表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サノバガン  作者: 不覚たん
第一部 青
18/36

女神

 だが、平和な休日は唐突に終わりを迎えた。


 食事を終えて会計を済ませ、いざ解散するかというとき、フジコがふっと振り返った。

 ある一点を見つめている。


「どうした?」

 俺はもう答えが出ているにも関わらず、あえてそう尋ねた。

 彼女の答えはこうだ。

「霧が出る……」


 どっちだ?

 本物か?

 偽物か?


 ブーッと空が鳴った。


 残念ながら本物だ。

「みんな早く外へ!」

 俺は誰にともなく言った。仲間だけでなく、それ以外の人たちにも逃げて欲しかった。だが客の何人かは、ただキョロキョロするだけ。店員もどうしていいか迷って他人の顔をうかがっている。

 説得している時間はない。


 俺は走った。

 駐車場にフローターがある。


「乗せてくれ! 電車で来たんだ!」

「俺のに乗ってください!」

 明智さんは俺が逃がすとしよう。


 フジコは、向井さんのフローターで逃げるだろう。

 その他の人たちは、自分たちでなんとかしてもらうしかない。フローターは二人乗りだ。頑張れば四人まで乗れるかもしれないが、それ以上は搭乗スペースがない。


 ビルの合間に霧が出た。

 人々は必死の形相で逃げまどい、車は交通法規を無視して急発進し、信号無視して突っ込んで来た車が事故を起こした。

 最悪だ。


 いや、本当に最悪なのは、フジコがいつまでも逃げようとしなかったことだ。


「フジコさん! 早く!」

 向井さんが声をかけるが、フジコは動かない。

「先に逃げてて」

「はい? えっ? なんで?」

「あの霧、ぶっ飛ばしてやる」

 完全にキレている……。


 霧は迫ってくる。


 俺たちが逃げる方向はまだ大丈夫だが、その手前の道は事故でふさがっていた。だから車に乗っていた人々も、外へ飛び出して走り出した。


 青黒い霧が壁のように押し寄せてくる。

 ビルの隙間を埋めるように、ぐいぐい来る。

 表面に張り付いた無数のヒトたちが、苦しそうに足を動かしている。

 ガヤガヤとなにか喋っている。


「おい、フジコ! マジで逃げろ! 消されるぞ!」

 フジコは不死身かもしれない。

 だが、霧の被害は、そういう物理的なダメージとは根本から違う。いくらフジコでも消滅する可能性がある。


 すでに何人もの人間が、霧となって消滅していた。

 足の遅いもの、転倒してしまったもの、腰を抜かしてしまったもの、諦めたものは、容赦なく霧に飲まれた。

 あるいはビルの中にいて、そこにいれば安全だと思い込んでいる人たち。いや、大丈夫なケースもある。霧が及ばないほどの高所にいる場合だ。だがそうでない場合、隙間から入ってきた霧にやられる。


 いま、道路の中央にフジコが立っている。

 霧はじわじわ迫っている。


 強引にでも連れ去るべきか。

 あまり近づくと、俺たちまで手遅れになる可能性がある。


 フジコが前進を始めた。

 もう俺たちでは救えない。


「どうした? 逃げないのか?」

 明智さんがせっついてきた。

 フローターなら、ギリギリまで迫られても引き離すことができる。交通事故に巻き込まれなければ。


 いまは余裕がある。

 少なくとも、あと数十秒は眺めていられる。


 俺はフジコの背を、ギリギリまで見送るつもりでいた。

 本当にバカなヤツだったが、彼女の怒りや葛藤は理解できた。この霧にはみんなうんざりなのだ。いきなり現れて、一方的に命を奪ってゆく。

 戦えるなら戦いたい。


 青黒いヒトが手を伸ばしている。

 フジコはそこへ、振りかぶって拳を振るった。

 当たらない。

 触れることはできない。


 よくヒトに「捕まる」という表現をされるが、あくまでそう見えるだけなのだ。実際は、霧に飲まれることで存在を消される。


 だが、霧の進行は止まった。

 フジコの目の前で。

 葛藤しているかのように、青黒い壁がゆらゆらしている。


 まさか、フジコの存在を認知しているのか?


