冒険者のさだめ
その日に出勤したレイチェルは、なんだかふわふわと夢心地。
やたら陽気に応対し、にやにやと宙を眺めたり、かと思えば急に体を捩らせたり。唯一変わらない点と言えば、駄目な受注は駄目と言うことくらい。
そんなレイチェルの奇行も、勇ましいフィリクスとメモリアの姿を見るなり、途端に引き締まって淑やかなものになった。
「おはようございます。フィリクスさん」
「おはよ、レイチェル」
「んん? なになにレイチェル。顔が赤いよ! 熱でもあるのか?」
とはいえ想いの内は変えられず、顔は真っ赤に火照っている。
「ななな、なんでもないですよ、メモリアさん!」
バラバラと依頼書を捲るレイチェルだが、てんで中身は頭に入らない。そんなレイチェルを暖かく見守るフィリクスは、気を利かせてレイチェルに進言した
「今の実力なら、鼠喰いの討伐がいいんじゃないかな?」
「い、良いと思います!」
「生息地はソーンヒルだったよね?」
「そうですね。グラシア平原を抜けた先の小高い丘。少し距離はありますが道のりは平たんです。餌を使えばおびき出しやすいですし、狩りの初心者にも最適です」
「えぇぇ……もっとどでかい獲物がいいよぉ」
「駄目です! これから少しずつ、三人で強くなっていきましょう」
「ん、どゆこと? 三人?」
首を傾げるメモリアと、意味深に見つめ合うレイチェルとフィリクス。
親を亡くした孤独なレイチェルにとって、愛すべきフィリクスと弟のようなメモリア。まるで一度に家族を得たようで、舞い上がるレイチェルは両手に二人の手を取った。
「恥ずかしいよ……レイチェル」
「すぐに慣れます!」
「ふふ、じゃあ行ってくるね」
先にメモリアが駆け出して、後を追うフィリクス。逞しい掌が、するりとレイチェルの手から離れて、扉の先へと消えていく。
「おい、なににやにやしてやがる。依頼を頼む」
はっと意識を戻すと、カウンターの脇で寄り掛かるヴェルメリオが、じっとりと睨みを利かしていた。
「あ、すみません。ヴェルメリオさん。どういった内容をご希望でしょう」
「グラシア平原の依頼だったらなんでもいい」
「え? 珍しいですね。でもヴェルメリオさんでは物足りないんじゃ……」
「いいから黙って、案件を出せ」
「うぅん……それでは角ネズミの討伐はどうでしょう」
「それでいい」
依頼書をひったくり、内容に目を通すヴェルメリオの切れ長の青い瞳。不愛想に紙を叩き返すと、そのままギルドを出て行った。
「変なヴェルメリオさん」
その後はいつも通りに業務を続け、いつも通りに無茶な依頼は断り続ける。
待ち焦がれた昼の時間になると、近頃巷で話題の蜜味芋を頬ばるレイチェル。眼鏡を曇らせ、ほくほく顔な彼女の脇を、ギルドマスターが肘で小突いた。
「ごほっ……な、なんですか?」
「聞いたよぉ、昨日フィリクスと二人で、いい雰囲気だったみたいじゃないか」
「ちょ、なんでそれを!」
「酒屋は冒険者もいるんだから。既に噂になってるよ」
「ふえ? えぇえええ!」
「ふふ、今まで内緒にしてたけどね。普段口うるさいと言われる君にも、意外とファンはいるんだよ。この一件で嘆いている者もいるそうだ」
「そんな……嘘ばっかし!」
「あっはっは! でもま、ほどほどにね」
「むう……」
火照るレイチェルはちびちびと芋を齧り、その内に午後の仕事がやってくる。
ちらほらと冒険者が帰ってきて、その中にはトロルのような図体の、バルドが斧を抱えてふんぞり返る。
「お帰りなさい。バルドさん」
「おう、おらよ」
「暴れ猪も軽々ですね、さすがです。二首トカゲまであとちょっとです」
「ちっ、まだ掛かるのかよ」
「ドゥオリザードの体長は12メテアもあって、重さは優に8000カイルを超えます。並大抵の刃では皮膚も裂けません」
「おい姉ちゃん。俺の力をなめて――」
「バルドさんはもっともっと強くなります! 私はそれが見たいんです!」
「…………分かったよ」
ぼりぼりと頭を掻き、赤らむバルド。レイチェルが真に無下にされないのは、こうして冒険者を想う心が伝わっているから。
「おや、依頼の他にもこれは……風切り蜂の蜜袋じゃないですか。バルドさんが赴いたのはマエスティ森林では?」
「ああ、そうだぞ」
じろりと睨みを利かすレイチェル。眼鏡の縁がきらりと光る。
「まさか……場所を偽ってないですか? ドゥオリザードを狙って!」
「ば、馬鹿言え! さすがの俺もギルドの信頼を裏切るようなことはしないっつの。何故か単独で飛んでいたところを見つけたんだ。蜜袋は重宝されるからな」
「ふむ、それはラッキーですが、珍しいこともあるものですね」
金を受け取るバルドを見送り、ギルドには一時の暇が訪れる。
