祖父の死
父と母の出会い、そして祖父の死までどのような生活だったのか
勝の人柄は申し分ないのだが、春子とやっていくことに自信がなかったのだ。
しかし優子の父が「いつでも帰ってきたら良い。そう思ったら安心だろ。」
そう言ってくれた思いで、決心したのだった。
結納の品物を選ぶときにも結婚式の段取りを選ぶときにも、勝と優子が決めてきた後にも勝手に変更し、後日報告で分かる始末。
親がなんとか体裁を整えるのだと言い訳をするが、結局自分が気に入らないことはしたくないだけなのであった。
先祖から土地を引き継いできた織田家と豊川家は似ているが、職業がアパレルの織田家に対し、優子の両親は高校と中学校の先生であった為、性格が違っている。
豊川家は先祖からの土地を引き継いで、10棟ほどのアパート経営をしており、お金にはまったく不自由していなかった。
春子の言葉を信用して一切持参金を持たせなかったが、そうは言っても多額の持参金を持たせるのが親でしょう。と、自己中心的な常人ではない曲がった考えを持った春子の考えが分かる人がいる訳がなく、初めて会った優子の両親は春子の顔をたてて、言葉をそのまま受け取ったのだ。
そんな豊川家の気持ちなぞ自分勝手の春子には知る由もなく、両親同士の溝は最初から深まっていっていき、優子にたまに嫌みを言う時に持ちだすのだ。
春子に意見できなく、何も出来ない勝は子供が産まれた後も変わることはなく、源一郎から相続を受けてから自分の主張をすれば良いと思うようになっていき、仕事に関しても、まわりがどう思おうが、自分には営業センスがなく、社長になったら統括するだけで良いと、そんな甘い考えを抱いていた。
そう思っている勝に対し、源一郎は営業センスは自分で覚えるものだと、人から与えられるものではない。
そういう強い信念で勝の力をつけさすつもりであった。
しかし、親の心子知らすとはまさに源一郎と勝の関係である。
結婚式は源一郎達と同じ帝国ホテルで行い、まだ独身であった皇太子も列席される事で優子の友人達は舞い上がり、芸能人並みの結婚式となった。
結婚式での春子の服装は派手になりようがなく、独壇場にもなりようが無い為、勝は少し安堵していた。
なんとか結婚式も終わり無事新婚旅行である。
新婚旅行は優子の希望でイギリスになった。
成田空港のラウンジでコーヒーを飲む二人。
「新婚旅行はお母さまの意見がないので安心して行けますね。」
疲れた勝の顔を見て優子が優しく話しかけた。
「ここまで気を使わせちゃってごめんね。」
「いえいえ、お母さまを見ていると、ご自分の尺度ではあるけど、良かれと思って勝さんの為に行っているんです。親心と思わなきゃ駄目ですよ。」
勝はやっぱり優子と結婚して良かったと思う瞬間であった。
「ありがとう。優子さんの優しい心が僕を癒してくれます。」手を握り合う二人。
新婚旅行の行きたい場所は、勝はアメリカであるのに対し優子はイギリスであった。
なかなかお互いに行きたいところを譲れられなかったので、最後はジャンケンで決める事とした。
旅行は二人きりで羽を伸ばせる時間であった。
勝は優子と二人の時は誰からも干渉がなく、生きているという実感を感じていた。
皇太子からのプレゼントで、イギリス皇室の晩餐会に参加出来る事になっており、優子は和服をホテルに送っていた。
ボーイが持って来たのを見て、2人してびっくりした。絵だと思ったらしく縦に持って来たのである。「こういうカルチャーショックも旅行の楽しみですね」
桐箱を開けてるのを見て勝「結構、しっかり収まってるものですね、型崩れしてなくて安心しました」
晩餐会にはタキシードでカチコチな勝と対照的に和やかな優子は大人気で、記者から皇太子夫婦との4人での写真を切望されるほどであった。
やっと日本製品が認められてきているが、ロンドンでの散歩中にはまだ日本人に出会うことはなかった。
新婚旅行から戻ってからしばらくしてから大阪で万博が開催され、高度経済成長の中で二人の生活がにあった。好景気に湧き、織田家も少なからず余裕が出来た頃であり、そんな中で豪が生まれた。
豪が幼稚園の年長になった時、源一郎が組合の旅行先で心筋梗塞で病院に運び込まれた。
急いで勝と春子が病院に行ったが、死に際には会えなかったと、優子は帰って落ち込んでいるのを勝から聞いた。
源一郎の葬儀は、大臣や各界の著名人が来ることになり、マスコミに取り上げられ、葬儀が終わっても来客が止むことはなかった。葬儀後の新体制は、春子が社長となる体制となった。
新体制とバブル景気により業績は順調に上げていく事となり、春子の独裁勢力拡大に拍車がかかった。
財産は遺言書が無かったため、春子の希望で会社の持ち分に関しては法定相続通り分けた。
不動産は豪と春子で半分づつ所有することと春子の独断で分配した。
これに関して勝は気に入るわけもなく、遺言で相続した株式を細々と投資していくのが楽しみとなっていった。