 時間が止まったように見えた。

 なかば逃げるのをあきらめていた人たちも、振り返ってその光景を見た。


 女が霧を止めている。


 誰もがその姿に注目し、それから映像を撮影し始めた。

 ぽつぽつと「ヤバい」「すごい」などの感想が漏れてきて、すぐに大歓声になった。


 フジコが歩を進めると、霧は後退した。

 しかもフジコは、自分が凄いことをしているという自覚もないのか、やたらギャーギャー騒いでいた。

「どうしたの!? 私を消してみなさいよ! ホラ!」

 キレながら、ずんずん前へ進んでゆく。


 街を覆わんばかりだった青黒いスモッグは、たった一人の女に押し返されていた。

 人々は熱狂していた。


 なにも知らない人たちは、それでもいいんだろう。

 人類が霧を撃退している。

 奇跡が起きた。

 ポジティブな光景だ。


 だが、おそらく、いま取り返しのつかないことが起きている。


 こんな能力のある人間を、各勢力が放っておくわけがない。

 水面下で動いていた連中だけでなく、大メディアも動かざるをえなくなる。

 あるいは政府でさえも。


 SNSを見ると、映像はすでに多くのユーザーに拡散されていた。

 グッドされ、コメントがつけられ、一瞬で世界に共有された。


 すると次に「あの女は何者なんだ?」という疑問が駆け巡った。

 どこそこで見かけたとか、知り合いに似ているとか言い出し、あるいは卒業文集を載せるものまで現れた。なにが事実かは分からない。なにせ俺たちでさえ、フジコが何者なのか知らないのだ。

 コラ画像が作られ、ネットミームに組み込まれた。

 事態が発生してからまだ数分だというのに、凄まじい速度で消費されてゆく……。


 霧は、みるみる収束していった。

 フジコはそれを追いかけた。

 いったいどこにいたのかというほどの群衆も、そのあとを追った。


 俺は動かず、ただ彼らを見ていた。

 群衆というのは、それ自体がエネルギーだ。ヘタすると霧よりも危ない。


 明智さんが溜め息をついた。

「まるでドラクロワの女神サマだな」

「なんです?」

「有名な絵画だよ。それより、前に言った『オーシャン』って覚えてるか?」

「アメリカのやってるプロジェクトですよね?」

「その資料の中に、『海を割る者』の記述があってな。いや、あくまで参考資料として掲載されてたものなんだが。ちょうどこんな光景が描写されていた。青い海を押しのけて進む英雄の姿がな」

 言い伝えは事実だった、というわけか?

