5)理由を聞いてもよくわからなかった
自分勝手な執事さんに、苦笑いの治療師さんと、不安な気持ちでいっぱいな俺。
何ともいえない微妙な空気が固まったまま、数秒程が経過しただろうか。
場の空気など少しも読む気がないらしい執事さんは、飄々とした態度でティーポットを傾けた。
辺りには爽やかな香茶の香りが広がる。
「おぉ、いけません。折角のお茶が冷めてしまいます」
わざとらしく話題をずらしたのが見え透いている。
「先ずは、こちらをお召し上がりください」
恭しく差し出されたものを思わず受け取ると、彼はにっこりと微笑んだ。
白いカップに入った琥珀色の液体は柑橘系の香りをつけたお茶なのだそうで、一口飲んだだけでもすっきりとした気分になれた。
ひと口大にカットされ小皿に盛られた黄色い果物は、ほのかに甘くて瑞々しい。
何だか懐かしいとっても好きな味、だと思う。
病人とはいえ、朝から寝台の上に居たままでこんなにも贅沢なことをさせてもらって大丈夫なのだろうか。
庶民の生活基準からすると、あきらかにずれているとは思うのだ。
こんなんでいいのだろうか。
いや、まずいだろ。
頭の中ではそんなふうに考えながらも、甲斐甲斐しくお世話をされて、美味しいものをいただいている。
ウィルヘルムさんのペースにすっかり流されてしまっている俺だった。
執事さんが懐から銀の時計を取り出して確認する。
「朝食までにはまだ時間がございます。それまでゆっくりお休みください」
リナさんにお茶のお礼を伝えてもらって、自分でも軽く首を下げる。
「もったいないお言葉をいただき恐縮です」
そう言いながら、では失礼しますと静かに退出していった。
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朝食は、食卓でリナさんと一緒に食べることになった。
果汁を薄めた飲料水にサラダと玉葱のスープ、卵味のしっとりしたトーストに蜂蜜をかけたものがトレーの上に上品に盛り付けられている。
かなり贅沢な朝ごはんだ。
しっかりと完食するように言い渡されたのだが、トーストはまだ半分以上残ってしまっている。
ほんのり甘くてふわふわで美味しいのに、どうしても食べきれない。
向かい側の彼女は、とっくに食べ終わって食後のお茶を楽しんでいるというのに。
残してしまってはもったいないし、作ってくれた人にも申し訳がない。
もう少しだけ頑張ってみようかと皿を睨んでいると、ノックの音がして銀の髪を揺らしたギルがやって来た。
「ああ、まだ食事中だったか。少し来るのが早すぎたようだ。僕に構わず、慌てないでゆっくり食べるようにね」
折角そう言ってもらったが、自分の胃袋は満杯らしくてどうにも食べられそうにない。
諦めてフォークを置いた。
(すみません、もう無理そうです。ごちそうさまです)
リナさんは、俺とギルにマグカップを渡して食後のお茶をすすめてくれる。
食器を片付けるために席を立彼女と入れ違いで、ギルが空いていた席にとすんと腰かけた。
男ふたりがマグカップを手にふうふうとお茶をすする。
香りをつけていないストレートな紅茶は、さっぱりしていてくせがない。
(おはようございます。朝食は食べたんですか?)
「おはよう。僕は自宅で済ませてきたよ」
ふわりと額に手を置かれて、上目遣いに彼を見る。
「今朝は熱も下がったようだね。安心したよ」
(はい……)
ああ、ギルも熱を測ってくれたわけか。
昨日から引き続き心配をかけたりお世話になりっぱなしなので、ありがたいやら申し訳ないやらでモゴモゴとお礼を伝える。
(えっと、ギルはここに住んでいるわけではない? 自宅はどこにあるんですか?)
色々と聞きたいことが多すぎて何から質問していいのか迷うが、とりあえず気になったことを聞いてしまう。
ギルは、何故か残念そうにふむと息をついてから答えをくれる。
「もちろん、僕の自宅はここだよ。僕だけじゃなくて多くの者がここに住んでいるんだよ」
へぇーなどと感心していると、彼が目を細めて話を続ける。
「……それよりも、その敬語を何とかしたいな。君がそんな風に畏まっているとどうにも落ち着かない」
(へっ!? ダメですか?)
