3)運搬係は友人だったらしい
「脳に異常はないようです。心臓も異常なしですし、身体の筋肉や関節なども大丈夫みたい。はぁ~~っ、ホントに……無事でよかった」
何故か大袈裟な溜め息交じりに診察結果を伝えられて、反応に困る。
(はぁ……そうですか)
「眩暈と頭痛は、高度魔法技術の後遺症だと考えられますので、よく休養をとってください。熱も高いですし、症状としてはかなり重症なので無理は禁物です」
(はい……ありがとうございます。えっと、高度魔法なんちゃらって……後遺症って、どういうことです?)
胡散くさい単語の出現に、身を乗り出すようにして質問する。
「んっと、ごめんなさい……専門用語じゃわからないわよね」
困ったように眉尻を下げて、虚空を見上げる治療師さん。
素人にもわかりやすく説明しようと、考えてくれているらしい。
「ようするに、通常ではあり得ないほどの大規模な魔法現象によってもたらされた大きな負荷というか、ダメージのことですね」
(ええと、何で俺はそんなことに?)
「そうね、やっぱりそこは気になるのが当たり前だわね。……訳があって詳しくは説明できないんだけど、貴方は何らかの魔法現象に巻き込まれたっていうか自ら引き起こしたっていうか。とにかく、そんな感じなの」
魔法現象、大きなダメージ。
巻き込まれ? 引き起こす? 俺が? よりによって自らだって?
いったい自分の身に何が起こってこんなことになっているのだろうか。
自分は何をやらかしたのだろう。
どんなに考えても、思い出そうとしても、ぼんやりとした思考からは何も見つけることはできなかった。
とりあえずクラクラする脳ミソをどうにか正常運転にもっていけないかと試みるけれど、頭の痛みが酷くなるだけだ。
急に胸の辺りが重苦しくなり、思わず目を瞑って俯いた。
どうして? どうして? どうして何も思い出せないんだ!!!
頭の痛みがズキズキ響いて、すごく息苦しい。
身を固めて視界を閉じていた俺の頭の中に、突然に言葉が流れ込んできた。
<どうか焦らないで。僕等を信じてほしい>
固く閉じていた瞼を思わず見開く。
(え!?)
耳元の衣すれの音で自分が抱きしめられていることに気づく。
(……何??)
やわらかな銀の髪が頬を撫でて少しくすぐったい。
<訳もわからずに不安だろうけれど、リナも僕も決して君を傷つけたりしないと誓おう>
思考に直接語られてくる言葉に、俺は硬直したまま瞬きを繰り返すばかりになった。
固まったままの俺を覗き込んできたのは、優しく輝く紫の瞳。
<基本的に念話では偽りを語ることは不可能なんだ。自分自身の頭の中までも欺くような愚者ならば、もしかしたらできるのかもしれないけどね>
思いつめて思考を暴走させた俺を落ち着かせようと、彼がこちらに念話を送って来たらしい。
(貴方たちを信じろと?)
<どうか信じてほしい>
俺はまだ彼が誰だか知らないわけだけど、こんなに心配してくれてここまで親身になってくれるひとを信じられないわけがない。
単純思考かもしれないが、素直にそういう結論に至った。
たとえ信じて騙されたとしても、彼にだったならあきらめもつくっていうか、きっと後悔はしないだろう。
真剣な表情の彼を見詰め返して、俺はわかったと頷いたのだった。
いきなりで少し驚いたが、ちゃんと銀髪氏の言葉を受け取れたということは念話の受信も問題ないようだ。
治療師さんが言うには、念話も魔法技術の一種なので多少は身体に負担がかかるという。
とくに重症の後遺症である俺にとっては少しのダメージも看過すべきではないので、症状が落ち着くまで魔法や魔力にはできるだけ関わらないようにと注意された。
そんな訳で、念話も声が出せないため送信は致し方ないが、受信は今のところは控えた方がいいらしい。
治療師のリナさんは言葉にして寄り添ってくれる。
「突然こんなことになってしまって、もの凄く不安だと思うの。思い出そうと焦る気持ちになるのも当たり前よね」
そうか。俺は、不安で……焦っているのか。
「今の貴方には治療と休養が必要です。大丈夫、時期がくれば嫌でもちゃんと思いだすわ。そこは主治医として保証します」
彼女の言葉に半信半疑ながらも小さく頷く。
「そのためには、まず不安や恐怖や過度のストレスを解消してリラックスしなくてはね。私たちは貴方の敵ではないわ。どうか信じて、頼ってほしいの」
戸惑いながらも、彼らの言葉に甘えてしまいたいと思っている自分が居る。
(それは……ううん…………こんなに親切にしてもらっているのに、敵だとかは思わないです。でも……えっと、確かに不安でいっぱいいっぱいで……)
「そうね。やみくもに信じろとかリラックスしろと言われても、難しいかもしれないわよね」
リナさんは溜め息交じりに呟いた。
微妙な空気の中、俺を抱きしめていた銀髪氏が思い出したように身を起こした。
「そういえば、僕は自己紹介がまだだったはず。何者なのかわからない奴を信じろっていうのも説得力がないからね」
そうでした。この人の名前すら知らないんだったよ。
「僕はギルバ=ラーグという。竜族の学者で、君の保護者役でもある。ギルと呼んでほしい」
俺の体調を考えてか、念話じゃなくて楽しそうなゆっくりとした口調で教えられた彼の名前。
言葉にするのは難しいんだけど……思い出せないはずなのに、懐かしいような何とも言えないもどかしい気持ちになる。
もしかしたら、彼とは以前からの知り合いなのだろうか。
(保護者役ということは、俺の親戚か何かですか? それとも書類上だけの身元保証人? っていうか、それなら俺の身元とか素性とかを詳しく知っているんですよね?)
