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サノバガン  作者: 不覚たん
第一部 青
17/36

知らん

 仕事中も、烏丸麗のことがずっと頭から離れなかった。

 片方の手で誰かを傷つけながら、もう片方の手で誰かを救おうとしている。

 彼女は矛盾している――。

 そう揶揄することもできるかもしれない。

 しかし逃げられない組織の中で、他の歯車に噛まれながら、彼女は必死で構造を変えようとしている。

 最初に救われるべきなのは、彼女のほうではなかろうか。


 別にセンチメンタルでそう考えているわけじゃない。

 自由でない人間は、行動にも制限がつく。だからまずは彼女自身が自由になったほうが、効率がいい。

 それだけだ。

 たぶん。


「どうしたの、溜め息なんかついちゃって。まるで私になにもおごる気がないって顔ね」

 フジコが来た。

 いつもなら鬱陶しいだけだが、今回ばかりはその性格に救われた。

「ちょっとな……」

「ちょっとな? そんなカッコつけたセリフ、普通、言う? あ、でも言うわね。ごまかしたいときとか」

「うるせーんだよ……」

「は? うるせぇ? 傷つくわね」

 傷ついた様子はない。

 俺も本気で言ってない。

「悪かったよ。ちょっと休憩する。一緒に来るか? おごるぜ」

「あら、意外ね。もちろん行くわ」

 おごるといっても、缶ジュース一本だけだ。

 だが、こいつは借金なんか踏み倒して、もう誰からも取り立てられていないのに、なぜそんなに貧しいのか。すでに給料は入ったはずだが。


 *


 休憩所で街を見下ろしながら、俺たちは缶ジュースを飲んだ。

 もっとも、見下ろすどころか、周囲も高いビルだらけなのだが。


 なぜ俺のような人間が、こんなご立派な職場で働いているのだろうか。まあ冷静に考えれば、いまさらだが、コネ入社なのだ。ボスが手を回してくれた。

 だが、俺はこんなの望んじゃいなかった。

 戻りたい。

 あの狭い事務所で、中身の分からない荷物を運ぶのだ。暑い日も、寒い日も、そのどちらでもない日も。そして「事務所が小さいからなんもできない」などと苦情を言い、それでも満足して一日を終えるのだ。


 いや、ここも悪くない。

 給料もいい。設備もいい。人材も豊富。浮気調査も、慣れてくるとそんなに苦ではない。むしろ合法的に結果を出せる。

 もしかすると俺は、いい歳してスリルを求めているだけのボンクラなのだろうか。これが他人だったら、気軽に「大人になれよ」などと声をかけていたところかもしれない。


「あーもー、鬱陶しいわね。なんなの? さっきから溜め息ばっかり。女紹介してあげようか?」

 フジコは不快そうに眉をひそめていた。

 溜め息、か。

 ついている自覚はなかったが。

「女? 誰だよ?」

「えっ? 向井さんと……社さん……とか?」

「ふざけんな。ほかに知り合いいねーのかよ」

 どっちも職場の人間じゃねーか。


 すると彼女は、すっと息を吸い込んだまま、黙り込んでしまった。

 反論してこない。

 きっといないんだろう。

 というかフジコのヤツ、俺と会う前はどんな生活をしていたのだろうか?


 カルトの関連企業から一億借りて、それを踏み倒そうとして捕まって、薬漬けにされていたことは分かっている。

 そしてたまたま現場で遭遇した俺は、ちょっと手が滑って、思わず銃弾を撃ち込んでしまった。まあそういうことになっている。

 そしたら後日、こいつは事務所に乗り込んで来た。雇って欲しいと。


 意味が分からない。

 そして分からないまま今に至っている。


 明智さんに頼んで、こいつの素性を探ってもらったほうがいいかもしれない。

 いや、明智さんなら、もうとっくに調べているはず。

 聞いたら教えてくれるだろうか。


 いっそ本人に聞くという手もあるな。


「フジコ、聞いてもいいか?」

「お断りよ」

「おごったジュースの分くらい答えろ。あんた、何者なんだ? いちゃいけない人ってどういうことだ?」

「……」

 俺の問いに、彼女はすぐには答えず、静かに缶からミルクティーをすすった。

 妙な緊張感がある。


「いや、いいんだ。質問を変える。以前は、どんな仕事をしてたとか、そういう世間話みたいな内容でも……」

「変えなくていいわ。いちゃいけない人ね。そうよ。私は死なないんだもの。みんなそう思うわ。だって普通、ありえないもの」

「悪かったよ」

「なに謝ってんの? 知りたくて踏み込んで来たんでしょ? もっと教えてあげる。カルトが偽物の霧を散布してたでしょ? その中でも誰かに同じこと言われたわ。お前はいちゃいけない人間だ、って。存在自体が矛盾してる。ありえない。法則に反する。世界を壊している」