「僕等は友人なのだから、もっとありのままだったはずだよ? 畏まる必要も構える必要もない」
(それは、そうかも知れないですけど…………)
基本的に自分より年上には敬語が常識だと思うので、タメ口は俺の方が落ち着かない。
しかし、ギルはお構いなしである。
「はい。やり直し」
(えっと、どこから?)
「じゃあ、おはようからかな」
それって初めから全部!? 正直言って面倒くさいと思ってしまう。
(いやいや、時間の無駄になるから次に進もうか。聞きたいことが沢山あるんだよ)
「ははは。その調子」
どんな調子かよくわからないけれど、素のままで良いらしいので開き直ることにする。
要するに、俺の方が折れたということだ。
ちょっと面倒くさくなった、というのは内緒である。
そうしてみると、確かにギルに対しては敬語よりもこっちの方がしっくりくる気がするから不思議だ。
俺は、その調子とやらを続けることにした。
(ギルも他の人たちもここに住んでいるのか……もしかして、ここって俺が思っているよりも凄く広いところなのかな?)
この診療所の一室とあの地下空間しか知らない俺は、いまいち状況がわからないのだ。
(ギルは学者だって言っていたけれど、他にはどんな人が居て何の仕事をしているのかな? っていうか、ここは何のためのどういう場所なのかな?)
────何を聞こうか考えをまとめられなかったために、かなり支離滅裂である。
知りたいことが次々湧いて出てきて、自分でもどうにもならないのだから仕方がない。
ギルは、君って結構せっかちだよねーと苦笑した後に、仕方ないかと小さく溜め息をついた。
「君は全部忘れているんだったね。ちゃんとわかるように説明しよう」
(是非とも)
「本当は色々と込み入った事情があるんだけど、余計な情報を教えて君を混乱させることは避けたいんだ」
込み入った事情が気にはなるけれど、効率的に情報が欲しいのでとりあえず同意の意味で肯いておく。
「だから、ざっくり大雑把に話をする。詳細は後から、少しずつということで」
(わかった)
その点も問題ないと思うので、これにも同意する。
「まず、ここがどういった場所なのかということだけど……巷では百貨店と呼ばれている商業施設なんだ。あらゆる品物が売られているところで、かなり大きな建物だよ」
(百貨店……?)
何かの商売をしている場所みたいだけど、あまり馴染みのなさそうな単語だ。
「今までにはなかった新しい商売方法らしいから、君には聞きなれない言葉だろうね」
(そうなんだ)
「話に聞くよりも実際に見た方がよくわかるだろうから、体調が回復したら見学できるように手配しておこう」
(いいの? ありがとう)
「ウィルに案内してもらうといいよ」
(ウィルって、ウィルヘルムさん? 執事の? 彼ってここのオーナー様に仕えているのに、俺の面倒まで見てもらって大丈夫なの? 忙しいんじゃないかな……)
「ああー、彼は百貨店の総元締みたいなものだからね。僕よりもウィルの方が色々と詳しいんだよ」
(えええっ!? そんな偉い人に案内してもらうなんて恐れ多いよ。ひとりで大丈夫だよ)
「君は彼のお気に入りだから、全然気にすることはない。むしろ変に遠慮なんかすると余計にうっとおしくて面倒くさくなるから、好きに世話を焼かせておけばいいのさ」
(はぁ。いいのかな……彼のご主人に叱られたりしないかな)
「気にしない、気にしない」
俺とギルとは友人らしいし、どうやらウィルヘルムさんとも知り合いならしい。
そして、執事さんのご主人であるオーナー様とギルも友人なのだという。
ということは、もしかしたら俺とオーナー様も知り合いなのかもしれない。
(ここが商売をしているところだというのなら、俺はここの従業員か何かなのかな?)
「おっ、察しが良いね。君は僕の紹介ということで、ここで働くことになっていたんだよ」
(そうだったんだ。ギルのお世話で雇ってもらえたんだね)
「うん……まぁ、表向きはそういうことになっているんだ。職種も……仮採用のアルバイト君として、なんだけどね」
(そっか。真面目に頑張れば、正規従業員にもなれるかな?)