「ははは。次々と質問が出てくるね」
(うぅ。すいません)
ああ、やっぱり自分は焦っているんだと自覚する。
知り合いならば、彼に色々聞けるじゃないかと勢いよく言葉が出てしまった。
「君は、僕の大切な友人だ。残念ながら親戚ではないんだよ。ああ……君の父上に、君のことをくれぐれもよろしくって頼まれてはいるけどね」
ギルバ=ラーグ──ギルは俺を友人だと言い、おどけた調子で微笑んだ。
(……友人?)
「そう、大切な友人。他は全部忘れちゃったとしてもかまわないんだけど、これだけは忘れてほしくなかったな」
(…………ごめんなさい)
真剣な表情で見詰められて、何だかとても申し訳ない思いでいっぱいになる。
思わす真顔で謝ってしまうくらいには。
「……いや、すまない。君にだってどうすることもできないことなのは理解しているんだよ」
そう言って、ギルはへにょりと苦笑する。
「無理に思い出す必要はない。だけど、僕が君を大切に思っていることはわかっていてほしいんだよ」
(……はい)
目の前にあるアメジスト色の瞳を見返して、綺麗だなとぼんやり見惚れていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「はいはい、込み入ったお話は後でじっくりとしてくださいな」
リナさんが、長話は体に障るから程々にしなさいとギルをさがらせる。
「ごめんなさいね? ゆっくりとおしゃべりさせてあげたいのだけど、貴方の体調を考えると今は身体を休ませることを優先させなくてはね」
(はい……でも、色々と気になるんです。わからないことだらけで不安だから。もう少し詳しく教えてもらえたら、落ち着けるような気がするっていうか)
「うーん、そうね。気持ちはわからなくもないけれど、熱も高いし起きているのも辛いでしょ? 自覚がないかも知れないけれど意識障害も出ているから、わりと深刻なのよ?」
治療師さんの指摘に、そういうことなら体調が最優先だとギルは名残惜しそうに部屋を出ていった。
また明日と頭をポンポン撫でてから。
おもいきり子ども扱いである。
保護者役だから?
それとも、俺が子どもっぽいのだろうか。
リナさんは、やれやれと肩をすくめた。
「一晩ちゃんと安静にすれば少しは体調も良くなるはず。彼も、明日また来てくれるわ」
(うぅ、はい。わかりました)
俺は、渋々だけど了承する。
確かに自分は具合が悪いからこの診療所に連れてこられたはずなのだ。
主治医の指示にはちゃんと従うべきだろう。
先程言われた意識障害って何だろうと首を捻っていると、彼女は呆れた様子で小さなカップを手渡してきた。
「ホントに自覚がないのね……。かなりぼんやりしているし、朦朧として上手く考えがまとまらないはずよ。ちがうかしら?」
(……そういえばそうかも)
「ほらね、無理しちゃダメよ?」
(はい。えっと、このカップは何ですか?)
「ああ、これ? 先ずはこの中の薬を飲んでみてね。熱冷ましと栄養剤で、変なものは入っていないから安心してね」
(薬ですか……ありがとうございます)
「……ちょっと、かなり苦いから、一気に飲み干した方がいいかも」
(? わかりました)
指示されたとおりにカップの中身を一気に呷ると、口の中いっぱいにものすごい味が広がって悶絶しそうになった。
言葉では表現できそうもない、衝撃的な味が喉の奥へと流れていった。後味が鼻の奥へと貫けていく。
(~~~~~!? ~~~~~!!!)
