心の距離
それからはいつも通りの多忙なギルドの業務の日々。レイチェルも徐々に徐々に、普段通りの振舞いを見せるようになる。ただ一つ奥底に悲しみは抱いたままに――
「ほらよ、武装羊の皮と肉だ」
「お疲れ様です、バルドさん。状態も非常に良いですね。肉については依頼量より多めですけれど、こちらも査定に出しますか?」
「…………やる」
「え?」
「姉ちゃんにやるって言ってんだ! とっとと依頼分の報酬だけ寄越せ!」
「バルドさん……」
報酬をひったくるように受け取ると、そっけなく背を向けるバルド。
「うめぇもん食えば元気が出る。連れのガキにも食わせてやんな」
「優しいですね、バルドさんは……」
するとバルドは背を向けたままに、腹から大声を張り上げた。
「恩を売りゃあよ! ドゥオリザードの依頼を認めるかもって、それだけだ!」
「ふふ……それでは余計、無茶はさせられなくなりました」
あの時フィリクスを亡くしてからというもの、レイチェルはちょくちょく納品の余りという呈で、冒険者から品を渡された。本来なら遠慮するような事柄だが、メモリアへの気遣いをも匂わせており、レイチェルは素直に受け取ることにする。
仕事を終えて家に帰ると、ベッドから身を起こすメモリアが顔を向ける。
「おかえり、レイチェル」
「ただいまです。起きていて大丈夫ですか?」
「うん、全然だよ。もう歩けるんだ。レイチェルが駄目って言うから寝てたけど」
「そうですよ、駄目なんですから。メモリアさんはずっとずっと、ゆっくりしてていいんですから……」
「レイチェル?」
レイチェルの眼差しは愛情で、しかし恋愛とは程遠い、母子に見る慈愛に似る。
「今日はバルドさんが新鮮なアームドオーヴィスの肉をくれました。塩と胡椒を使って焼きましょうね」
「こ、胡椒!? 胡椒は高いって、じいちゃんが言ってたよ!」
「それは昔の話です。商人を介す内に値段が跳ね上がっただけですから。今は流通経路も安定してます。昔は黄金と同価値という噂も誇張だったみたいです」
「へぇ、レイチェルは詳しいね」
「これから一緒にもっと学んで、美味しいものもいっぱい食べて……そうだ! メモリアさんは明るいし、受付に向いてますよ! それでお仕事が終わったら酒屋に行って、メモリアさんってお酒飲めましたっけ? それからそれから――」
「……レイチェル、一つ話があるんだ」
レイチェルの笑みは凍りつき、ずきんと刺すような痛みが心を貫く。
「あのね、体が良くなったらね――」
「そんなことよりご飯を食べましょう!」
「聞いて、レイチェル。僕はもう――」
「聞きたくないです。私、お肉を焼いてきますね」
背を向けるレイチェルは足早に部屋を去るも、ベッドから這い出たメモリアが肩を掴んだ。
「レマインス村に帰ろうと思うんだ」
「……な……なん……なんで、なんでなんで……」
膝を落とすレイチェルは振り返らぬままに、堰を切ったように泣き出した。
「なんでみんな、私の前からいなくなっちゃうんですかぁぁぁ……」
両手で顔を覆うと、前かがみに床に倒れ込む。メモリアはレイチェルの脇に屈むと、そっと背中に手を置いた。
「ごめんね、レイチェル。僕はもう冒険者はできない……怖いんだ」
「だから……冒険者じゃなくても……一緒にギルドで働こうよ……」
縋るようにメモリアを見上げるレイチェル。しかしメモリアは首を横に。
「駄目だよレイチェル。僕はもう、ここにはいられない」
「うぅ……うぅぅ……うぁあああん……」
「ごめんね、レイチェル。ごめんなさい……」
再び抱き合う二人はまた泣いて、レイチェルの背中を撫ぜるメモリア。けれどレイチェルは以前より、メモリアの心を遠くのものに感じたのだった。