 紅海は「レッド・シー」だから「オーシャン」ではないが。いや、イルカとクジラ程度の違いだろう。


「フジコがそうだと?」

「俺にはそう見えるぜ」

 仰る通り。

 俺にもそう見える。


「これ、かなりの事件ですよ。各勢力はどう出ます?」

「少なくともアメリカは、なんらかのアクションをしてくるだろうな」

「でも、ここは日本ですよ? アメリカの思い通りになりますかね? 先にカルトが動き出すかも」

 俺の問いに、明智さんは渋い顔を見せた。

「お前……」

「え、なんです?」

「いや、いい。どうせ結果は一緒だからな」

「どういう意味です?」

 教えてくれてもいいだろう。


 明智さんは盛大な溜め息をついた。

「あのカルトは、そもそもアメリカが作ったんだよ。ハナから日本に選択肢なんかねぇのさ」

「はい?」

「ま、証拠は確たる証拠はないけどな。断片的な情報を集めるとそういうことだ」


 *


 フジコに追い込まれた霧は、最初から存在しなかったかのように、忽然と消え去った。

 それは本体のない、泡のような存在だったというわけだ。

 だが映像にはしっかりと残っている。


 帰宅した俺は、ベッドに転がりながら、それらの映像をぼんやり眺めた。


『日本政府が、メディアを通じてフジコさんへの接触を試みるようです』

 機械音声がそう教えてくれた。

 もう正体が分かっているのに、烏丸麗は相変わらず機械音声で話しかけてくる。


「そっちはどう動く?」

『そっちとは? 私自身ですか? それとも結社?』

「両方聞きたいな」

 正直、彼女に聞き返されるまで、俺はカルトのことしか念頭になかった。

 彼女と母親は、同じ組織に属しているが、考えは別なのだった。


『母は、アメリカの動きを待つと思います』

「アメリカの傀儡って噂は本当なのか?」

『私にも確証はありません。ただ、状況を見る限り、常にアメリカの意向に沿っていますので』

 ガッカリだな。

 カルトまでもがアメリカのツラをうかがって活動していたとは。

 せめてカルトくらいは、独自の価値観で動いていて欲しかった。

「あんたは?」

『恥ずかしながらノープランです。この件で派手に動けば、結局はフジコさんを保護できないだけでなく、行動を怪しまれるだけですから』

「一理ある。じゃあ、ある日突然フジコが姿を消す可能性もあるわけか」

『明智さんが手を尽くしてくれるそうですが、結果がどうなるかは……』

「分かった。情報ありがとう」


 とはいえ、明智さんは、支部という名の自宅でパソコンをいじっているだけの中年男性だ。過剰な期待をすべきではない。


 相手がアメリカであるにせよ、日本政府であるにせよ、カルトであるにせよ、当然だが、俺たちは組織力では勝てない。

 つまり一発逆転の手が必要になってくるわけだが、基本的に、そんな策は存在しない。

 俺たちだって頭を使うつもりでいるが、相手側も優秀なのを揃えている。

 物量でも、頭脳でも、どちらも勝てない。


 ただしそれは、あくまで総力戦をした場合の想定だ。


 一時的にでも切り崩し、分断できれば、少なくとも物量では張り合えるようになる。

 運がよければ頭脳でも。


 デカい組織はほころびやすい。

 なんならデカすぎて自壊する。

 歴史上、デカいものは、だいたい勝手に崩壊してきた。誰かがその手伝いをすれば、崩壊は加速する。

 なかなか崩壊しないデカいものもあるが、そういうものは、じつは周囲がコントロールしているだけだ。


 問題は、霧による人口減少のせいで、あらゆる「デカいもの」の規模が半減していることだ。

 ある意味で盤石になっている。


 ただ、これとてあくまで「フジコを守るならば」という前提の話だ。

 もしフジコを見捨てるならば、俺たちはそんな「デカいもの」とやり合う必要がなくなる。


 世界には「能動」と「受動」がひしめきあっている。

 能動とは、みずからの意思でエネルギーを動かすことを言う。

 受動とは、世界――すなわち自分以外の全存在がエネルギーを動かし、その結果が自分に波及することを言う。個人の意思とは無関係に、信じられないほど巨大なエネルギーが駆動し続けている。自然災害もこれに該当する。

 もちろん個人は「完全な無力」ではない。

 個人の有するエネルギーが、世界のエネルギーに食われない限りにおいて、目的は常に達成される。


 有名な「トロッコ問題」はその縮図だ。

 世界が否応なく選択肢を奪うせいで、個人には限られた選択肢しか残されない。その選択肢の中で、俺たちは「こっちがいい」「いや、こっちがいい」と思い込む。別に正解はない。この場合、クソなのは世界のほうだ。


 能動と受動の入り乱れた世界観は、「中動」または「中動態」と表現される。

 能動と受動の両者が成立している世界観だ。

 能動だけで価値を判断しない。

 受動だけで価値を判断しない。

 そういう見方だ。


 可能なことは、可能である。

 だが、不可能なことは、不可能である。


 バカみたいに要約すれば、そういうことだ。

 俺は当然のことを、いまさらのように言っている。

 だが世の中には、そのときどきの都合によって、「能動だけ」あるいは「受動だけ」で判断する人間がいる。俺はそういう意見は聞かない。シンプルに「愚か」だからだ。


 いや、いい。

 俺は言い訳をしたいだけだ。

 つまり俺がフジコを見捨てたとして、それは仕方のないことなのだと。

 可能なら助ける。

 だが、不可能であるなら、いっそ別のことにエネルギーを使ったほうがいいのだと。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