吐き出さないように両手で口を押さえつけて涙目になっていると、よしよしと頭を撫でられる。
「初めて飲んだ人は、たいがい吐き出しちゃうくらい不味いのよね、これ。よく飲めました、エライエライ~♪」
完全に子ども扱いだよね、これ。
ちがう意味でも涙が出そうな気がして項垂れる。
味はものすごいけど効果もすごい薬なのよ~と笑顔で渡された水をガブガブと流し込む。
やっと口の中が落ち着いた。
こんな刺激の強い苦みが存在しているなんて信じられない。
口の中なんてヒリヒリするし、喉の奥がまだエグったい気がするよ。
味だけで劇薬指定にされるべきだと思う。
「薬が効いてくればもう少し楽になるはずよ。夕食まで時間があるからゆっくり休んでいてね」
(はい。ありがとうございます)
「何日かは安静にしておかなくてはいけないけれど、ギルと話をするくらいなら問題ないわ」
明日ギルに会えるならと、彼女の言葉に小さく頷いた。
「そのかわり明日の朝までは絶対安静、ということで。大人しく寝台にいること……じゃないと、またあの薬を飲んでもらうことになるかもしれないわ」
(うぅ、はい。わかりました安静を心がけます)
できればもう二度と飲みたくない味を思い出し、身震いしながら素直に返事をすれば、ニッコリ笑顔の治療師さんは再びよしよしと俺の頭を撫でで静かに部屋を出ていった。
ギルもだけど、リナさんも小さい幼児にするように俺に接しているような気がするんだよ。
頭を撫でたりとか、抱きしめたりとか。
スキンシップが多めというか……。
俺、子どもじゃないんだけどなあ~と、ひとり心の中で呟いてみる。
なぜかあの人たちは自分を幼児扱いしてくるけれど、そんなに幼く見えるのだろうか。
目の前にかざした手は、子どものそれではないはずだ。
そういえば、俺の年齢は幾つなのだろうか。
たぶん、成人してはいるんだよね?
考えてもわからないことをグルグルと思い巡らせているうちに、いつの間にか意識が微睡に吸い込まれていくのだった。
・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・
ちょっとひと眠り……のはずが、すっかり熟睡していたらしい。
夕食だと声をかけられて目を覚ました。
胃腸に負担を掛けないようにと、ごく少量の具だくさんのスープと柔らかい白パンを美味しくいただいてから、また横たわって体を休める……。
何をするわけでもないので、今までのことを色々と思い出してみる。
自分は大きな扉のある暗い場所に倒れていたこと。
記憶がキレイさっぱりなくなっていること。
……それでギルに診療所に運んでもらったのだった。
親切でやさしい治療師のリナさん。
ここに来てからお世話になりっぱなしだ。
そして、ギル。
俺のことを大切な友人だと言う。
彼が居なければ、あの薄気味悪い場所でどうなっていたのかわからない。
彼等は、俺に信じろと言っていた。
きっと、信じて大丈夫……信じるべきなのだろう。
でも、ひとりだけでポツリと取り残されているような────どうしたらいいのかわからない、どうにもできない孤独感がずしりと腹の底に居座っていて落ち着かない。
ここに馴染めば少しはマシになるのだろうか。
それとも、自分で何とかする手立てがあるんだろうか。
あまり認めたくはないが……たぶん、俺は今だに不安でいっぱいなのだろう。
ぼんやりと考えていると、目の前に大きなマグカップが現れた。
(!?)
「眠れないの?」
(あ、えっと……夕方に少し眠ってしまったから、かな。なので、ちょっと考え事を……)
「そう。これ、良かったら飲んでみて。ホットミルクなの」
(熱々ですね。ありがたくいただきます)
マグカップを受け取って、ほわほわと湯気をたてるそれをフウフウ言いながら少しずつ飲む。
やさしい味が口の中に広がって、ほっこりした気分になれる。
「私、寝る前にたまにこれを飲むの。そうするとよく眠れるのよ」
リナさんは、ほわりと笑って教えてくれる。
(そうなんですか? ……うん、温かくて美味しいです)
「よかった。ゆっくり休んでね……」
ごちそうさまとカップを返したところで、俺の意識はふんわりと心地よく途切れていった。