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サノバガン  作者: 不覚たん
第一部 青
21/36

印象の薄い少女

 いつのだか分からない茶は、見つけたけど捨てた。

 その代わり、インスタントコーヒーを出した。


 彼女は一人で来た。


「狭いところだけど」

「お邪魔します」

 コートを脱ぎ、靴を揃えて家にあがってきた。

 烏丸麗。

 カルトの教祖の娘。

 だがいまは、敵ではない。


 リビングに通すと、彼女はまず、窓から景色を見た。

 百万ドルの夜景からは程遠い。ほとんど真っ暗な中に、ぽつぽつと明かりがあるだけ。これでもいちおうベッドタウン的な住宅街のはずなのだが……。


「ま、自由にかけて。コーヒーしかないけど」

「お構いなく」

「あとこれ、昼間、山梨の病院で預かってきたヤツ。内部告発の資料だそうだ」

「ええ」

 俺がちゃぶ台にUSBを置いたのに、ずっと夜景ばかり眺めている。

 高層マンションでもない。

 見所もない。

 なにをそんなに眺めているのやら。


「外になにか? まさかスナイパーがいるとか? それともツケられた?」

 俺がそう尋ねると、彼女はこちらへ向き直った。

 長いまつげだ。表情は薄い。たまには笑顔のひとつでも見てみたいものだが。いや、他人に笑顔を強要するつもりはないし、笑って欲しければこちらがジョークの一つでも言うべきだとは思う。


 彼女は静かに告げた。

「おぼえてませんか?」

「なにを?」

「十年以上前、年下の少女が、何度かあなたに教えをこうたと思いますが」

「……」

 なんだそれは?

 じつは二人は幼馴染です、的な話か?

 まったく記憶にないのだが。

「人違いでは?」

「ならばあなたにとって、私はその程度の存在だったというわけですね」

「きっと誰かと勘違いしてるよ」

 こんな存在感のあるヤツを忘れるわけがない。


 だがコーヒーをもってテーブルへ戻ったとき、俺は急に思い出した。

 いた。

 ほんの数回、外で少女が絡んで来たことがあった。倫理とはなにか、みたいな質問をされた気がする。俺も中学生か高校生だったから、適当に受け流した。

 あの当時、彼女は和人形のようなオカッパ頭だった。


「ああ、なるほど。そういや……面影があるな」

「私はおぼえてますよ。ハッキリと」

「ここに住んでたのか?」

「九歳になるまで。たしか、あのマンションが建ったくらいに」

「つまりお母上も?」

 カルトのインベーダーもこのマンションにいたのか?

 まったく記憶にないのだが。


 彼女は「いいえ」とかぶりを振った。

「母は、二人の兄とともに、本宅におりました。父親の違う私だけが、ここで世話役の女性と暮らしていました」

 触れにくい話題を振ってきやがった。

「お兄さんがいたのか……」

「どちらもすでにこの世を去りました。おそらく暗殺だろうと言われていますが、真相は分かりません。それで、私が跡取りとして結社に」

 なら、ここは彼女の古巣というわけだ。


 俺はコーヒーをすすった。自分で作っておいてなんだが、薄い。

「あのときの子供が、こんな立派に成長するなんてな」

「どんな問いをしたかおぼえていますか?」

「倫理とはなにか」

「そう」

「なぜ俺に聞いたんだ?」

 初対面の相手に聞くような話じゃない。


 彼女は目を細めた。笑っているのではない。これはさめたような表情だ。

「以前、あの公園で、あなたはご友人と哲学について語り合っていました」

「してた気がするな」

 たしか学校の授業で倫理をかじったついでに、友人たちとゴチャゴチャ話していた気がする。できれば忘れたい青春の一ページだ。

「だから、私は尋ねたのです。倫理とはなにか」

「たぶんロクな回答をしなかった気がする」

「ええ。倫理とは、人々の衝突を回避するために必要なのだ、と。高校生でもこの程度の認識なのかと、ガッカリしました」

 それは世の高校生に失礼だな。

 俺個人がロクに考えていなかっただけだ。


「それで、大人になって答えは得られたのかな?」

「いいえ。というより、そもそもこの問いに興味を失いました。倫理とはなにかを知る知らないにかかわらず、私たちにはすべきことがありますから」

 まあそうだ。

 根源的な問いは、あまりに根源的すぎる場合には、哲学者に任せておけばいい。なぜなら、一生それについて考えるハメになるし、他のことをする暇がなくなる。


 彼女はコーヒーをすすり、こう続けた。

「本当に子供でした。そのことについて考えたら、誰かに褒められるような気がしていたのです」

「俺も似たようなもんだ」

 自分はちゃんと考えてます、というツラでいたかっただけだ。

 実際のところ、倫理の中身がどうかなんていい。倫理について考えるポーズだけが大事だった。これは倫理に限った話じゃない。思想、文化、マナー、だいたいそうだ。


 ここにはテレビもないから音もない。

 どこかで酔っ払いが歌い、犬が吠えている。

 たまに電車が通り過ぎる。

 それだけだ。


 俺はつい肩をすくめた。

「そういや、今日の本題はなんだったっけ?」

「フジコさんの遺伝子について、ですね」

 そうだ。

 俺はあいつの正体が知りたい。

 本当に、自分で言った通りの存在なのか……。


 烏丸麗は、フジコについてこう語った。


 彼女は人間である。

 性別は女性。

 血液型はB型。


 以上。

 新情報は、B型ってことだけ。

 俺の知ってる情報より、かなり薄い。


「Y染色体を見る限り、大陸系とのことですが……。今回の件の参考にはならないようです。その他の詳細な形質については、専門性が高くて読み取れませんでした。ともあれ、ごく普通の日本人女性であるとの結論でした」

「……」

 反応しづらい。

 本当にそれだけ?