 彼女はぐっと手に力をこめた。

 だが、缶はヘコまなかった。

 意外と頑丈だ。


「そうだったのか……」

「でも気にしてないわ。いちゃいけないって言われたって、実際にいるんだし、いるしかないんだもの。誰にもどうしようもないことよ。もし気に食わないなら、ゴチャゴチャ言ってないで消せばいいだけ」

 ウソだ。

 気にしてないなら吐いたりしない。


 自分でも思っているのだろう。

 不死の身体が存在することは、本当に正しいことなのか。


 だがまあ、個人の感想はともかく、特別な存在であることは間違いない。

 それに前回、少年を霧にしてしまった。

 あれは偶然じゃない。

 フジコに反応して霧になった。


 つまり、救出任務のときは、フジコを置いていかなければならない。

 だが依頼主が指名して来たらどうしようもない。


 *


 オフィスに戻り、チャットを始めた。


>こないだの仕事、なんで千里眼は俺とフジコを指名したんだと思います?


 相手は明智さんだ。

 本当はオンラインでこんなこと聞くべきじゃないのかもしれないが。


>知らん


 返答はこうだ。

 俺は溜め息をついた。

 休日の予定を開けておかないとな。

 こう返ってきたときは、やはりオンラインでは言えないということだ。


 *


「おい、内藤。ヤバい話はオンラインでするなって言っておいただろう」

「すみません」


 休日の昼、俺はファミレスで明智さんと合流した。

 アニメとのコラボが終わったからか、店は閑散としている。


 明智さんはパフェを食いつつ、こう告げた。

「質問に答えるぞ。たぶん現場のヤツらはなにも知らない。だが、上は……。いや、じつはな……」

「じつは?」

「まだ確認できてないんだが、どうも千里眼も怪しいようだぞ」

「怪しい、とは?」

「宇宙人民結社のダミー企業が、しれっと出資してる」

「はい?」

 敵なのでは?

 なぜ出資を?


 明智さんは盛大な溜め息をついた。

「もとは、カルトの被害者が始めた武装組織だったんだ。だが、いろんなところから資金が入ってきて……そうすると、どうしてもスポンサーのツラをうかがうようになるだろ? カルトもそこに目をつけたんだ。出資して、いろいろ口を出しているらしい」

「無敵じゃないですか」

「金を使うとそういうことができる」

 デカい組織ってのはこれだから。


 配膳ロボットが通路を走り去った。

 各テーブルに料理を運んでいるのだ。


 明智さんは肩をすくめた。

「だからあの作戦の目的は、少年を救うことではなく、少年とフジコを会わせることだった。その結果どうなるかを、遠くから観測してたんだろうな」

 自分の身内を犠牲にしてまで、人体実験したかったのだ。

 どうしようもないクソ組織だ。


「フジコって、そんなに特別な存在なんですか?」

「どれだけ特別なのかは、前にも説明したはずだが?」

「そりゃそうですけど。なんで野放しにされてるんです? いや、それも聞きましたけど」

「もしどこかの組織が手を出した場合、他の組織と正面から争うことになるからな。お互いに手を出さないよう、協定でも結んでるのかもしれない。フジコの場合、放っておいても死ぬ心配はないわけだしな」

 まあそうだ。

 死なないんだから、多少ハードな状況に置かれていようと関係ない。野放しになっているほうが中立性が保たれる。

 可哀相なのは、セットで運用されている一般市民の俺だ。


「あいつ、以前はなにをしてたと思います?」

「知らん」

「知らん? 調べたんですよね?」

 オンラインならまだしも、オフラインでまで「知らん」はやめて欲しいな。

 明智さんが知らないわけがない。

「言っておくが、本当に知らないぞ? 情報がないんだ。不自然なくらいな。氏名、年齢、家族、出身地、出身校、職歴、なにもかも不明。銀行口座は持っているが、どうも他人のを裏ルートで買って使ってるらしい」

「はい?」

 クソヤバいのでは?

