幸せの予感
ギルドの朝はとても早く、日の出前から冒険者は動きはじめる。本日も大盛況のギルドのホールの片隅には、忙しなく辺りを見回すメモリアの姿があった。
「メモリアさぁん!」
カウンター越しに声を上げると、駆け寄るメモリアの瞳は陰るように不安げだ。
「どうかしたんですか?」
「フィリクスと待ち合わせしたんだけど……でも時間を忘れちゃった。僕を置いて先に行っちゃったのかも……」
「フィリクスさんはちゃんと待っててくれますよ。たぶん待ち合わせはもう少し遅い時間だったんです。椅子に掛けてゆっくり待ちましょう」
「……うん」
とぼとぼとカウンターを離れる小さな背中。腰掛けるメモリアは逐一訪れた冒険者の顔を見て、喧嘩を売ってるのかと睨み返され委縮する。
そわそわと見守るレイチェルだが、フィリクスがやってくるなり二人の顔に笑顔が弾けた。
「遅いよフィリクス!」
「あれれ、時間通りなはずだけど……」
「メモリアさんは日の出からずっと待ってたんですよ」
「なるほど、やる気十分ってことかな」
「そういうことだい!」
フィリクスと二人で強気なメモリア。依頼の受注を終えると、大手を振ってギルドを発った。
「いってらしゃぁあい!」
扉が閉まるその時まで、レイチェルは二人の背中を見守る。
「まだ二回目だというのに、随分親しくなったね」
振り返るとそこにはギルドマスターがいて、親の顔のようなほっこり顔を浮かべている。
「放っておけなくて、なんだか弟みたいです」
「家族か……冒険者に思い入れし過ぎるのは、あまり良くないよ」
「分かってます。父を見てきましたから」
「余計なお世話だったね。君のお父さんは立派な冒険者だったよ」
胸のペンダントを握り締め、亡き父の懐旧に浸るレイチェル。しかしそれも束の間で、またすぐに多忙な時間に流された。
そろそろ傾く陽が差し込む頃合い、新たな依頼書を纏めるレイチェルの耳に、騒がしい物音が扉の外から届いてくる。
タンタンタンと、石段を跳ねる音。それがメモリアのものだとすぐに気付いて、レイチェルは書類をほっぽり出して席を立つ。
「帰ったよぉ!」
「まだまだ元気ですね、メモリアさん!」
「そうなんだ! 身体がうんと軽いんだ!」
ホールを駆け回るメモリアに、怪訝な目を向ける冒険者たち。ただ敵意剥き出しというよりは、まったくやれやれといった呆れに近い。
「本当に素晴らしい動きだったよ」
「えへん」
「あまり調子に乗っちゃいけません」
「がっくし。でもでもフィリクス! レイチェルにあれを見せてあげてよ!」
早く早くと急かすメモリア。逃げたりはしないよと大らかなフィリクス。荷物袋を下ろしたところで、メモリアが先に袋の中に手をつっこんだ。
にやにやとしながら焦らすメモリア。レイチェルが大袈裟にお願いしてみせると、ジャジャンと一声、メモリアの手には翼のような耳をもつウサギが握られる。
「空うさぎ! とてもレアじゃないですか! でも生息地は高原のはずでは?」
「餌場を求める群れから、はぐれた一匹なのかもしれないね。小柄で警戒心も強いセレプスを、メモリアは素手で捕まえてみせたんだ」
「す、凄い……凄いですよ! メモリアさん! 天才です!」
「僕はレマインス村の出身だぞ! 山と森が庭なんだ! このくらい朝飯前だぞ」
得意げに鼻を鳴らすメモリア。そんな彼を見る周囲の目は、呆れから感嘆へと移り変わる。
「明日はね、本格的に狩りに行ってみようって、メモリアと話したんだ」
「そうなんだ! ねぇ、いいだろ? レイチェル!」
「駄目です!」
「そんなぁぁぁ」
がくんと項垂れて、しょぼくれるメモリア。くすりと笑うレイチェルは、こほんと一つ咳払いを放つ。
