リピーター
青い。
とにかく青い。
人生におけるブルースクリーンなのか?
ごにょごにょという騒音がする。
いやガヤガヤか?
俺はもう方向も分からなくなったので、走るのをやめた。
呼吸はできるが、溺れている気がする。
かなり息苦しい。
浮遊感があった。
まさか、体が消えている?
いや、青しか見えないが、手足はついている。たぶん。自分で自分の体に触れることはできる。というと、単に浮遊感があるだけか? まさか、本当に浮いてるってことはないと思うが……。
酸欠で頭がおかしくなっているのだろう。
「フジコ! 聞こえるか!?」
本名は知らない。
俺は勝手にフジコと呼んでいる。
ともあれ、返事がないところを見ると、気絶しているのかもしれない。
ここは空気を読んで、俺も一緒に気絶したほうがいいだろうか?
どうせ死ぬなら、苦しんで死ぬのはゴメンだ。
あっけない人生だった。
とくにヤりたいこともなかったとはいえ、荷物の回収の途中で霧の飲まれて死ぬとはな……。今日は牛丼食って帰るはずだったのに。
だが、待っていてもなにも起こらなかった。
ずっとガヤガヤ騒音がしているだけ。
息も苦しいが、死ぬほどではない。
いちおう足は地面についているようなので、俺は駐車場とおぼしき方向を目指し、慎重に歩き始めた。
寝苦しい夜に見る悪夢みたいだ。
頑張って前へ進んでいるはずなのに、進んでいる実感がない。
なにも見えない。
ガヤガヤとうるさい。
まるで誰かがずっとお喋りしているみたいに。
*
気がつくと、俺は棒立ちになっていた。
街は清冽な秋の空気に満ちており、斜めになった太陽の光にただ照らされている。
霧はすでにない。
遠くでイヌが鳴いたのが聞こえた。
二つの死体は転がったまま。
フジコも中腰で固まっている。
時刻は……午後三時。
四時間も経過していたとは。
通信機を見ると、事務所から何度も電話がかかっていた。これは怒られるかもしれない。いや、俺はなにも悪くないのだが。
俺はフジコを放置し、事務所へ連絡を入れた。
『ああ、心配しました。無事でしたか?』
「連絡できなくてごめん。えーと、どこから話せばいいか……」
『大丈夫です! いちど、事務所まで戻ってきてください! ボスからお話があります』
「了解」
怒ってはいないようだな。
むしろ心配されてしまった。
だが、戻って来いとは? どうやら顛末を把握しているかのような口ぶりだったな。それとも、もう俺が荷物を届け終わったとでも思ったか?
フジコはすでに中腰ではなくなっていたが、なんとも言えない表情で溜め息をついていた。
「無事か?」
「ええ、まあ……」
目が泳ぎまくっている。
なにかあったのだろうか?
「とにかく、死ななくてラッキーだった。事務所に戻ろうぜ」
そしてネットで「霧の中に入ったことないザコおりゅ?w」とマウントしなければ。
なかなかの体験だった。
もっとも、俺が「青色スモッグ」だと思い込んでるだけで、じつは「青いだけのなにかの粉塵」だった可能性もあるが。
いや、正確には初めての体験じゃない。
俺たち人類は、おそらく例外なく、誰もが一度は霧に飲み込まれたことがある。
ただ、あのとき俺は自宅で寝ていた。平日の昼間ではあったが、前日の仕事が徹夜だったこともあり、遠慮なく夢の中にいたのだ。しかも特にイヤな夢も見ず、快眠だった。
起きてニュースを見て首をひねったくらいだ。救急車のサイレンが鳴り響いていた。人が消えた。服だけが残された。そんな信じがたいニュースを、まともなメディアまでもが堂々と流していた。
俺がフローターにまたがると、フジコも浮かない顔で着席した。
珍しくウザい絡みをして来なかった。
*
「戻りましたぁ」
「お帰りなさいっ!」
向井さんが駆けよってきた。
本当に心配してくれていたらしく「大丈夫でした?」などと聞いてくる。いい子だ。
だが、いまはその優しさに癒されている場合ではないらしかった。
客が来ている。
初めて見る顔が二名と、同業者が二名。
ボスが告げた。
「こちら、今回の依頼主の算法技研さんだ」
サラリーマンらしき男たちが頭をさげたので、俺もぺこりとお辞儀した。
愛想はよくなさそうだ。
俺が荷物の回収に失敗したから、激怒しているのかもしれない。だが相手は銃を持っていた。生きて帰るほうが重要だ。どんな荷物より、俺の命のほうが重い。生きるために働いてるのに、荷物のために死ぬなんてバカみたいだろう。
するとボスが続きを言う前に、同業者の若者が肩をすくめた。
「僕だったら失敗しませんけどね」
「やめろ、各務」
上司らしき男がたしなめた。
こいつらの顔は知っている。現場でも何度か顔を合わせた。
同業者、というだけではない。かなりデカい事務所の所属だ。こっちが小さい事務所だと思って、基本的にナメた態度をとってくる。
ボスも苦い笑みだ。
「顔くらいは見たことがあるだろう? ポラリス興信所のお二人だ」
「ええ」
俺は頭をさげたが、そいつらはさげなかった。
人としてどうかしている。
促されたので、俺とフジコも椅子に腰をおろした。
「では内藤、状況を報告してくれ」
「現地に部外者が一人いて、待ち合わせの二人はすでに射殺されてました。で、犯人はバッグをもって逃走。いきなり爆発して、一面霧まみれです」