「ああ勿論さ。僕は、すぐにでも正規採用扱いで良いんじゃないかって言ったのに、他の従業員たちに示しがつかないとかって上層部の奴らが煩かったんだよ」
それで仕方なくアルバイトからのスタートになった、ということだった。
(なるほど。それじゃあ、上層部の方々にも認めてもらえるように頑張らなくちゃね)
「んー、あいつらは相手にしなくていいんだよ。君の負担にならない範囲で気楽にやるといいさ」
ギルはそう言ってくれたけれど、俺って採用されて早々に具合が悪くなって入院中なわけで……役立たず感が半端ないんだよ。
折角紹介してくれたギルの面目を潰してしまってすまないと頭を下げると、彼は苦笑しつつ慰めてくれる。
「いやいや、問題ないよ。たぶんこうなるだろうと予測はしていたからね。仕方のないことだったのさ」
(予測して? ……えっと、どうしてこうなったのか聞いても? 俺が倒れた訳とか、記憶が無い理由とか)
「あー、やっぱりそこが気になるのは当たり前か。……君には、何もかも忘れなくてはならない事情があったんだよ。そのためにかなり無茶な魔法技術を使わざるを得なかったんだ」
(事情って、いったい?)
「あるご婦人と、その一族に会うこと。それから、この百貨店で生活をして、ここがどんなところか知ること。君は、そのために全てを忘れることにした。……わかりやすく言うと、そういう訳なんだよ」
(いや、全然わかんないんだけど。とりあえず、これは俺が自分で望んだこと……なのかな?)
「君の望みというよりは、他に方法が思いつかなかったといったところかな」
(方法が……。そういうことなら、これは一時的なものなんだよね? いつかはちゃんと思い出せるのかな)
「今の君は忘れているけど、実験と検証は万全だから大丈夫なはずだ。安心するといい。まあ、このまま思い出さなくてもしっかり面倒をみるから、どちらにしろ心配いらないよ」
(ものすごく漠然とし過ぎていて、あんまり安心できそうもないけど……ギルにそう言ってもらえるなら心強いよ)
「リナとウィルも君の味方だ。大船に乗ったような気でいてかまわないさ」
(そっか。ありがとう)
あるご婦人ってどこの誰なのかとか、その人になぜ会わなくてはならないのかとか、だいたいどうして誰かに会うのに色々と忘れる必要があるっていうのだろうかなどど、様々な問いが脳内を駆け巡る。
ギルは俺にわかりやすく説明してくれたのだろうけれど、説明が新たな疑問を生んでゆく。
そもそも基本的な情報が無いのだから、全てを理解することは無理なのだろうと思う。
彼を信じることにしたのならば、現時点で話してくれないことは今は脇に置いておくべきなのだろう。
きっと必要な時には教えてくれるはず。たぶんだけど。
ここまでの会話で、大雑把な一通りの事情は聞けたということだろうか。
眉を寄せて考える俺を気遣うように、ギルは言葉を続ける。
「先ずは体調が良くなるまでちゃんと療養すること。目的の人たちには何時でも面会できるように手配をしてあるから、焦らなくていい」
心配してくれているのがわかるので、俺は素直に頷いた。
「それから、自分のペースでここのことを知ってほしいんだ。それまでは、君の過去の思い出はちょっと邪魔になるから……うっかり思い出さないようにしなければならない」
申し訳なさそうな表情でギルが言う。
「だから、余計なことや詳しい説明はできないんだ。今は、それで納得しておいてほしいな」
うーん、何となくわかったような、そうでないような。
それでも今は、素直に頷いておくしかないのだろうと思う。
(会わなくてはならないご婦人って、どんな人なの?)
「ん、それも前もって説明はできないんだよ。会った時に、直接本人たちに聞くことにはなると思うけど」
(それがきっかけで記憶を思い出すかな?)
「可能性はあるけれど、わからないな。その時はその時さ。一番の目的は、君がその人たちに会うことなんだ。後のはついでのオマケみたいなものだし」
(そうなの? 俺にとって、そんなに重要なことなのかな)
「会っておいた方がいいと、僕は思っているよ。君は、彼女にとても会いたがっていたからね」
(そうなのか……俺はそんなことも忘れているんだな)
「まあ、あんまり考えこまないこと。今は、身体を休めなくてはね」
(……そうだね。ありがとう、ギル)
あまり長話をすると体調に良くないから、今日はここまでにしようというギルに、心細くなってつい確認する。
(あの、また話を聞かせてくれる?)
「もちろん。君が望むのなら、何時でも」
俺を友人だという彼は、笑顔でそう答えてくれた。