私の正体
病院を出ると、隣の発電所がブンブン音を立てているのが聞こえた。
人の命を燃やしたエネルギーだ。
きっと発電は絶好調なんだろう。
フローター後部のトランクに紙袋を放り込み、俺は運転席にまたがった。
どこかで監視していたのか、タイミングよく通信が来た。
『荷物を回収できたようですね。次のポイントを指定しますので、そちらまで配達をお願いします』
「了解」
画面を見ながら、俺は思った。
罠かもしれない、と。
地図で見る限り、そこは整地されている。誰かの所有地なのだろう。だが、いったいなんの施設なのかまったく記載がなかった。道も途中で切れている。
俺の経験によれば、後ろめたい連中がゴミ捨てに使うような場所だ。
フローターを発進させると、フジコが溜め息をついた。
「悲鳴が聞こえる……」
「誰の?」
「いろんな人の……」
俺にはなにも聞こえない。
まだ日は高い。
どこかでメシでも食いたいところだ。
「フジコ、なんか食いたいものあるか?」
「うどん」
「分かった」
俺もうどんが食いたい。
できれば駅で売られていた醤油のキツいのが食いたい。
あの手のうどんは、むしょうにうまい。腹が減ってふらっと入るからだろうか。
世界がこんなことになってから、いろんな店がなくなってしまった。
みんな無気力になった。
頑張っても報われない。
ともに立て直す仲間もいない。
生活は苦しい。
税金は増える。
いや、せめて選挙くらい行けとは思うが。みんなもう疲れ果てて、自分の頭でモノを考えることを放棄していた。
受動だ。
大きな流れに乗っていれば、最小のエネルギーで移動することができる。たとえ行く先が地獄だとしても。
景色が流れては消える。
冬だ。
葉を散らした木々が、墓標のように大地に突き刺さっている。
*
うどんを食ってから現地へ向かった。
山を切り開いてつくられた一帯だった。
いちおうフェンスはあり、ゲートもあったが、バーがへし折られたまま放置されていた。警備員もいなかったので、俺は遠慮なくフローターを進めた。
『そこは地輪リサーチパークの敷地だな。霧の多発地点でもある。気をつけろなんて言っても、どうしようもねぇと思うが、まあ、うまくやってくれ』
「ありがとう」
明智さんが情報を飛ばしてくれた。
予想通り、粗大ゴミが転がっていた。家電だけならまだしも、事故車か盗難車と思われるもの、あるいは建材と思われるワイヤーや鉄骨なども無造作に置かれていた。
資材置き場なんてものじゃない。
ゴミ捨て場だ
あとでまとめて埋め立てる気だろう。
指定されたポイントは、敷地内ではあったが、ほぼ雑木林であった。
いや、それだけじゃない、向こう側が断崖絶壁になっていた。下は森になっているから、フローターで飛び降りることはできない。もし飛び込めばプロペラが枝を巻き込んで墜落する。
俺たちは連絡を待つため、フローターを降りた。
フジコは肩をすくめている。
「誰もいないんですけど?」
「たぶん罠だろ」
だが、なにを仕掛けてくるかは読めなかった。
ただ殺すつもりなら、とっくに遠距離から狙撃しているはず。彼らにそれが可能なことは、すでに見た。
彼女は溜め息をついた。
「頼むから死なないでよ? 私、フローター運転できないんだから」
「努力するよ」
運がよければ生きて帰れるだろう。
遠くではカラスが鳴いている。
アレのエサにはなりたくない。
フジコが苦い笑みで溜め息をついた。
「霧が出るわ……」
ブーッと空が鳴った。
だいたい十秒ほど。ただ突っ立ってじっと聞いていると、もっと長く感じる。
フローターで逃げることはできない。
霧の発生源は道路側。退路を断たれた格好だ。かといって逆側は先は崖。ずいぶん追い込まれたものだ。
『霧が出たぞ! 逃げろ!』
越水から通信が来た。
逃げられるならそうしているところだが……。
俺は「了解」とだけ返し、通信を終えた。
「どうだ? また前みたいに追い返せそうか?」
「いちおうやってみるけど……。ダメでも恨まないでね?」
「気楽に行こうぜ」
フジコにムリなら、俺でもムリだ。
消えるのは怖いが……。
痛みはないはずだ。たぶん。
フジコは俺の前に立った。
女性としては背が高い方だが、男の俺と比べるとそんなでもない。
自分より小柄な人間を盾にするのは、なんとも情けない気持ちだが。
さえぎるものがないから、霧は好き放題に膨れていった。
いったいどこのどいつがこれを発生させているのやら。
まさか日本政府が犯人ってことはないと信じたいが……。実際、違うんだろう。もしそうなら、とっくにアメリカが怒鳴り込んでいる。金をかけて「オーシャン」なんてやってない。
フジコはこちらへ振り向き、満面の笑みを見せた。
急に、だ。
俺は思わず固まった。
危機が、すぐそこまで迫っている。
なのに、なぜ笑っている?
