だが駄目です!
「駄目です!」
「駄目ですっ!!」
「駄目なのです!!!」
繰り返される甲高い叫び声。ギルドの石造りのホールを揺らすほどの大声は、小柄で地味な乙女の腹から絞られる。
「おいおい、姉ぇちゃんよ。Cクラスのバルド様が受けたいって言ってんだ。受付ごときに断る権利があんのかよ」
目下に睨みを利かすトロルのような大男。カウンターを挟んで向かいには、おさげ頭のレイチェルがちょこんと佇む。
「駄目ったら駄目です! バルドさんに二首トカゲの討伐は早すぎます! こちらの岩ナメクジにするべきです!」
「おいコラ、いい加減にしろよ。ロックスラッグなんぞ今さらこの俺が――」
「駄目です! 駄目駄目駄目です! 絶対に引き下がりません!」
「ああ、もう……分かったっつの! こいつをやりゃあいいんだろうが!」
頑ななレイチェルは依頼書を突き付けて、バルドはそれを仕方なくぶんどった。
こんな珍騒動が、この日だけで既に八回。眼鏡の奥は涙目のレイチェルだが、例えどんな強面だろうが、決して引き下がることはしない。
どすどすと足を鳴らして去るバルドと入れ替わりに、栗色のくせ毛の男がカウンターへと足を運ぶ。
「まったく……相変わらずだね、レイチェルは」
「フィリクスさん!」
潤んだ瞳はどこへやら、はしゃぐレイチェルの黒目には、フィリクスのくしゃっとした柔らかな微笑みが映される。
「冒険者は総じて気が短いんだから、ほどほどにしないと危ないよ」
「駄目ですっ。私の危険より、冒険者さん達の安全が第一ですからっ」
「レイチェルは優しい子なのにね。これで疎まれたらもったいないよ」
「いいんですっ。フィリクスさんが分かってくれれば!」
無邪気な笑みを返すレイチェルに、フィリクスは照れ臭そうにくせ毛を掻いた。
血気盛んなギルドの中に朗らかな空気が漂うが、そんな甘い空気は入口の扉が開くことで、あっという間に換気される。
ブロンドの髪を靡かせて、颯爽と受付台に訪れる青年。すらっとした長身の高みから、小柄なレイチェルを見下ろした。
「おい女、銀狼の討伐だ。依頼書を寄越せ」
「ヴェルメリオさん。確かにあなたの実力は高いです」
「だったらとっとと――」
「でも駄目です。シルウァは群れを成すのが基本です。依頼の数が一頭でも、相手取るのは一頭では済みません」
「そんなことは分かってる。それも踏まえて一人でやれると言ってるんだ」
「駄目ったら駄目です。受けるなら他に同伴の方を――」
「いいから黙ってやらせろ!」
ヴェルメリオの握り拳がカウンターを激しく叩いた。レイチェルの眼鏡は傾いて、身は恐怖に固まる。
再び涙目となるレイチェルに、いきり立つヴェルメリオ。旅人と北風のようだが、穏やかなフィリクスが二人の間に割って入った。
「まあまあ、ヴェルメリオ。そんなに怒るなって……」
「フィリクス……こいつのお節介にはな、みな迷惑してるんだ。こういう生意気な女には一度、しっかり分からせてやった方がいい」
穏やかさから一変。ぴりぴりとした空気に包まれるが、またもギルドの扉が開かれると、場の空気は更におかしな事態に発展する。
「たのもぉおおお!」
無骨な台詞とは似つかない、快活な声の一人の少年。背丈に似合わぬ大袈裟なプレートアーマーの首からは、ぼさぼさ頭の赤毛が生える。
ホールがしんと静まり返る中、きょろきょろと辺りを見回す少年。カウンターの向こうのレイチェルと目が合うと、重い鎧をがしゃがしゃと鳴らせてのしのしと歩いてきた。
「レナトゥリアの討伐をしに来たんだ!」
