。
フジコはガードレールにしがみついて吐いていた。
そんなに不快な体験をしたのだろうか?
もう少しタフな女だと思っていたが。
各務の上司が、ややつらそうな表情で近づいてきた。
「荷物の配達を頼む。宛先はここに書いてある。キーはこいつだ」
「はい」
キーというか、プラスチックの黒いチップだ。発信機になっており、こいつから遠ざかると荷物が爆発する。
そして血まみれのメモ。
どちらも死んだ職員から回収されたものだ。
荷物は爆発していない。
なのに、霧は出てしまった。
荷物と霧とは無関係だったのだろうか?
分からない。
なにもかもが腑に落ちない。
「フジコ、動けるか? もしダメそうなら、タクシーでも」
「行く」
「ムリしなくていいぜ」
「行くって言ってるでしょ」
彼女は手の甲で乱暴に口元をぬぐい、こちらへ向き直った。
ティッシュくらい持ち歩いて欲しいものだ。
「ほら、これで拭きなよ」
「ありがと」
どこかでもらった使いかけのポケットティッシュだが、ないよりはマシだ。
さて、問題は荷物だ。
中身が気になる。
プロとして、勝手に漁るわけにはいかないが。
俺は通信機で向井さんに連絡を入れた。
「こちら内藤。荷物を回収しました。宛先の座標を送ります」
『無事でなによりです。情報受け取りました。宛先の情報を返送しますね。なんの変哲もない公園みたいです。霧もほとんど観測されていません』
「了解……」
『どうかご無事で』
「ありがとう」
このクソみたいな現場における、唯一の癒し要素だ。
ポラリスの連中は横柄だし、相棒はヘコんだままロクに情報も共有してくれない。地面には死体が四つ。
駐車場で、俺はまたジュースを二つ買った。
「フジコちゃんよ、少しは事情を話しちゃくれませんかね?」
「言いたくない」
「もしかして、あんたの体質と関係があるのか?」
「うるさい! あ、でもジュースありがと。でも喋んないから!」
「いいよ」
顔だけはマネキンみたいなのに、性格はもろにクソガキだ。
俺は景色を眺めながらコーヒーをすすり、こう尋ねた。
「なあ、ところで、なんで霧が出るって分かったんだ?」
「うるさい」
「そう言うなよな。長い付き合いじゃねーか」
「まだ会って三ヵ月しか経ってない」
「まあな」
あまりいい出会いではなかった。
今日よりもクソみたいな現場で、クソみたいなやり取りがあった。
俺はてっきり、彼女は現場で死亡したと思っていた。しかし数日後、彼女は事務所へ乗り込んで来た。自分も雇って欲しいと。それ以来、なにかというと俺の仕事についてくる。
彼女がジュースを飲み終えるまで、俺は景色を眺めていた。
もう午後の四時近い。
日も暮れかけている。
鳥たちも巣へ戻る時間だ。
フジコが缶を捨てて戻ってきた。
「なんか、こないだからずっとごめん。だけど、いまはなにも聞かないで。かなりヘコんでるから。そっとしておいて欲しいの」
「オーケー。ただ、なにかデカいことに発展しそうになったら、その前にヒントだけでもくれよな」
「気が向いたらね」
ぜひそうしてくれ。
さて、ここから宛先まではだいぶある。
片道三時間ってところか。
高速道路を使えばもっと早いかもしれないが、そんな予算はない。
この零細事務所、いつか潰れるのではなかろうか。
運び屋をするのに、高速料金さえ捻出できないってんだから。
「終ったら一杯やりたいわね」
「同感だな。けど俺、ドライバーなんだよな」
「大丈夫よ。あなたの分まで私が飲むから」
「ふざけんな」
こいつはマジで……。
荒事でも役に立たない。ドライバーもしない。俺を差し置いて酒は飲む。ジュースはせがむ。そして吐く。ティッシュも持ち歩かない。
いいところがツラしかない。
肝心のそのツラも、特に俺の好みではない。
いや、ルッキズムを云々するとぶっ叩かれるな。
ともかく、自分だけ酒を飲むつもりなのは許しがたい。
拷問は条約で禁止されているはずだろう。
いや、禁止されていなくてもやるな。
倫理を失ったら人間じゃない。
音楽でも聴きながらドライブするか。
元気のいいときはこの女が勝手に歌い始めて曲を台無しにするが、ヘコんでいるいまなら大丈夫だろう。
せめて運転は穏やかな気持ちで、余裕をもってのぞみたいものだ。
(続く)