フジコの遺伝子
カルトの施設から少年を救い出し、横浜の倉庫まで連れてきて、千里眼の男たちに引き渡すところだった。
そこへフジコが、霧が出るとか喚きながら戻ってきた。
「いちゃいけない人」
少年は、フジコを見てそう言った。
特異体質でない俺でも、空気が一変したことは分かった。
俺の見間違いでなければ、少年が爆発した。いや、霧になった。おそらく白衣だけがどこかに落ちているはずだ。
フジコがどうなったのかは分からない。
そこまで確認している余裕はなかった。
人の声のようなものが、ガヤガヤとうるさい。
だが、静寂のようにも聞こえる。
狭苦しいナイトクラブにでもいるような……。
俺はタブレットを取り出し、画面を確認しようと試みた。
が、見えない。
ほんの少しでも距離があると、視界を濃い霧に遮られてしまう。かといって近づけすぎても画面が見えない。
声も通じない。
寝ているしかない。
体が消滅していないだけマシだと思うことにしよう。
少年はどうなったのだろう?
消えたのは間違いない。
いや、消えたところか、この霧自体が少年の身体である可能性もあるが。
おそらく救えなかった。
サッカーをさせてやることもできなかった。
フジコのせいか?
それとも、どうしようもなかったのか?
*
いつ霧が晴れたのかは分からない。
夜だったから、そもそも視界はよくなかった。倉庫の光も心もとない。
ゲロを吐いていたらしいフジコが近づいてきた。
「ティッシュちょうだい」
「ああ」
手渡すと、袋ごと持っていった。
そろそろ自分で持ち歩くことを覚えて欲しいものだが。
俺は冷えた空気を肺いっぱいに吸い込み、深呼吸を繰り返した。
周囲には、まだ千里眼の男たちが倒れている。
座り込んだまま、不思議そうにきょとんとしているのもいる。
偽物の霧だ。
通信が来た。
『霧の発生を確認しました。ご無事でしたか?』
機械音声だ。
不快なイメージが強すぎて、最近ではこの声を聞くだけでイライラするようになってきた。
「こうなるって分かってたのか?」
『分かっていた、というのは正確ではありませんが、予想のひとつではありました』
「なぜ言わなかった?」
『弊構は慈善団体ではありません。特に理由もなく情報を開示することはありません』
となると、これまでの情報開示は、理由があった、ということだな。
たとえば、俺たちを誘導するとか。
「そういえば、あんたらの依頼とやらがまだ来てないようだが?」
『その件でしたら、御社の社長に断られました』
「あきらめるのか?」
『いいえ。ただ、あなたはもっと重要なことが聞きたいのでは?』
「なんだ? ついに正体を教える気になったか?」
だが反応はなかった。
通信は切られていないが。
まさか端末の向こう側で爆笑してたりしないよな……。
『特にないなら切りますね』
「ああ、そうしてくれ」
返答に困った挙げ句、出てきたセリフがこれか。
こっちも忙しいんだ。
談笑している時間はない。
千里眼の男が近づいてきた。
「子供はどうなった?」
「見たでしょう? 消えましたよ」
「ホントなのか?」
「信じられませんけどね」
俺たちの視線の先には、まるで抜け殻のように、少年の着ていた白衣が落ちていた。
きっと彼も見たんだろう。
頭では分かっていても、受け入れられないことはある。
すると彼は、さらに信じられないことを言った。
「悪いが、金は払わない。作戦は失敗だ」
「はい?」
いや、待ってくれ。
それはクソのセリフだぞ。
「当然だろ。子供の引き渡しが完了してないんだから」
「いや、でも連れてきましたよ?」
「いないだろ?」
「そりゃまあ……そうですが……」
いないのだ。
だが、そんなことがあるか?
仕事はしたのに。
男はぐっとこちらを睨みつけてきた。
「は? なんだそのツラ? 文句があるのか?」
「別に顔くらいいいでしょう」
「こっちは施設で犠牲出してんだよ! 裏からウマとこだけ持ってったお前らが出しゃばってくんな! 失せろボケ!」
「はい……」
こちらにはスタンガンもあるし、バックアップもついているのだが、撃ち合っても一円にもならない。
料金の取り立ては上に任せるとしよう。
越水からも無線が来た。
『撤収しろ。あとは上が対処する』
「了解」
*
休日、俺はファミレスへやってきた。
やってきたというか、呼び出された。
「まあ座れ」
「はい」
周りは学生やカップルなど。
なのに俺たちは、いい歳した男だけで集まっている。
「なんか混んでないですか?」
「アニメとコラボしてるらしいな。完全にタイミングを見誤った」
そう言ってパフェを食っているのは明智さん。
いつ見ても同じ服を着ている。
コーヒーをブラックですすっているのはボスだ。
久しぶりに見た。
「ボス、お元気そうでなによりです」
「お互いにな。金は出すから、好きなのを頼んでくれ」
「ありがとうございます」
ボス、また俺のこと雇ってくれないかな。
「で、ご用というのは?」
俺はメニュー表を見ながら尋ねた。
が、返事ナシ。
俺が顔をあげると、ボスは外を見ながらコーヒーをすすっていた。明智さんは我関せずとばかりにパフェ。
これが大人の態度か?