「えぇと……見ないお顔ですが。ギルドのライセンスはお持ちでしょうか?」
「ないよ! これから冒険者になるんだから!」
「えぇとですね……」
どこから説明するべきかと唸るレイチェル。呆れるヴェルメリオの方が先んじる。
「おい、ガキの来る場所じゃないんだよ」
「ガキじゃない! 僕の名前はメモリアだ。伝説のレナトゥスを倒しにレマインス村からやって来たんだ!」
「はっ、ド田舎の出身か。どうりで阿保な訳だ」
「なにを~!」
バチバチと火花を散らせるメモリアとヴェルメリオ。しかし目下メモリアの最大の壁は、威圧的なヴェルメリオではなく小柄で地味なレイチェルの方。
「メモリアさん、それは駄目です。ギルドにはSからDまでの格付けがありますが、ドラゴンであるレナトゥスに挑むには、最高のSランクのライセンスが必要です」
「そんなぁ、僕はすっごく強いんだよ。なぁ、頼むから行かせてくれよぉ」
うるうると潤む、メモリアのあどけない緑の瞳がレイチェルを見上げる。
「か、かわいい……です」
思わず本音が出たところで、ぴしゃりと己の頬を打つレイチェル。
「ふん。行かせてやりゃいい。死ねば馬鹿も治るだろ」
「そういう訳にはいきませんよ、ヴェルメリオさん。それでメモリアさんは、なぜそこまでレナトゥスの討伐にこだわるのですか?」
「ドラゴンの血を飲むと、どんな病も怪我もたちどころに治るんだって! だから歳取った僕のじいちゃんとばあちゃんに飲ませてやるんだ」
深い溜め息を漏らすヴェルメリオだが、メモリアは至って真面目な顔のままだ。
「メモリアさんは優しいですね。ですが駄目です」
「なんでだよ! じいちゃんとばあちゃんが死んだら……お前のせいだ!」
「私のせいで結構です。ですが私の良し悪しで、あなたの命を危険に晒します。メモリアさんの祖父母は、メモリアさんが死ぬことを望んではいないはずです」
「うぅ……」
押し黙るメモリアを横目に、レイチェルは戸棚から書類とライセンスを取り出した。
「メモリアさんはDランクからはじまります。まずは非戦闘の依頼から、順に積み上げていきましょう」
「非戦闘?」
「色々な依頼がありますが、いずれ狩りを目指すなら素材の採集がお勧めです」
「採集だなんて……そんなのやってられないよ……」
するとここまで黙していたフィリクスが、項垂れるメモリアの肩に手を乗せた。
「採集を甘くみちゃいけないよ」
「だ、誰?」
「俺はフィリクス。Aランクの冒険者だ。良かったらメモリア、共に採集の依頼を受けないかい?」
「えと……その……」
ぱちんと手を叩く音がホールに響く。手を合わせるレイチェルは、次に人差し指を上に立てた。
「それがいいです! 上級者と一緒なら正しい知識を身に着けられますし、そのぶん早く上のランクに上がれますよ!」
「ほ、本当に……?」
「フィリクスさんは私も自慢の優秀な冒険者さんです!」
「う、うん……そしたらフィリクスさん……お願いします」
これまでのお調子が打って変わって、ぺこりと頭を下げるメモリア。
「フィリクスでいいよ。よろしくね、メモリア」
フィリクスの差し出す友好を、メモリアの右手が握り返す。新たに繋がる絆を前に、レイチェルの顔は柔らかに緩んだ。
「おいおい……それはそうと、俺の依頼はどうなった」
「Bランクのヴェルメリオさんにはこちら、二首トカゲがお勧めです!」
「ちっ……そんな依頼やってられ――」
ヴェルメリオが言い終わるや否やの間際、溌溂としたレイチェルの拒絶の声が、今日も元気にギルドのホールに響く。
「駄目ですから!」