すると算法技研の社員がうなずいた。
「青色スモッグの発生はこちらでも観測しました。所轄の役所へも報告済みです」
手際のいいことで。
つまりこいつらは、ずっと青色スモッグを観測していて、俺たちが仕事をミスったことを察知したというわけだ。
霧が発生すると分かっていたようだ。
あれは偶然なんかじゃない。
「荷物の中身はなんだったんです?」
「知らなくていい」
俺の問いに答えたのはボスだった。
算法技研の二人は目をそらしている。
まあ、運び屋というのはそういうものだ。
運べと言われれば、ピザだろうが、クスリだろうが、死体だろうが運ぶ。中身は気にしない。普通なら、依頼主が誰であるかも伏せられたままだ。こうして顔を出す依頼主は珍しい。
きっとこの話には続きがある。
ボスはかすかに溜め息をつき、こう続けた。
「ところで二人とも、体調は大丈夫か? なにか異常は?」
「いえ、特に」
俺は大丈夫だ。俺は。
だがフジコは「私も特に」などと言っているが、あきらかにおかしい。
算法技研の二人も怪しそうに見ている。
俺はやむをえず助け船を出した。
「大丈夫ですよ。俺たち、普段からこんな感じですから。え、なんです? まさか毒ガスだったんですか? それとも菌とか? ウイルス?」
いや、もしそうなら直接会おうとはしないだろう。
だから、きっと別のなにかだ。
ボスは名刺を出してきた。
「もし体に違和感があったら、ここで見てもらってくれ。算法技研さんが特別に手配してくれた。ご厚意により、無料で診断してくれるそうだ」
「ありがとうございます」
俺は頭をさげた。
だが、善意ではないだろう。
外部に持ち出されたくないなにかを、自分たちの組織で調べようという魂胆だ。
どう考えても、あのバッグの中身は青色スモッグだったということだ。
そしてこいつらはそれを知っていた。
なんなら作ったのもこいつらなんだろう。
だが、完成品ではない気がする。
なぜなら俺たちが消え去っていないからだ。
ヒトも現れなかった。
誰かが言葉を発する前に、俺はこう切り出した。
「けど、爆発するならするって前もって言っておいて欲しかったなぁ。いきなりだったから、びっくりしちゃいましたよ。なんならここにいない可能性もあったわけで……」
算法技研の二人は石みたいに固まっている。
その代わり反論して来たのは、同業者の若い男。
「それ、犯人を逃がした人間の言うセリフじゃないですよね?」
「現場にいなかった人間が、分かったようなことを言いますね。あんただったら逃がさなかったと?」
なぜ逃げたことを知っているのかは不明だが。
すると上司が「各務!」とたしなめた。
上司のほうは少々まともなようだ。
算法技研の職員が渋々といった様子でこう応じた。
「いえ、爆発はこちらも想定外です。ただ、盗難防止機能がついていまして、解除せずにキーから離れた場合、フェールセーフが働くようになっていて……」
どこがセーフなんだよ。
少なくとも犯人は死んだ。遠かったが、体が真っ二つになったのが見えた。かなり威力の高い爆発だ。
「つまりキーと一緒に運ぶ必要があったと?」
「現地で説明を受けたはずでは?」
「受ける前に死んでたんですよ」
人の話を聞いてないのか、こいつは。
かなり動揺しているようだな。
ボスは遠慮がちに咳払いした。
「あー、それで、だ。算法技研さんから、もういちど配達の依頼をいただいた。今回はポラリス興信所さんと協力して業務を遂行してもらいたい」
すると例の各務がまた口を開いた。
「うちだけでやったほうが間違いないと思うんですが」
「各務!」
そうだぞ、各務。
お前は上司が許可するまで口を開かないほうがいい。
バカ正直に受け取ったのは算法技研だ。
「いえ、先ほども説明した通り、実績ある芝さんをメインにお願いしたいので」
芝というのはボスの名前だ。
社名は「芝商店」。
知らない人がみたら、なんの会社か分からないだろう。
しかし実績ってなんだ?
依頼主が死んでから現場に到着し、そのまま犯人の背を見送った俺たちに実績?
シャクな話だが、各務の言う通り、ポラリス一社に任せたほうが成功率は高い。少なくとも、逃げる犯人の背中にぶち込むだけの給料はもらっている。
なのに、うちがメインとは。
まさかとは思うが、俺たちをモルモット代わりにするつもりじゃないだろうな?
俺の予想を裏付ける、不可解な点もある。
あの現場は、霧の多発地点だった。
あえてそんな場所で待ち合わせた理由は?
もっと安全な場所で待ち合わせてもよかったのでは?
いや、違う。
きっとあそこに霧は発生しないのだ。少なくとも自然には。では、過去に発生した霧は? 推測だが、それはあいつらが持ち込んだ荷物のせいだろう。きっと荷物が爆発したのは、今回が初めてではない。
「ところで、犯人の目星は?」
俺の問いに、算法技研の面々は目を反らし、ボスは肩をすくめてしまった。
目星はついているが、言いたくない、といったところか。
きっと次も襲われるんだろう。
安い給料のために死ぬのはゴメンだ。
もし受けるなら、ちょっとばかり「危険手当て」が欲しいところだな。
命は安売りすべきじゃない。
(続く)