ひとまずハンバーグセットとドリンクバーをオーダーし、俺はコーラをとってきた。
「で、ご用というのは? ボス?」
「俺はもうお前のボスではない」
「まあ雇用上はそうですけど……。じゃあ、なんとお呼びすれば?」
「いや、いい。好きに呼んでくれ。それより、仕事を受ける気はないか?」
「内容は?」
特に驚くような話じゃない。
このメンバーで集まって、この空気。
仕事の話以外ありえない。
周りの少女たちは楽しそうだ。
好きなアニメとのコラボということで、楽しそうに談笑している。
まあ、カモフラージュにはうってつけだが。
ボスはカップを置き、かすかに息を吐いた。
「火輪エネルギー開発を覚えてるか?」
「たしか、茨城だかで爆発騒ぎのあった?」
「そうだ。そこの職員の協力を取り付けることができてな。明智が情報を受け取って分析したところ、興味深いことが分かった」
いや、なに当然のように連携してるんだ。
明智さん、ポラリスから給料もらってるのに。
すると明智さんは、食い終えたパフェのグラスを脇によけた。
「いいか。これはとんでもない情報だぞ。絶対に言うなよ?」
「もちろんです」
「あの青色スモッグをエネルギーに変える実験が行われていてな、ほぼ実用段階に入っているらしい」
「あの霧を?」
人に害をなすだけだった霧をエネルギーに変える。
それ自体は夢のような話だ。
明智さんはしかし顔をしかめた。
「だが青色スモッグとはなんだ? その正体は?」
「正体は?」
誰か知っているのか? もし知っていたら、いまごろノーベル賞をとっているはず。
明智さんは眉をひそめた。皮膚が分厚いから、刻まれたしわも深い。
「お前も見ただろ。人間だ」
「えっ?」
「いや、すべてじゃない。オリジナルの霧は、まだ正体が分かってない。だがカルトが作っている偽物は、人間を材料にしているんだ」
「はい?」
人間を材料に?
だが心当たりはある。
例の少年だ。
俺の目の前で霧になった。
明智さんは息苦しそうな溜め息をついた。
「お前、水輪オフィスプラザの地下で工場を見ただろ? あれは人間を燃料にして駆動している」
「ホントなんですか?」
「間違いない。つまりカルトは、人間を使ったエネルギーで稼ごうとしている」
ただでさえ人が減ってるってのに、さらに減らして使おうというのか。
とんでもねぇクソどもだな。
「えーと、それで……」
「この話には続きがある。人間をただ機械に放り込んだだけじゃ霧にはならない。前もって体組織を変化させる必要があるんだ」
「つまり?」
「薬品を注入するんだ。長期にわたって、何度もな。工場で千里眼が探してたのはその薬液のレシピだ」
点と点がつながってきた。
「なるほど。千里眼の連中、ちゃんとクソカルトと戦ってたんですね。まあ頭では分かってましたけど」
「だが勘違いするな。千里眼もボランティアじゃない。技術が手に入ったら同じことをする」
「なんですかそれ。どっちもクソじゃないですか」
いや、ファミレスでクソを連呼してはならない。
コラボを楽しむ若者に睨まれてしまう。
「さらに続きがあるぞ。じつはこの薬品、フジコに使用されたのと同じものらしい」
「はい?」
「ま、バージョンに違いはあるかもしれないけどな。カルトは、いろんな理由をつけて実験体を集めて、新薬を投与しているらしい」
「フジコはそこから逃げてきたと?」
「まあ不死身だからな。ムチャして逃げたんだろう」
確かにチートみたいなものだ。
死なないんだから。
高いところから飛び降りても平気なんだろう。
頭からケツまでずっとクソみたいな話だ。
だが、問題は、まだ肝心の本題に入っていないということだ。
「えーと、それで……俺に依頼したい仕事というのは……?」
確かにボスには恩がある。
できるだけ報いたい。
だが、モノには限度ってものがある。
俺はタフガイじゃない。もちろんステイサムでもない。いまのところ死んでないだけの運び屋だ。過剰な期待をされては困る。
なぜか明智さんが黙り込み、代わりにボスが口を開いた。
「残念なことに、すでに薬を投与されている方々がたくさんいる。彼らを救うためにも、フジコの遺伝子情報が必要だ。だからお前、なんとか手に入れて持ってきてくれないか?」
「はい?」
ボスはとてもつらそうな表情をしていた。
「解析に必要なんだ。お前、フジコと毎日会ってるんだろ? 頼む」
「いやいや。毎日っていうなら、娘さんにお願いすればいいじゃないですか。一緒に住んでるんですから」
フジコはいまでも向井さんの家に住んでいる。
出ていく気配はない。
だが、ボスは表情を変えなかった。
「お前な、俺が娘にそんなお願いできると思ってるのか? ん?」
「いや、でも事情を説明すれば……」
「事件に巻き込みたくない」
絶対にウソだね。
カッコつけたいだけだ。
「分かった。分かりましたよ。フジコの遺伝子ですね? どんなのでもいいんですか?」
「できれば唾液を採取してくれ」
「……」
それは、俺の人生が社会的に終わるやつなのでは?
俺は思わず頭を抱えた。
「えーと、事情を説明しちゃダメですか?」
「フジコに余計な情報を入れたくない。だいたい、いまお前にした話は、どれが漏れても俺たちの生命に関わるものばかりだ。相手がお前だから話したんだ」
まあそうだ。
火輪エネルギー開発にスパイがいること。人間が薬で霧にされていること。それがエネルギーとして売り出されようとしていること。
どれもアウトだ。
「分かりましたよ。なんとか唾液を採取してみます。ただ、ひとつ聞いていいですか?」
「なんだ?」
「なぜボスがそんな仕事を? 自発的に始めたんですか? それとも依頼ですか?」
「依頼だ。だが依頼主は聞くなよ。さすがに言えん」
なるほど。
立派な依頼を出す人間もいたものだ。
いや、そいつはフジコの遺伝子を手に入れて、クローンを作るつもりかもしれないが。疑い出したらキリがない。
本人に知られず唾液を奪う。
可能だろうか。
いや、やるしかない。
あの少年のような存在を救えるかもしれないのだ。
俺にはこのミッションを成功させる義務がある。
(続く)




