7)外出と外泊が許可された
────すぐ近くで誰かの話し声がする。囁くような潜めた声のせいなのか、よく聞き取れない。
「……まだ…………寝ているわ…………。少し…………けど、大丈夫」
「……………………です…………か。声も……良くなられたと……のに、…………して……ああ、なんて御労しい」
「かなり強めの精神安定剤を…………………………。睡眠薬は………………効き目が…………あまり……使いたくないの……」
「そうだね。なるべく……で、様子をみようか。記憶が…………で、精神的に不安定…………だろうよ。恐らくは……で、一時的な症状だ…………」
「目の周りが、赤くなっちゃって……少し冷やしてみたんだけどね…………」
「ああ、お可哀そうに。どうして、このお方ばかりが酷い目にあうのでしょうか」
「……それは言わない約束だよ。過ぎてしまったことだからね。問題は、これからのことさ」
────もしかして、俺の話かな?
そう思ったら、ぼんやりしていたはずの脳みそが覚醒した。
ぱちりと目を開けると、この一週間ほどですっかり馴染んでしまった診療所の寝台の上で、横に座ったギルに覗き込まれていた。
そんなにじっくりと寝顔を見られていたかと思うと、かなり恥ずかしい。
リナさんが、俺の手首に器具をつけて何かを計測している。
すぐ隣の小さなテーブルでは、ウィルヘルムさんが白磁のティーポットに香茶の茶葉を投入しているところだった。
ギルが俺の額に手を当てて、ついでにくしゃりと頭もなでる。
ここのところは体調も悪くないし、発熱はしてないはずだから、大丈夫ですよ?
二度寝させてもらったから、寝不足だって少しは解消しただろうし。
かなりショックなことが判明して、平常心とは言い難いかもしれないけど、まあ……概ね良好なはず。
「目が覚めたんだね。気分はどう?」
(うん、少し寝れたからか落ち着けたみたい。ギルは何時からここに?)
「昼食を済ませて、つい先ほどウィルと一緒に来たばかりだよ」
(そうなのか。もう、昼を過ぎたの? すっかり寝過ごしちゃったな)
「問題ないさ。最近ちゃんと睡眠がとれていなかったと聞いた。顔色もだいぶ良くなったみたいで、安心したよ」
(心配してくれてありがとう。リナさんの薬のおかげか、今回は夢を見る暇もないくらいよく眠れたみたい)
「それは良かった」
ギルは紫の瞳を優しく細めて、俺の髪をかきまぜた。
あの水薬を毎回飲めば嫌な夢を見ないで済むかもしれないと提案すると、アレは依存性があるから常用は勧められないと説明される。
そのうえで、ジトリと目を細めた小柄な治療師殿に“薬は身体を治す為に有用だけど、毒にもなり得るものだから細心の注意が必要なのだ”と窘められたのだった。
リナさんはカルテらしき書類に何やら細々と書き込みをしながら、お昼の鐘がなってからはそんなに時間は経っていないと教えてくれた。
「脈拍も、体温も血圧も正常値ね。うん、顔色も朝よりずっと良いみたい」
(ありがとう。リナさんのおかげで、だいぶ落ち着けたよ。今朝はみっともなく取り乱しちゃって……お世話をかけました)
きまり悪そうにそう伝えると、彼女は気遣うように俺の手を握って見詰めてきた。
「どういたしまして。憶えておいて……貴方は独りじゃないの、私たちが居るんだからね。それでもって、遠慮しないでどんどんお世話されなさい」
(うん。言われるまでもなく、俺はここに来てから皆に甘えっぱなしで、お世話になり放題だよ)
「今のうちにしっかりと甘えておきなさいな」
(そうだね。こんなに良くしてもらって、すごく感謝しているよ)
「ふふっ。どういたしまして」
主治医の彼女はどこか満足そうな笑顔で肯いた。
診察が一段落したところで、白磁のティカップが差し出される。
「本日の茶葉は大陸南方産のものでございます。昼食代わりにこちらのスコーンはいかがですか?」
(ありがとう。いただきます)
ウィルヘルムさんは、何時も絶妙な間合いでお茶の準備を進める。いったいどうやってタイミングを計っているのだろうか。
淹れたてのストレートティーを飲みつつ、ブルーベリーとクリームが添えられた可愛らしいスコーンを味わった。
ギルとリナさんも同じものを食べつつ、会話を進める。
「リナ、彼の外出と外泊許可をもらえないだろうか。このままここに閉じこもっていても状況が良くなるとは思えない。むしろ悪化の可能性もあり得るだろう?」
「それはそうだけど。ギル、どうするつもり?」
「思い切って環境を変えてみてはどうかと思ってね。それならば、いっそのこと目的を果たしてしまうのも良いんじゃないかなと考えたのさ」
(えっ、それってどういう?)
「つまり、やるべきこと……会うべき人に会って来れば良いのさ。ウィル、準備を頼めるかい?」
「わかりました。すぐに整えましょう」
(えっ? うぇっ?)
「はぁーっ、まったくもう。ギルは何時も思いきりが良いっていうか行き当たりばったりっていうか……仕方ないわね、キチンと付添人をつけるなら許可しましょう。無理は禁物だけど気分転換を図ることは必要だわ」
何が何だかいまいちわからないが、思いがけず外出と外泊の許可が出たらしい。
執事さんが問う。
「それでは行先は“オトの森”で。ついでに少しだけ店内をご案内しても?」
ギルが答えた。
「そうだね。ウィルに任せようか」
「かしこまりました」
そうして、執事さんは颯爽と退出していったのだった。