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サノバガン  作者: 不覚たん
第一部 青
16/36

インベーダー

 ジャケットを羽織ってマンションを出た。

 大丈夫だと頭で分かっていても、体は緊張する。


 ぽつんと立っていたのは、黒いコートの細身の女。

 無防備にも一人で、こちらへ背を向けていた。


 俺が咳払いをすると、彼女はゆっくりと振り返った。

「お久しぶりですね。烏丸麗です」

 そんなことを言った。

 忘れもしない、見知った顔。

 鋭い眼光だし、笑顔でもないのに、いまはどこか友好的に見えた。


「驚いたな。まさかあんたが来るとは。えーと、算法……」

「算法電力の代理というのは、偽りの肩書です。本当の姿はおいおいということで」

「いいよ、別に。それで? ご用は?」

 分からないのは、俺に会いに来た理由だ。

 いったい目的はなんなのだろうか。


「少し歩きませんか?」

「いいけど」

 ここは特別なところのない、ごく普通の街だ。

 住宅街だから派手な店もない。


 歩きながら、彼女はつぶやいた。

「もしかすると、芝さんから私の正体を聞いているかもしれませんね」

「いや、悪いがなにも聞いてない。だから最後に会ったあの印象のままだ」

「けど、電話を通じてお話はしていました」

「あの機械音声は、やはりあんたが?」

「はい……」

 なんとも言えない表情を見せた。

 まさか罪悪感でもあったのか?

 いやまあ、俺もどう反応していいか分からないという意味では、なんとも言えないんだが。


「つまりあんたは、カルトの……」

「そう。カルトの教祖の娘」

「はい? えっ? 娘?」

「宇宙人民結社の教祖・斎部為陀命いんべゐだのみことの娘です」

 そうだった。

 教祖は「インベーダー」とかいうクソネームだった。

 しかし娘だと?

 この女が?


「え、ホントに?」

「本当ですよ。ですが、私自身はカルトではありません。母の活動については、心の底から嫌悪しています。ただ、立場上、そういうわけにもいかず……。先日の失礼な態度はお詫びします」

 やや思いつめた表情をしている。

 本当に?

 俺を騙そうとしてないか?

 いや、俺みたいな末端の人間を騙したところで、向こうにはメリットもないはず。

「まあ、事情があるようだし、別に……」

「ありがとうございます。あ、あそこの公園に入りましょう」


 小さな公園が、初冬の月に照らされていた。

 人の姿はない。

 ただでさえ人口減少しているというのに、だいぶ気温が低くなっているから、通行人の姿はほとんど見かけなくなっていた。こうして歩いている物好きは俺たちくらいのものだ。


 並んでベンチに腰をおろした。


「キレイなお月さま……」

「ホントだ」


 満月ではない。

 半月でもない。

 中途半端な形の月。

 それでも冴えた空気の中、ほとんど乱反射もせず、ハッキリとした輪郭の月は、格別に美しかった。

 中秋でも名月でもないのに、俺たちはしばらく空を見上げていた。


 なんだろう。

 微妙にいい雰囲気なのか?


「ところで、芝さんから依頼を受けたと思います」

「ああ、あの件ね。人助けするんだってさ。まさか、そっちもバレてたとは」

 俺はつい苦笑してしまった。

 フジコの唾液を欲しがっていることは、あまり知られたくなかった。


 彼女はすっと目を細めた。もしかしたらこれが彼女の笑顔なのかもしれない。

「あの依頼主、じつは私なんです」

「えっ?」

「母は、政府と癒着して、新しいエネルギーでお金を稼ごうとしています。そのために、罪もない人たちの命を奪い続けている。私はそれが許せない」

 彼女はぐっと拳を握りしめた。

 もしかすると彼女は、自分のことまで責めているのかもしれない。


 彼女はまっすぐにこちらを見た。

「だから、戦いたいんです。そのために、信頼できる仲間が欲しくて……。内藤さんが味方になってくれたら、とても心強いなって……」

「手を貸すよ」

 おっと。

 我ながら軽率な返事をしたぞ。

 実際すでに手を貸しているとはいえ、だ。こんなことに首を突っ込んでいる余裕があるのか、自分でも怪しいのに。


「本当ですか?」

「ああ。ただ、俺はなにかのスペシャリストじゃない。だから、あまり期待はしないで欲しい。協力できるのは、あくまでできる範囲だけだ」

 無闇に謙遜したいわけじゃない。自分のスペックを正しく把握していないと、力量を見誤って致命的な失敗をする。たとえば焦って敵に拘束された各務のように。


 烏丸麗はかすかに息を吐いた。

「不思議な人……」

「そう?」

「ひとつかふたつ仕事を成功させると、みんな自分をヒーローだと思って、すぐに死んでしまう。そういう人たちを、何度も見てきました」

「ま、成功ったって、こっちはただの荷物運びだし……」

 いや、謙遜じゃない。

 調子に乗りたくないだけだ。

 こうして己を律していないと、すぐにタガが外れる。


「あの少年のこと、まだ気に病んでますね?」

「はい?」

 急にイラッとした。

 そうだ。

 この女は、少年が霧になる可能性を知っていた。知っていたのに教えてくれなかった。そんなヤツが、人を救いたいだと?

