浮気調査
それから数日、俺は浮気調査に駆り出された。
薄暗い車内でじっと待機して、ターゲットが現れたら写真を撮る。現れなければ、ずっと同じ景色を眺める。
仕事なんだから、退屈なのはいい。
だが、ボスのことが気になって仕方がなかった。
「内藤さん、集中してくださいよ。マジで。何回言ったら分かるんですか?」
「はい?」
各務がしかめっつらで、急にダメ出しを始めた。
確かに集中していなかったが、俺は集中してるときとなんら変わらない姿勢でいた。こいつはいったい、なにを見て判断しているんだ?
「ターゲット、いつ来るか分からないから、ずっと見ててって僕言いましたよね?」
「はい」
「なんで見てないんです?」
「見てましたよ」
「いや、見てなかったでしょ? 言い訳はやめてくださいよ」
こいつ、他人を責めることで自分の立場を確認するタイプか?
少なくとも業務時間中は仲間なんだから、協力し合ったほうがいいと思うのだが?
この車内には、俺と、各務と、越水と、フジコがいる。
本当は四人もいらない。
だが俺とフジコが「新人」ということで、研修も兼ねてこのメンバーになった。
「各務、その辺にしておけ」
「はい……」
さすがにイライラしたのか、越水から制止が入った。
フジコはなぜか大物みたいに後部座席でふんぞり返っている。
「クソみたいな仕事ね、これ」
「……」
誰からも反論はなかった。
ターゲットは、三十代の既婚女性。
浮気相手の男と駅前で合流し、この路地裏にあるラブホテルに入るはずだった。だが、駅前のファミレスで長話をしているらしく、なかなかホテルにやってこなかった。
時刻は昼を少し回ったところ。
男は会社員だ。営業職なんだろう。昼間から会社を抜け出して、女とイチャついている。いいご身分だ。だがその身分も、もしかしたら遠からず失われるかもしれない。
通信機が鳴った。
発信者は非表示。
「内藤さん、私用の電話はやめてくださいよ。仕事中でしょ? いくつなんだよ」
「すみません」
俺はそのまま通信を切った。
すると今度はフジコの通信機が鳴った。
「はい、しもしも?」
普通に出やがった。
『あなた方、そんなくだらない仕事をしている場合ですか?』
例の合成音声だ。
越水は「誰だ?」と不振がっているが、フジコは無視して通話を続けた。
「知ってるでしょ? 私たち、クビになったの。いまは転職先で浮気調査。全部あなたのせいよ。責任取りなさい」
『責任? 莫大な借金を踏み倒したあなたが、人の責任を問うのですか?』
「問うのよ。面白いわよね」
『報告する義理はありませんが、芝さんは配達の仕事をやり遂げましたよ。ですが、もう芝商店さんに用はありません。次回はあなた方にやってもらいます』
「目的は?」
『いまは言いません。ですが、いずれ説明するときが来るかもしれません』
「そう。楽しみにしてるわ」
『それでは』
通信が切れた。
ボスは無事らしい。
それは安心したが、次はこちらへ仕事を依頼してくるという。
移籍するだけムダだったのでは?
「なんだ? 誰だいまのは?」
越水の問いに、フジコは肩をすくめた。
「例のカルト。もしかして、お話ししたかった?」
「お前たちに依頼があると言ったな?」
「言ってたわね。でも決めるのは私たちじゃないし」
その通りだ。
仕事を受けるかどうかは、上層部が決める。だが、前に白木社長と話した限りでは、突っぱねる可能性がある。少しモメるかもしれない。
「あ、来た」
フジコが急にどこかを見た。
ターゲットか?
こんな真っ昼間から、堂々とエンジョイし始めるのか?
だが、誰もいない気がするが。
フジコはぶるっと震えた。
「違う。霧よ。いますぐ逃げたほうがいい」
「えっ?」
フジコを除く全員が、間抜けな声を発した。
霧?
青色スモッグか?
本当に?
