悠久の時
酒屋を出て、冷え切った夜の町には星の光が降り注ぐ。
メモリアは泥酔したルアンを肩に担いで、その後ろをレイチェルとヴェルメリオが並んで歩いた。
「ヴェルメリオさんは大丈夫ですか?」
「少しはな……外の空気を吸って酔いが冷めた」
淑やかに微笑むと鼻歌を鳴らすレイチェル。健気な横顔を見るヴェルメリオはふと言葉が漏れ出した。
「お前の方こそ……」
その先を言い掛けて、ヴェルメリオは口を噤む。
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
遥かな夜空を見上げるレイチェル。眼鏡を通して星の光が瞳に集い、世界はどこまでも繋がっているのだと思いを馳せる。
「レナトゥリアは、今どこにいるんですかね」
「……さあな」
「グラマリアには行ったのかな」
「なぜだ?」
瞳を落とすレイチェルは、ヴェルメリオの方に向き直して微笑みかける。その誰しもが和むレイチェルの笑みが、ヴェルメリオには一瞬泣き顔のように思えた。
「フィリクスさんが行きたがってましたから」
「それは……そうか……」
にわかに信じ難い転生竜の伝説。魂を引き継ぐという新説は、まるで子供が夢見るお伽噺。
「そんなの馬鹿げた話だって、ヴェルメリオさんは笑いますか?」
「そんなことは思わん」
くすと笑うレイチェルは、再び空を仰ぎ見る。いつどの時代にも変わらない澄んだ夜空を。
「竜は千年の時を生きます。千年前など想像もできません。そして千年後は一体どうなっているのでしょう。それを見れるのは千年竜だけ……」
「俺たちにできることは、今を精一杯に生きることだけだ。千年前も千年後も、きっとそうしてる」
「……ですね」
それが今を生きるレイチェルの拠り所で、それがなければ朽ち果てる。ヴェルメリオは今この時、レイチェルを想う心は千年の時を経ようとも、永久に叶わないのだと悟った。
翌日のギルドにはメモリアもヴェルメリオも、そしてルアンも訪れなかった。昨日の酒と夜更かしが響いているのかと、レイチェルは思い浮かべて息を漏らす。
休みの時間は分厚い魔物図鑑に目を通す。新たな知識を得んが為だが、ふと気づくとレナトゥリアのページで目を留めるレイチェル。
あれからというもの、レナトゥリアの目撃情報は聞かなかった。居場所も分からなければ討伐の依頼も承れない。レイチェルはそれが嬉しくもあり、同時にどこにいるのかというのも気掛かりだった。
その日の午後は訃報があった。ギルド全体で見れば珍しいことはなく、毎日のように死者は出ている。しかしユースティアではフィリクスに次ぐ死者だった。
Cランクのグラヴィス。真面目に堅実にこつこつと。才能はないが経験でCランクとなったベテラン冒険者。肩には大きな噛み痕が残されていて、出血性ショックが死因とされる。
担いできたのは同じくCランクのバルドだった。
「ぐす……グラヴィスとは同時期に冒険者をはじめた仲だったんだ。俺は”がたい”がいいからすぐにCランクになれたが、あいつは恵まれない体格で頑張って頑張って……Cランクになれた時には盛大に祝って……それが……うう……」
「バルドさん……少しお休みになられては」
バルドは逞しい腕でぐいと涙を拭うと、太い首を横に振った。
「いや、これは冒険者の義務だ。報告はしっかりしなくちゃならねぇ……じゃなきゃ皆を危険に巻き込んじまう」
「バルドさんはお強いです。本当に、本当に……」
ぐっとペディコードの裾を握るレイチェル。以前にも増して生死の価値観の変わったレイチェルの目頭は熱くなる。
「あいつは銀狼にやられたんだ。俺はケレスティ高原を降りたところで血塗れのグラヴィスを見つけて、その時にはまだ息もあって……しきりにシルウァの名を口にしていた」
「シルウァの生息域はケレスティ高原を抜けた先、メイルフィ森林では……」
「俺もそう思った。だけどグラヴィスが嘘を吐くか? 俺にはそう思えねぇ。姉ちゃんだってそう思うだろ?」
「……そうですね。ありがとうございます、バルドさん。身寄りのないグラヴィスさんはギルドで弔います。明日の朝にカルム教会で――」
「……すまねぇ、恩に着るよ」
バルドは惜しむようにグラヴィスの頬を撫でると、とぼとぼとギルドを後にした。
遺体を医師の手から教会に引き渡すと、見送るレイチェルの肩に掌が乗る。
「いつまでも慣れないものだね」
「ギルドマスターでもそうなのですね。そしたら私には、一生無理ですね……」
「慣れて良いものではないよ。しかしシルウァに襲われて、高原の麓まで逃げることができたなんて……」
「グラヴィスさんの荷物には魔除け玉がありませんでした。恐らくそれを使ってシルウァを撒いたんでしょう」
「これもレナトゥリアの影響かな」
「……分かりません」
亡きグラヴィスが見えなくなるところでレイチェルは十字を切る。
「エイメン……魂が救われるようお祈りします……」