理想と現実
メモリアの病が判明してから翌日のこと。ヴェルメリオがギルドの前まで訪れると、何やら屋内が騒がしかった。
「…………ったい……考え……ですか……」
不思議に思いながら戸を開くと、カウンターではあのルアンが、想い人であるレイチェルに怒号を上げている。
「馬鹿なことはお止めなさい!」
「…………」
一昔前のヴェルメリオなら、すぐにルアンを疑って掛かったはず。しかし今はルアンの人となりを知り、肩を掴むヴェルメリオの手にも力は込められていなかった。
「おい、いったい何があった」
「それが……その……まずはこれを見てください!」
ルアンの差し出したものは一枚の依頼書。受け取ったヴェルメリオは中身に目を通す。
「場所はアネックス山の泉のほとり……レマインス村を登った先か。内容は……レナトゥリア!? 遂に居場所が見つかったのか……」
「問題はそこじゃありません! 依頼の目的と、そしてその下の部分です!」
急かされて目を走らせると、次第にヴェルメリオの目は見開かれる。
「目的は……依頼場所への案内と護衛……討伐が目的じゃないのか? こんなおかしな依頼の主は……レイチェル……」
依頼書をカウンターに叩き付けると、ヴェルメリオはレイチェルの胸倉を掴み上げる。
「馬鹿野郎が! 冒険者でもない小娘が調子に乗るなよ!」
「…………」
怒涛の圧を前にしても、力の抜けたレイチェルは目を逸らして俯くだけ。
昇る怒りを吐息に混じえて吐き出すと、襟から手を離すヴェルメリオ。合わせてレイチェルはすとんと椅子に腰を落とした。
「お前、一体なにをするつもりだ」
「……ドラゴンの血は、万病に効くと言われてます。レナトゥリアの血は、四肢をも生やすと言われてます」
「そんな目論みは分かってる。問題は案内と護衛という部分だ。お前が行って、どうするんだって話だ!」
「……お願いします」
「なんだと?」
見上げるレイチェルの瞳は哀しみの向こう側に向いている。夢と希望と――
「フィリクスさんに、お願いするんです……血を分けてくださいと……」
幻想に満ちていた。
ルアンの目は憐れを見るように細められ、ヴェルメリオ堪え切れずに頭を抱えた。
「あのなぁ……笑わんとは言ったが、幾らなんでも無謀すぎる。大体この場所にレナトゥリアがいると、どうしてお前に分かるんだ」
「南に飛ぶ姿を見ました。そして夢にも見たんです。きっとあの夢は、フィリクスさんが私に居場所を教えてくれる為に……」
「どうかしてるな。仮にいたとしてもだ、下げた頭を喰われるオチが目に見えるぞ」
「そんなことは……やってみなければ分かりません」
「やってみなければ分からないあやふやを、駄目だと言い続けたのはお前だろ!」
「だったら! メモリアさんが死んでもいいと! そう言うんですか!?」
椅子に小さく収まるレイチェルは、膝上のペティコートをぎゅっと握る。
「メモリアさんは死なないと、あの時わたしに約束しました。そして私は泣かないことを約束しました。私が泣かなければメモリアさんは死にません。私が諦めなければ! メモリアさんは死なないんです!」
見上げるレイチェルの顔は険しいもので、しかしそれは今にも溢れんとする涙を堪える、覚悟の表れでもあったのだった。
「……分かった。百歩譲って、諦めない精神だけは認めてやる」
「だったら……」
「だが駄目だ。こんな依頼はすぐに取り消せ」
「な、なんで!」
「そもそもだ、こんな湿気た報酬金額で誰が請け負う。お前の給料程度で賄えるほど安い依頼じゃないだろう。現実見ろ、レイチェル」
すくと立ち上がるレイチェルは両手を前へ伸ばす。その手がヴェルメリオの襟を掴むと、ぐんと上体を乗り出して――
「現実なんて見てたまるか! 弟を見殺しになんてできるかぁあああ! メモリアさんは私にとって……家族なんだぁあああ!」
烈火のごとく怒るレイチェル。見据えるヴェルメリオの目は哀しみに満ちて、襟を掴むレイチェルの手を取ると――強い力で突き飛ばした。
尻もちをつくレイチェルを前に、ヴェルメリオは依頼書を手に取ると、目の前でびりびりに破いてみせた。
カウンターに散る依頼書を目の当たりにするレイチェルは、鼻を真っ赤に火照らせて、散った紙切れを必死に寄せ集める。
そんな無様を見下ろすヴェルメリオの瞳は冷えていて、ルアンですら手伝おうとはしなかった。
「白けた。行くぞルアン」
「ええ……」
恨みの視線を向けるレイチェルを一瞥すると、カウンターに背を向ける間際、ヴェルメリオは捨て吐くように囁いた。
「レイチェル、現実を見るんだ」