 てっきり、借金の件があるから素性を隠しているのかと思いきや、それどころではない事情がありそうだ。


「おまたせー!」

 どこかのグループが待ち合わせでもしていたのか、店に入ってきた女が元気よく手を振った。

 いや、違うな。

 尾行されていたかもしれない。


 テーブルに来たのはフジコだ。後ろには向井さんもいる。

「待った? ねえ? 待った?」

 奥へ詰めろとばかりにぐいぐい押してくる。

 ひとつも待ってねぇんだが……。


 向井さんは苦い笑みだ。

「ごめんなさい。なんか急に出かけたいって言い出して」

 脱いだコートを手にしている。

 冬でも清楚なお嬢さんといったたたずまいだ。

 いつ見てもあのボスの娘とは思えない。少なくとも見た目だけは。


 俺は遠慮なく舌打ちをした。

「どこから聞いてたんだ?」

「は?」

「盗聴してたんだろ?」

「盗聴? 言いがかりじゃない? もしかして、聞かれたくないようなことでも話してたワケ?」

「そうなるな」

 俺と明智さんが二人でファミレスにいるときは、だいたいそういうときだ。


 だがフジコは気にしたふうもなく、メニューをとって選び始めた。

「やらしいわね。大概にしときなさいよ。あれ? コラボニューは?」

「それなら終わってるぞ」

「は?」

 なんのコラボだか知らないが、とにかくそれはとっくに終わっている。

 店の様子を見たら分かるだろう。


 俺が「なんのコラボなんだ?」と聞くと、向井さんがなんとも言えない表情で教えてくれた。

「アノ監督の『シン・ポルチーニ』という作品だそうです」

「向井さんもファンなの?」

「いえ、私は付き添いです」

 あの監督って、どの監督だよ。


 フジコは溜め息をついた。

「どうやら私のポルチーニ祭りは、不参加のまま終わったようね」

「コラボしてたの、ずいぶん前だろ」

「私はね、あなたと違ってネットばかりしてるわけじゃないの」

「ネットはしてるだろ」

 しかも暇さえあればエロ動画を観ている。

 俺より酷い。


 明智さんが顔をしかめた。

「じゃあ、ここに偶然来たってのか?」

 フジコはメニューを向井さんに渡しながら、こう応じた。

「内藤さんのGPS見たら、ファミレスにいるのが分かったから、おごってもらおうと思って」

 俺のフローターのGPSか?

 勝手に見てんじゃねーぞこいつ……。


 向井さんが申し訳なさそうにつぶやいた。

「うちにいたときについてたトラッカーが、まだ生きてたみたいですね。ごめんなさい。もうオフにしておいてください」

「オーケー」

 芝商店にいたころ、事故にあったり、誘拐されたりする可能性も踏まえて、トラッカーをオンにしていたのだ。それをそのままにしていた。


 明智さんはふんと鼻で笑った。

「マヌケだな。けどオフにする必要はない。どっちにしろお前は、常に監視・盗聴されてるからな」

「えっ?」

「言っておくが俺の趣味じゃないぞ。これも仕事だ」

「依頼主は?」

「プロがそれを答えると思うのか? いや、教えてやる。烏丸麗だ。だが安心しろ。悪用された形式はない。むしろお前を保護する目的で実行されてる。感謝するんだな。お前は一円も払わずに、俺のバックアップを受けてるんだから」

「……」

 法律はどうなってるんだ、法律は。


 こんな異常な話をしているのに、女性陣は楽しそうだ。

「あ、私もパフェ食べようかな」

「いいねいいね。お金はこいつが払うから、好きなの頼んでよ」

「いえ、自分で払いますよ」

 向井さんの分はおごってもいい。

 だがフジコの分は出さん。一円もな。


「なあ、フジコ。なんでそんな金がねーんだよ? こないだ給料入ったろ?」

 すると彼女は、得意顔でニヤリと笑った。

「知りたい? それはね、慈善団体に寄付してるからよ」

「は?」

「私はね、余計なお金は持たない主義なの」

「必要最低限の金も持ってねーだろ……」

「それがね、意外となんとかなるのよ」

「他人の善意にタダ乗りしやがって……」

 俺の言葉に、フジコはぽんぽんと肩を叩いてきた。

「私におごるということはよ? つまりは、間接的に慈善団体に寄付しているということになるの。誇らしくない?」

「てめぇ……」


 しかも明智さんが危険球を投げた。

「そうだな。他人名義の口座から、謎の団体に金が流れてるな」

 フジコの眉にぐっとしわが寄った。

「は? あなた、私のことまで監視してるの?」

「勘違いするな。お前だけじゃない。基本的に全員を監視してる」

「なんの言い訳にもなってない! その数少ない毛髪をむしって欲しいワケ? 最終的にステイサムになるけど?」

 この脅しに、明智さんは身を震わせて笑った。

「その程度でステイサムになれたら苦労しないぜ」

「落ち武者ヘアよりはマシじゃない?」

「俺は好きでこのヘアスタイルにしてるんだよ」

「そうなの? 丸めたほうがサッパリすると思うけど……」

 なんの話だよ。


 せっかくの密談が台無しだ。

 まあ、多少の収穫はあったか。


 それにしても、どいつもこいつも監視、監視、監視だ。

 この界隈にプライバシーという概念はないのかよ。


(続く)

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