ふと脇に目を遣ると、納品物を纏めるフェルナンドが、不思議そうに蜜袋を眺めていた。
「何かおかしなところがありました?」
「いや、そうじゃないんだけど。最近多くないかい? 本来の生息域とは違う場所で獲物を見つけたって報告が」
「そう言えばフィリクスさんとメモリアさんも、平地でセレプスを捕まえてました。本来は高地にしかいないはずなのに……」
「何か周辺で異常が起きているのかな」
「分かりませんが、冒険者の皆さんには注意するように伝えておきます」
その後は一波訪れて、陽もそろそろ暮れる頃合い。胸を躍らせていたレイチェルの顔にも次第に陰りが見えてくる。
「遅いです……ソーンヒルなら、もう帰って来ても良い頃合いですが……」
「フィリクスもいるし、心配ないって」
「だといいんですが……」
しかしその後も二人は帰って来ず、今日の仕事もそろそろお終いの時がやってくる。
端から順に、室内の灯りを落とすギルドマスター。受付に留まるレイチェルを、柔らかな口調で宥める。
「ほら、帰ろう。きっと明日の朝一で報告に来てくれるさ」
「はい……」
ホールを背にして、とぼとぼと裏手に足を運ぶレイチェル。その手が取っ手に触れた時、どんどんと扉を叩く音がした。
「フィリクスさん!」
振り返ると、すぐに入口へと駆け出すレイチェル。錠を外すと、満面の笑みで扉を開け放った。
闇夜に立つのは、ブロンドの毛先から血を滴らせるヴェルメリオ。肩には人を担いでいる。
「だ、大丈夫ですか! ヴェルメリオさん!」
「俺は問題無い。だがこいつはそうじゃない」
屈むヴェルメリオは担いだ人を床に下ろす。ヴェルメリオ以上に血に塗れる小柄な体は、革の胸当てにレガースを履く、息も絶え絶えのメモリアだった。
「メモリアさん! 酷い傷……これは一体……」
「最近、魔物の異常な行動が目立ったろう。答えがこれだ。現れたのはレナトゥリアだった……」
「レ、レナトゥリア……生き物たちはみな、脅えて逃げて来て……そうだ、フィリクスさんは……メモリアさんにはフィリクスさんが同行して……」
レイチェルの問いにヴェルメリオは口を閉ざす。切れ長の鋭い瞳は鳴りを潜めて、哀しき青を宿している。
「はは……冗談……ですよね……フィリクスさんはどこに……」
無言で懐を漁るヴェルメリオ。透いた手が握るのは、見覚えのある逞しい一つの――手首だった。
「悪いな……これしか持ってこれなかった」
差し出された手首を受け取るレイチェル。その冷めた手の感触は、今朝に温もりを感じたものと同じで、昨夜に涙を優しくぬぐった、愛しい者の尊い手首。
「あ……あ……ああ……ああああ……あぁぁぁああああああ!」
血の気が引き、青ざめるレイチェルはがくんと床に膝を落とす。
「聞くんだ……フィリクスは一人レナトゥリアと戦い、そして――」
「いやぁあああぁぁぁ……ぞんなぁあああ! 嘘だぁあああ!」
大声を張り上げるレイチェルは、両手をあてがい耳を塞いだ。
「北の空へ向かうレナトゥリアを見てな。俺のいたところはソーンヒルまで近かった。フィリクスの依頼は近くで聞いていたからな。援護に向かったんだ」
「き……聞きたくない! 聞きたくない!」
「聞け! 辿り着いた時にはメモリアの意識はなく、既にフィリクスの腕はやられていた。俺は加勢に加わろうとしたが、フィリクスに追い返された。メモリアを頼むと、そしてフィリクスはレナトゥリアに挑み――」
「いやだぁぁぁあああ! 言うなぁああああああ!」
「死んだんだ」
力なく腕を落とし、放心したかのようなレイチェル。微かな囁きをぶつぶつと繰り返している。
「……で……な……んで……なんで………なんでなんで……」
顔を上げるレイチェルは、涙と鼻水と涎に塗れて、怒りに顔を歪ませて、ヴェルメリオに飛び掛かった。
「なんで……なんでなんでなんでぇぇぇえええ! フィリグスざんをぉぉぉ、助げてくれながっだんですかぁぁぁあああ!」
ヴェルメリオの首を締め上げるレイチェル。しかし抗うことも逃げることもしないヴェルメリオは、レイチェルの肩を握り返すと、鬼の如き怒りを露わにする。
「あのまま戦えば、俺もメモリアも間違いなく死んでいた! いつものお前なら冒険者の命を気遣い、フィリクスの判断を肯定するはずだ。違うか? レイチェル……答えろよ! レイチェルゥウウウ!」
「うぐ……ぐぅぅぅ……うぁああああああぁぁぁ…………」
泣き崩れるレイチェルを背にして、ギルドを去るヴェルメリオ。
聞くに堪えない嘆きは扉を閉めたところで耳に届き、舌を打つヴェルメリオは、空に輝く星々を見上げる。
「無駄足になっちまったな……」
懐から瓶を取り出すヴェルメリオ。蓋を開けると、七色のてんとう虫が夜空を舞った。