バックヤード
ドタバタな午前の仕事も終わり、昼時はいったん受付を閉じられる。
紋章や依頼書に冒険者たち。それぞれが織り成すギルドという施設の存在感。その特殊な雰囲気も、ギルドのバックヤードとなれば形もない。
素朴な石壁にありきたりな木の食卓。皿の上には近頃のレイチェルのお気に入り、七星茸のシチューにドルチス麦を挽いた真っ白なパンが乗る。
「うぅん、美味ですぅ。仕事の疲れもぶっとびますねぇ」
もちもちとした触感が口に広がり、あわや零れる頬っぺたを支えるレイチェル。マグを手に取り口に運ぶと、まっさらな水で流し込む。
幸せ顔のレイチェルを横目に見るのは、ギルドマスターである小太りの中年の男。
「ははは、さっきまで大男たちを相手取っていたとは思えないね」
「ギルドマスターはビビり過ぎです。話せばちゃんと分かってくれます」
「でもさ、もう少し甘くしてやってもいいんじゃない?」
片手のパンを皿に戻すレイチェル。向き直す顔はギルドの使命を帯びていた。
「こうして豊かに暮らすことができるのも、ギルドの繁栄があってこそです」
「確かにね。無茶な依頼をするギルドは冒険者の致死率も高く賑わわない。冒険者がいなければ商店も栄えないしね。隣町のストリクトなんて見てられない」
「できることからコツコツと。ここユースティアの町の冒険者は長生きだし、怪我も少ないです。その分いっぱい成長できて、レベルの高い冒険者が多いんです」
「脱落した冒険者も経験を活かした商売してるしな」
「綺麗な水が豊富なのも、引退した魔法使いさんのお陰です」
「おかげでうちのギルドへの依頼も多いよ。いいことずくしとはこのことだね」
「私の苦労があってこそですもん。もっと給料あげてくださいね」
「あはは……その話はまた今度……」
ギルドマスターはそそくさと立ち去り、残りの昼食を楽しむレイチェル。
午後に入ると受注も鎮まり、賑やかなギルドも落ち着きも見せる。
「ふぁ~、食べ過ぎました。ちょっぴし眠いです」
「だったら納品された素材の捌きを手伝っておくれよ。仕入先がまた増えた」
「それはフェルナンドさんのお仕事でーす。受付は私ひとりですから」
大半の冒険者は朝に発つので、ここからは戻る冒険者の結果待ち。品の査定は専門の目利きがしていて、次第にレイチェルの頭はこくこくと揺れ出す。
「うわぁい! 帰ってきたぞぉおおお!」
うたた寝から飛び起きたレイチェルは、眼鏡のブリッヂを正して目を凝らす。すると開かれた扉の先には、陽の光を背にする二人の男。
「フィリクスさんにメモリアさん!」
「レイチェル、戻ったよ」
駆け回るメモリアの体に鎧はなく、フィリクスは大荷物を肩に担ぐ。
「随分とお早いですね!」
「すぐ近くのグラシア平原だったからね」
互いに見つめ合うレイチェルとフィリクス。その横から身を乗り出すメモリアは、布袋を手に腕を掲げる。
「見て見て! こっち見てよ! これ僕が取ったんだ!」
袋の口を広げてひっくり返すと、カウンターには濃い緑の多年草と、ラッパ状の花弁の花が転がり出た。
「ほほう、リンネハーブにヴィータリリーですか。どちらも医学に重宝されますね。でもヴィータリリーは球根をふかしても美味しんです!」
「これ、食えるのかぁぁぁ」
ヴィータリリーを指で突っつき、じゅるりと涎を垂らすメモリア。それを眺めて笑みを零すレイチェルの横から、ガラス瓶が差し出される。
「で、こっちが依頼の目的のアルコフェミナだね」
「さすがです、フィリクスさん。七色の斑点のてんとう虫。まるで宝石みたいです」
「僕だって! あとちょっとで捕まえられたんだい!」
餅のような柔らかな頬をぷっくり膨らませるメモリアだが、すぐに興味は瓶の中の虫に向けられる。
「でも、こんなちっちゃい虫を一匹だけ。捕まえて何になるんだよ」
「てんとう虫は神様の遣いなんですよ。アルコフェミナは教会の祭事や結婚に使われるんです。今回のご依頼も、ご結婚を控える方からの依頼でした」
「ふぅん。捕まえに行くぐらいなら、育てちゃえばいいのに」
「神の虫ですから。人の手で育てることは禁じられてます。必要な時に少しだけお借りする。儀式が終われば野に返します」
「そっかぁ。僕たちの捕まえたてんとう虫で、幸せになれるといいなぁ」
依頼を金としてではなく、依頼主に想いを馳せるメモリアの無垢を前にして、レイチェルとフィリクスの顔には初心を思う、懐旧の笑みが浮かんだ。
「それにしても、メモリアは覚えが良いよ。それに勘も鋭いね」
「でしょでしょ!」
「フィリクスさんに言わせるなんて凄いですよ」
「えへん」
うんと胸を張るメモリアだが、フィリクスの笑みは苦笑いに移り変わり――
「ただ……装備がね……」
「そういえば、あのオーバーサイズのプレートアーマーはどうしたんです?」
肩から大荷物を下ろすフィリクス。袋の底が床に着くと、がしゃんと激しい金属音が鳴った。
「あれを担いで歩いたんですか!」
「グラシア平原に行く途中、メモリアがバテちゃってね」
「うう……フィリクス……ごめん……」
項垂れるメモリアを見つめるフィリクスは、ぽんと一つ手を叩く。
「そうだレイチェル。良かったらメモリアに装備を見繕ってあげなよ」
「え? 私がですか!? でもまだ仕事が残っていて……」
「ここから先は結果報告がほぼだし、駄目と言わなきゃいけない冒険者は来ないよ」
「それはそうですが……」
思いあぐねるレイチェルの小さな肩が、景気よくどんと叩かれた。
「行ってきなよ! 君は働きすぎだ」
「ギ、ギルドマスター!」
「このまま勤勉に働かれちゃあ、もっと多くの給与を支払わなきゃならない」
「ふふ、ではお言葉に甘えます。もし受注に来る者がいたら、ちゃんと適正な依頼をお願いしますよ」
「善処する、それでいいかな?」
苦笑するギルドマスターを前に、朗らかな笑みを浮かべるレイチェルは――
「駄目でぇす」