だが、ここは最初の一回目以外、霧の出たことのない安全地帯だ。だから人々は堂々と活動しているし、浮気だって……。
だが、事実だった。
ブーッと空いっぱいに響き渡るような音が鳴った。
通称「ラッパ」。
この路地裏からは見えないが、きっと駅前を行く人々は、驚いて顔をあげたことだろう。
遠くで悲鳴があがった。
それから、路地裏に何人かが走り込んで来た。
無線が鳴った。
『こちら寺田! いますごい音がして……青い霧が……』
ファミレスを見張っていた仲間だ。
越水が怒鳴りつけた。
「いますぐそこから退避しろ! 早く!」
『はい!』
それから、彼は強く運転席を蹴った。
「各務! 車を出せ!」
「えっ?」
「逃げるぞ!」
「でも調査は……」
「いいから出せバカ野郎!」
「はい!」
各務のヤツ、霧が出てるのに浮気調査するつもりだったのか。
だが、車が発進した途端、越水はまた後部座席を叩いた。
「おい止めろ!」
「はい?」
「止めろッ!」
車はガクンと止まった。
越水はドアを開き、逃げてきた女の腕をつかんだ。
「きゃあっ」
ターゲットだ。
越水は強引に中へ引き込み、急いでドアを閉めた。
「車出せ!」
「はい!」
霧はすさまじい勢いで拡大をはじめ、路地裏にまで侵入してきた。
だが、偽物の霧ほど速くはなかった。表面にびっしりとヒトのシルエットが浮かび上がっており、彼らはなんとか走ろうとするのだが、後ろの霧に引っ張られて思うように前進できないらしかった。
それでもパニックになった通行人の一人が、腰を抜かして座り込んでしまった。
車を飛び出して助けるには、あまりに遠過ぎる。というか、車はもう走り出してしまった。
通行人は霧に捕まり、奇声をあげているうちに、ぱっと霧散して消えてしまった。
「えっ? えっ? なに?」
ターゲットは横たわったままキョロキョロしていた。
若くて溌溂とした女性だ。
家で暇をしているタイプには見えない。
「手荒な真似をして申し訳ありませんでした。我々は探偵です。あなたの浮気調査のため、張り込んでおりました」
「浮気!? し、してない! してない!」
「あくまで調査中です。結論は出ておりません。ところで、ご一緒だった男性はどちらへ?」
「それが……」
「霧の中に?」
「はい……」
車は速度をあげ、ぐんぐん霧を引き離した。
俺たちは助かるだろう。
だが、駅の利用客は飲まれた可能性が高い。
いったいどれだけの被害が出ることやら……。
*
寺田くんは、近くに停めていたフローターで逃げ切ったようだ。
社さんはもともと事務所待機だったため無事。
事務所へ戻ると、白木社長も交えてミーティングが始まった。
「なるほど。霧が……。動画は?」
「車載カメラで録画してます」
越水はタブレット端末でその映像を見せた。
まずはラッパの音が十秒ほど鳴り続け、それから少々の静寂が訪れる。
人々が路地裏に殺到する。
青黒い霧が発生し、周囲を侵食する。
車は急発進で逃走。
ただそれだけだ。
現場では大雑把にしか把握できなかったが、こうして落ち着いて映像で見ると、霧の表面に無数のヒトが張り付いていて、かなりグロテスクに感じた。内側から逃げ出そうともがいているような……。
白木社長は溜め息をついた。
「ターゲットはどうした?」
「自宅付近で解放しました」
越水の言葉に、白木社長はうなずいた。
「分かった。報告書をまとめてくれ。依頼人への説明は、その後考える」
「はい」
浮気調査は失敗に終わった。
だが、少なくともターゲットの生命を守ることはできた。
皮肉な話だ。
*
会議を終えてオフィスに戻ると、フジコの端末が鳴った。
『まさか、あんな場所に霧が発生するとは思いませんでしたね』
例の機械音声だ。
「あなたがやったんじゃないの?」
『きっと誤解していると思いました。しかし答えはノーです。我々が霧を出すには、あらかじめ地下に大規模な工場を設置する必要があります。しかもその霧は、本物と異なり、ヒト状の変化をしない』
まあそうだ。
こいつらの技術は、まだその域に達していない。
「あのラッパはなんなの?」
『その件は私たちも調査中です。いまのところ分かっているのは、たった一度の例外を除き、使用された周波数が同じものであるということです』
「例外って?」
『人類の半数を消し去った、最初の青色スモッグです』
俺はその瞬間、家で寝ていた。
だが映像はあとから見た。
ブーッと鳴っていた。今日の音との違いは分からない。俺には絶対音感がない。
機械音声はこう続いた。
『とにかく、今日の霧は私たちの仕事ではありません。お伝えしたかったのはそれだけ。また連絡します』
そして通信終了。
どうやら霧の動作は、音によって変わるということらしい。
そして、どんな音が鳴っているのかは分かっているのに、その現象をまだ誰も再現できていない。
アメリカの焦り方からして、犯人はアメリカではないのだろう。でなければ「オーシャン」などというプロジェクトに金をかけたりしない。
日本でもない。もし日本にそんな技術力があるなら、政府の参加する第三セクターが現象を再現できないのはおかしい。
だがもし可能だとして、動機は?
人口が半分になれば、どの国も尋常じゃないダメージを受ける。経済活動、消費行動、そのいずれもが半減する。
霧は世界中で発生している。
その被害を受けていない国はひとつもない。
なにも分からない。
世界を滅ぼしたいと考えるカルトの犯行なら、筋は通る。
だが、「自分たちがやった」と声明を出した組織もあるにはあるが、その誰もが霧の技術を有していなかった。もっとも可能性があるとすれば日本のカルトだが、すでに判明している通り、まだ試作の段階。
もしそれさえ偽装のためのアリバイ工作なのだとしたら、もう完全にヒントさえ失う。
いや、考えたところで、一市民の俺に分かるわけがないのだ。
アメリカでさえ分からないのだ。
俺が頭を使うだけエネルギーのムダ、というわけだ。
「フジコ、どう思う?」
「えっ?」
彼女は、もういまのやり取りなど忘れたという顔で端末をいじっていた。
怪しいエロサイトを見ている。
「いや、どうかと思って」
「かなりいい感じね。あなたも見る?」
「いや、いい」
いまのは俺が悪い。
相談する相手を間違えた。
いまの調子で霧が蔓延すれば、本当に人類は絶滅するだろう。
青色スモッグは、あきらかに自然現象じゃない。
誰かがやっている。
凄まじい科学の力で、人類を殲滅しようとしている。
あえて考えないようにしていたが、これらは宇宙人の仕業だったりするのだろうか?
ほかに可能性が思いつかない。
(続く)