「って、言いたいですけど。適正な実力に合わせるのも私たちの仕事です。フィリクスさんのお墨付きで同伴があるなら、このレイチェル、駄目とは言いません!」
「いやったぁあああ! レナトゥリアを狩るぞー!」
「それは駄目です!」
あどけないメモリアにレイチェルの表情も緩む。ふと視線を上げると、微笑むフィリクスが見つめていて、レイチェルも優しく微笑み返した。
その夜、仕事を終えたレイチェルがギルドの裏手から表へ出ると、壁掛けの灯火の下にはフィリクスが佇んでいた。
「フィリクスさん? こんなところで……どうされましたか?」
「ちょっと、今後のことで君に話があるんだ」
「今後……」
フィリクスの隣に収まって、ユースティアの夜の街道を二人で歩く。ほとんどの店は閉まり、冷えた空気も相まってもの寂しい。
寒さに震えるレイチェルはフィリクスに肩を寄せ、体と心に温もりを感じる。
暫く歩くと、暖かな光の漏れる石造の建物が見えてくる。歩を進める毎に騒がしい声も聞こえてきて、それは一軒の酒屋だった。
「お酒は飲める?」
「大好物です!」
水の飲めるユースティアでは酒の消費は少ないが、それでもやはり人の心を虜にすることは変わらない。
中は飲み荒れる者に潰れる者。各席ごとの惨事を見せるが、ことフィリクスとレイチェルの席は和やかだ。
「ん~~ぷはぁ……やっぱり仕事後の淡冷麦酒は美味しいですぅ」
「あは、レイチェルって傍目には少女に見えるのにね」
「中身はおっさんなのかもしれません」
ぷっと息を漏れ出して、次第に陽気な酒屋の空気に吞まれていく。
暫くの雑談を続けて、このまま終わりにしたかったレイチェル。けれど勇気を振り絞って、フィリクスに尋ねてみた。
「それで……その……お話というのは……」
「うん。実はね、今すぐにじゃないけれど、グラマリアに行こうと思うんだ」
「グラマリアって……世界有数の魔法都市」
「グラマリアにはこの地方では見ることのない、貴重な素材や生き物がたくさんいるんだ。ユースティアが嫌いって訳じゃないよ。でも冒険者として、一度は新天地を求めてみたいんだ」
「……そうですか……」
嫌な予感が的中し、レイチェルの顔には陰が落ちる。フィリクスはレイチェルが新米だった頃から、ずっと優しく接してくれた頼もしいお客様で、先輩で、そして――
「それとね、来たる時にはメモリアも連れて行きたい」
「メモリアさんも……」
「彼はね、途轍もない才能の持ち主だよ。身軽さに関しては育った環境のせいだろう。既に俺より優れてる」
「あはは……凄いですね。夢のような話です。本当に夢のようで、私には追い付かない世界で……」
堪えようとした涙が、目の縁いっぱいに溜まる。零してはなるまいと、唇を嚙みしめるレイチェル。
けれど限界で、涙を拭おうとレイチェルの手が眼鏡を外したところで――
「それでね、話したいことはここからなんだ」
「――――え?」
「レイチェル。君にも一緒に来て欲しい」
手から眼鏡が滑り落ち、固まるレイチェル。頭の中は真っ白で、周りの景色は除かれて、ただ目の前のフィリクスだけが潤んだ瞳に映り込む。
「ですが……私は冒険者では……」
「そうだね。だから俺の大切な人として、生涯のパートナーとして、君と共に世界を見つめていきたい」
堪えようとした涙だけれど、もはや阻むものは何もない。溢れる涙を思いのままに解き放ち、けれどその涙は先程までとは別物だった。
歴戦の冒険者の逞しい手は、レイチェルの頬を伝う雫を、優しくそっと拭い取る。
「俺と結婚しよう、レイチェル」
「はい……フィリクスさん……嬉しいです……」