「私のこと、恨んでます?」

「率直に言えばイエスかな。けどまあ、さっきの話を聞いちまった以上、そっちにも立場ってのがあるんだろうぜ……」


 それでも、サッカーくらいはやらせてやりたかった。

 だってそうだろう。

 ボールがあって、人がいれば、サッカーはできるのだ。そんなことに憧れるなんて。あまりにも理不尽だ。できるなら、あの施設ごとぶっ壊してやりたい。

 子供のささやかな夢さえかなえてやれなかった。俺は大人として恥ずかしい。


「私も悔いていますよ」

 その声は、公園の闇に吸い込まれて消えた。

 俺が返事をできなかったせいで、会話にならなかった。


 おそらく事実なんだろう。

 だからボスにも仕事を依頼したし、俺の前にも現れた。彼女は少し焦っている。とにかく贖罪をしたがっている。

 見た目には表れていないが、なにかをしたくて仕方がないのだ。

 きっと混乱している。


 俺はひとつ呼吸をした。

「ちょっと、なんて言っていいか分からないけど……。そういうとき、俺は結果で証明することにしてるんだ。もしできそうな仕事があったら、こっちに振ってくれ。可能な範囲でやる」

「頼もしいです」

 きっと彼女のやろうとしていることは、とてつもなくデカい。

 俺の力は、ほとんど助けにならないだろう。

 だが、俺個人が微力でも、さらに仲間が増えれば、不可能も可能になってゆく。それでいいのだ。

 そもそも、いまカルトが猛威を振るっているのだって、数が多いからだ。個人個人は超人ではない。それはどこの組織も一緒だ。


 烏丸麗は立ち上がり、こちらを見た。目を細めていた。

「今日はお話しできてよかった」

「俺もだよ」

「最後に、いまもっとも大事なことを伝えておきましょう」

「大事なこと?」

 なんだ?

 どの件だ?

 彼女は、なにを言い出すか分からない。そんな雰囲気をしている。


 すると烏丸麗は、わざとらしく肩をすくめた。

「フジコさんの遺伝子は、すでに収拾できました。もうその件で悩む必要はありません。芝さんにもお伝えしてあります」

 俺は思わず笑ってしまった。

「なるほど。そいつは大事だな。助かったよ、ホントに。打つ手なしかと思ってた」


 まさかジョークも言えるとはな。

 贅沢を言えば、笑顔も見たかった。

 いつか屈託なく笑える日が来るといいが……。


 *


 それからの数日は平和だった。

 いや、ただ表沙汰になっていないだけで、裏ではいろいろあったんだと思うが。


「内藤さん、なんかおごってよ」

「は?」


 ある日、フジコが職場で声をかけてきた。

 急になんだ?

 いや、たかってくるのは珍しいことではないが。


「だって前に、私にガム食べさせようとしてきたじゃない? きっと私におごりたいんだと思ったの。違う?」

 そういえば、あったな、そんなことが。

 もう何世紀も昔のことのように感じられるが。

「いや、いいんだ。忘れてくれ」

「は? 忘れてくれ? なに言ってんの? こっちはもうおごられる気でいたのに?」

「おごる必要がなくなった」

「はぁ?」

「いいからあっち行ってくれよ。忙しいんだよ」

「チャットしてるだけじゃん。え、明智さん? なに? なんの話題?」

「覗くな」

 本当に小学生みたいなテンションで絡んでくる。

 こいつを教育した親のツラが見てみたいものだ。


 すると各務が近づいてきた。

「はぁ、休憩所でジュースでも飲もうかな」

 わざとらしい独り言だ。

 だがフジコはちらと見ただけで、そのまま各務を行かせてしまった。というか無視された各務は、露骨に寂しそうにオフィスを出て行った。


「フジコよ、あいつにおごってもらえばよかったんじゃないか?」

「え、なんで? イヤよ。あいつムカつくじゃない?」

「まあ、そうだよな……」

 印象は最悪のままだ。

 そこを払拭しない限り、二人の距離が縮まることはないだろう。

 ていうか各務も、いちいち言われる前に自発的に気づいて欲しかった。そういうところだぞ、ホントに。お勉強だけ得意な愚者というのは実在するもんだな。


 *


 平和だ。

 カルトはいまだ暗躍を続けているし、そもそもの霧の問題だってなにひとつ解決していないのだが……。事件が視界に入らない限り、俺たちはそれを平和だと認識してしまう。


 スーツを着て、ネクタイをして、出社して、帰宅する。

 メシを食う。ネットをする。ゲームをする。

 たまに贅沢をする。


 まるで問題など存在していないような気がしてしまう。

 ニュースを見れば「どこか」で被害が起きている。

 だが、その「どこか」が「ここ」でない限り、生活に大きな影響を及ぼさない。


 社会の耐久性は、しばしばゴムに例えられる。

 負荷を加えても、伸びる。

 もっと負荷を加えても、伸びる。

 もっともっと負荷を加えても、伸びる。

 なんだ大丈夫じゃないかと安心して負荷を加え続けると、あるとき急に切れる。


 本当は、大丈夫ではなかったのだ。

 悲鳴をあげていたのだ。

 そのことを、俺たちは切れてから知る。

 分かっていても、何度でも繰り返してしまう。


(続く)

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