6)顔色が悪いのは寝不足のせい
◇治療や薬などについての記述がありますが、作者のへなちょこフィクションとなっておりますのでご了承ください。
百貨店の施設内にあるというこの診療所には、かれこれ二週間以上もお世話になってしまった。
その間に、三つある寝台の一つを占拠している俺の他には誰もここを訪れる患者はいなかった。
訪ねてくるのは執事のウィルヘルムさんとギルくらいで、静かで長閑な療養生活を満喫している。
怪我人や病人がいないのは良いことなのだろう。
しかし、あまりにも閑散として居るのが気になって尋ねてみると、ここの他にも数か所の大きな医療施設がある為そちらに行く人が多いらしい。
どうやら診療所も設備と人員が充実している方に人気が流れているということみたいだ。
治療師ルナさんの的確な診断と治療のおかげで、俺の体調はずいぶんと良くなってきている。
入院生活も、三日を過ぎたあたりからはほとんど頭痛も眩暈も解消していたし、室内での軽い柔軟運動なんかもこなしている今日この頃。
もう大丈夫だろうから退院したいと何度か主張したのだが、主治医であるらしいリナさんの許可はまだもらえていない。
彼女は、俺の起床時の顔色がものすごく悪いから心配なのだという。
それについては自分でも自覚があった。
眠る度に、ほとんど毎回悪夢に魘されて目を覚ますのだ。
多少は顔色が良くなくても仕方がないと思う。
眠らなければ夢なんか見なくて済むんじゃないかと考えて,徹夜を試みたりもしたのだが無駄な抵抗だった。
気が付くと、いつもあの暗い場所に居て……あらゆる手段の拷問を受けるのだ。
当たり前のように暴力を振るわれ、罵られ……毒薬を飲まされた場面もあった。
たまにあの臙脂色のローブを着た金髪の男が出てきて、ろくな抵抗もできない俺は止めを刺されたところで目を覚ます。
そして、毎朝のように小柄な治療師が心配そうに俺の顔を覗き込んでいるのだ。
どうしてこんな夢ばかり見るのだろうと、内心でうんざりしながらも、彼女に心配や世話を掛けたくなくて出来るだけ平常心を心掛けていた。
悪夢が怖くて怯えている臆病な自分を知られたくないというか。
ようするに、これ以上格好悪い姿を晒すのは避けたいというか。
そんな訳で、ちょっと寝不足なだけなので目の下とかにクマとかが居座っちゃってても気にしないで欲しいという姿勢を、意地でも維持していたかったわけで。
しかし、今朝は駄目だった。
どんなに堪えようと思っても涙が止まらない。
口から勝手に出てくる嗚咽がすごく耳障りだ。
とにかくみっともない姿を晒したくなくて、寝台の上で寝具に潜り込んで全身を丸める。
歯を食いしばり、そうして何とかやり過ごそうとしたが無理だった。
呼吸が上手くいかなくなって、胸を押さえたまま情けなく口を開け閉めするしかできなくなったのだ。
リナさんが無理やり毛布を引っぺがして、俺の背中をさすってくれる。
「落ち着いてね、先ずは息を吐くのよ。ゆっくりとね……そうそう上手。三つ数えたら、今度は吸って……いち……にい……さん……。うん、いいわよ……大丈夫、もう大丈夫だから」
(……………………)
朝の挨拶も、ありがとうの言葉すらも出てこなかった。
悲しみなのか悔しさなのか、得体のしれないドロドロしたものたちで、頭の中が嵐のように荒れ狂う。
歯を食いしばり全身に力を入れていないと、どうにかなってしまいそうだった。
リナさんは、そっと寄り添って俺の身体を抱きしめた。
「そんなに強張っていたら、また呼吸が苦しくなっちゃうわ。泣いたっていいのよ。嘆いたって、喚いたっていい。寧ろそうするべきなの。貴方の中の苦しみを、ちょっとずつでも手放していかなくては」
(……………………)
苦しみ? このドロドロが?
手放すって、どうやって?
リナさんの言葉に、頭の中の暴風雨が混乱する。
気が付いたら俺は寝台の端に腰かけていて、リナさんの翠緑の瞳に見詰められていた。
心を落ち着かせる薬だと、味のない水薬を小さな杯で飲まされたせいか、少しだけ考えをまとめることができる気がする。
「何が、あったの?」
心配そうな彼女の顔を見たら、さっきまで吹き荒れていたはずの嵐がハラハラと崩れていった。
(……家族が…………俺の、家族は…………皆、殺された……らしい)
ぎゅっと目を閉じると、堪えていたものが溢れて流れていった。
「思い出したの?」
(……暗い、牢屋みたいな所で……彼奴が言っていたんだ。……暗部の覆面部隊に、一族全てを始末させたって……)
「彼奴って、誰?」
(わからない。いつも夢に出てくるんだ。金髪で碧眼の魔術師みたいな男…………知り合いかもしれないけど、名前もわからない)
「……そう。とても酷い夢を見たのね」
(俺の…………俺のせい。裏切り者の一族だから滅びるんだ……って。俺は何を裏切ったんだろう…………何も、わか……っ……どうして……)
自分の知らない何かが恐ろしくて、どうにかなってしまいそうだった。
診療所のこの一室には明るくて温かい朝の光が降り注いでいるはずなのに、寒くて重くて苦しい。
「貴方は、何も裏切ってなんかいない。大丈夫よ」
(でも、……皆殺されたって…………どうして?)
「これ以上、まだ深く考えては駄目よ。貴方の心が壊れてしまう」
(そんな……だって、俺は知りたい。これは知らなくてはいけないことだ)
「そうね、貴方にとって大切なこと。貴方はちゃんと知っているの。でも、今はそれを閉じ込めておかなくてはならない」
(閉じ込める……どうして?)
「貴方のやるべきことを為すためよ。でも、気持ちや思いを我慢しなくてもいいの。ちゃんと悲しんで、泣いて、吐き出すべきだわ」
(……そんな、器用なこと……できないよ…………)
何かを閉じ込めながら何かを吐き出すなんて、無茶なことを言う。
俺は、リナさんに抱きしめられながら泣き続けた。
声は出ないけれど、しゃくりあげる息づかいが辺りに染み込んで部屋中が陰気くさい。
顔も名前も思い出せない家族を想い、泣くしかできない情けなさを嘆いて時が過ぎる。
やがて思考がぼんやりと輪郭を失い、視界に靄がかかってきた。
なぜ自分がこんなに泣いているのかわからなくなってきた頃に、リナさんが薬が効いてきたみたいだから少し休みなさいと、言ったような気がする。
そんな風に、俺は湿っぽい状態で二度寝をすることになったのだった。