 もし事実なら、フジコの自己紹介とは矛盾する。そうなると、だったらあれはフジコのジョークか、もしくは勘違いだったのだろう。


 俺はなんと言っていいのか分からなかったが、とにかく探りを入れるつもりでこう尋ねた。

「えーと、ホントに? なんか、みんなと違うところは?」

「不死身になったのは、薬品との相性だと思います。人はそれくらい多様ですから」

「内臓がひとつ多いとかは?」

「あったらそう書かれているはずですが……?」

 不審そうな目で見られてしまった。

 笑顔が見たいのに、怪しまれる一方だ。


「本当に? アメリカはその程度しか解析できていないと?」

「内藤さん、なにか情報をお持ちなのですか?」

「いや、あのー、だってあんなだからさ。たとえば、父親か母親のどちらかが……類人猿だとか……」

「類人猿? たとえば?」

「えーと、いや、仮にそうでなくとも、あるいは新種の……人類……的な?」

「もしかして、冗談を言ってます?」

 烏丸麗は引いていた。

 フジコのせいで余計なことを口走ってしまった。


「ごめん。俺、科学的な知識がないからさ。混乱してて」

「それで宇宙人だと?」

「いや、それはさすがにジョークだけど。たとえばまだ見つかってない、未知の部族とか……」

「……」

 彼女は真剣に考え込んでしまった。

 いや、目の前の男が正気かどうか考えているのかも。

 いちおう正気だ。

 心配ない。


 彼女はかすかに息を吐いた。

「普通であれば、聞き流すところですが……。じつはそういうメモが存在しています。書いた本人でさえ懐疑的だったと思いますし、うちの解析チームも無視していいとの判断でしたが。内藤さんは、なぜその考えに至ったのでしょう?」

「えっ? いや、まあ、思いつき……かな? 俺、ネットで陰謀論ばっかり見てるから、ついそういうの考えちゃうんだよね。未知の部族に奇跡の力が……みたいな」

 いや、ウソだ。

 フジコの自己紹介を聞かされたせいだ。


 だが、仮にルーツが未知の部族だとして、遺伝子に特別なところがないのなら、本当にただの人間なのだろう。不死身になったのは、あくまで体質の問題だ。

 フジコのクローンなら同じく不死身になるかもしれないが、フジコの子供は違う。


 俺は話題を変えた。

「それにしても、今日の依頼はなんだったんだろうな。俺を消すつもりにしては不徹底だし、フジコの能力を見るにしても、既知の情報しかなかったろうし」

「映像ではなく、肉眼で観察したかったのかもしれません。それに、私たちには分からないデータを計測している可能性もあります」

 ターゲットがフジコなのは間違いない。

 俺はそれを運ぶ機械として、なぜかセットで運用されているだけだ。喋る輸送機といったところだな。


 ふと、会話が途切れた。

 烏丸麗は、懐かしそうに室内を眺めていた。まあここは俺の家だが、マンションだから、どの部屋も景色は似たようなものなんだろう。


 俺も会話を急かすことなく、コーヒーをすすった。

 味が薄い。

 分量を間違えたとしか思えない。

 コーヒーひとつまともにいれられないとは、我ながら恥ずかしい。


 彼女は、それでも苦情のひとつも言わなかった。

「最後にひとつ、懸念すべきことが……」

「なにか?」

「『山崩やまくずし』という攻撃チームが、千里眼から独立しました。彼らはおもに敵対勢力への攻撃を担当していました」

「独立……?」

 各組織からぶっ込まれた潤沢な資金で、なに不自由なく活動していたのではなかったのか?

 それが独立とは。

 方向性の違いってヤツか?

「結社が介入していることに気づいて、千里眼を飛び出したようです。今後は、結社の意向とは無関係に、破壊活動を仕掛けてくる可能性があります。くれぐれもご注意を」

「オーケー」

 ひとつもオーケーではないが、彼女に苦情を言っても仕方がない。

 フジコはいい。

 蜂の巣にされても生き返る。

 だが俺は違う。

 生命体としての最低限の常識というか、良識のようなものを有したままだ。俺もフジコみたいに非常識だったらよかった。


 きっと政府もすでにこの情報をつかんでいるだろう。だからこそ今日みたいな大袈裟な編成で遠巻きに監視してきたのだ。


 烏丸麗は立ち上がった。

「話は以上です。そろそろ帰りますね。コーヒー、ごちそうさまでした」

「いや」

 気の利いた言葉のひとつでもかけるべきだったかもしれないが、俺はあえて生返事をした。

 いまは敵じゃない。

 だが、この先もずっとそうとは限らない。

 この人物に、特別な感情を抱くべきではない。


(続く)

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