霧は彼女の背後で勢いを増している。
フジコは屈託のない笑顔のまま、こう告げた。
「私の正体、知りたい?」
「えっ?」
「いままで黙っててごめん。でもさ、私も半信半疑だったから」
「待てよ。なに言ってんだ……」
「私は――」
*
さすがに死ぬかと思った。
というか、パニックになりかけた。いや、なったのか。なるべく平静を保とうと心掛けてはいるが、完璧ではない。
霧はフジコに押され、みるみる縮小していった。
前回と同じだ。
しかも見る限り、どうやら霧には「意思」のようなものが感じられた。もっと言えば「恐怖」だ。霧はフジコに怯えていた。
かくして霧は消滅した。
最初から何事もなかったかのように。
驚いて飛び立った鳥たちも、羽を休めるために戻ってきた。
「すごいなフジコは」
「まだ仲間だと思ってくれる?」
「当然だろ」
俺は深く考えることなく、そう返事した。
フジコは普通じゃない。
そんなことは以前から分かっていた。
だが、本当に?
ちょっとイカレてはいるが……いやだいぶイカレてはいるが、不死身であること以外、なにもかもが俺たち人間と同じだった。いや、フジコが人間じゃないと言っているわけじゃないが……。
分からない。
頭が混乱する。
いや、真に受ける必要はない。
フジコも混乱していたのだろう。
自分が普通じゃないから、納得できる理由を考えたのだ。いわゆる認知的整合だ。原因があるから、結果がある。それを分かりやすくストーリーに仕立てたのだ。そうに違いない。
フジコはさめた目になった。もとの顔がマネキンみたいだから、本当につめたい表情に見える。
「さっきの話、誰かに言う?」
「いや、言わない。いや、言うかもしれない。だが誤解しないでくれ。言うとしても、互いのためになると判断した場合だけだ。そうでなければ言わない」
「べつにいいよ。私もほかの人に言うかもしれないし」
「言わないほうがいい。余計なトラブルを招く」
ヘタをすると、フジコのクローンが大量につくられることになる。
いや、とっくにその可能性はあるのだが。
すでに遺伝子情報は出回っているわけだし。
ともあれ、助かった。
依頼人から連絡がないので、俺は指定されたポイントに紙袋を置き、撤収することにした。
*
その後のことはよくおぼえていない。
報告書はあとでいいと言われたので、俺はすぐに帰宅した。
自室でぼうっと天井を眺めていると、明智さんから通信が来た。
『よく生きてたな』
「フジコのおかげですよ。現地の会話、聞いてました?」
『いや』
どうだろうな。
聞いてたのに、とぼけているだけかもしれない。
この人は、そういうことをする。
だいたい、用もないのに連絡してくるわけがない。
彼はこう続けた。
『だが、聞かなくても分かることはある。優秀なヤツが調査してレポートをあげてくれるからな』
「アメリカですか?」
『お前も分かってきたな。連中、独自の方法でフジコの遺伝子を入手して、もう解析を終えたようだ。烏丸チームがそれをやるより早く、正確にな』
「俺の努力はなんだったんですか……」
フジコの唾液を手に入れようと必死だったのに。
結局、失敗に終わったが。
明智さんは笑った。
『その程度でヘコむな。アメリカなんてもっと可哀相だぞ。せっかく調査した結果が、もう外部に漏れてるんだからな。いま俺の手元にもデータがある』
「どうやって?」
『解析した本人が、自発的に拡散したんだ。そいついわく、全人類が共有すべき情報なんだとよ。天才ってのは、なに考えてんのか分かんねーよな。ともかく出回ってる。烏丸チームの情報とも整合したから、おそらく本物だ』
「で? なにか分かったんですか?」
俺の問いに、明智さんはしばらく沈黙した。
「え、どうしました? もしもし?」
『俺は生物学の専門家じゃないからな。軽率な発言は控えよう。いや、そもそもなんの専門家でもねぇんだが……』
「もったいぶらないでくださいよ」
『俺はいい。だが、烏丸麗がお前のマンションに向かってる。説明はそいつから聞いてくれ』
「はい?」
来るのか?
このなにもない家に?
『インターフォンが鳴ったら入れてやってくれ』
「りょ、了解……」
少しは片づけて、茶の準備でもするべきか。
俺の家に女性が来るなんて、まずありえない話だからな。
きっと裕福な家のお嬢さまだろうから、この狭苦しい家を見たら仰天することだろう。
クソデカい家に住んでる人間にとって、俺たちのリビングは、玄関程度のものらしい。だからせっかく家へあげても、向こうは「ずっと玄関でお話ししてる」と思うのだとか。
まだなにも言われていないのに、想像しただけでイライラしてきた。
まあいい。
茶を探さないと。
確かどこかにしまってあったと思うが……。
(続く)




