20)オトの森の隠れ里ーーはじまりの木
森の奥深く、里の人たちも滅多に訪れないような奥地に“それ”はあるという。
かつては荒地だったこの辺り一帯に森が広がる切っ掛けとなり、ここに里の一族が住み着く理由ともなった一本の大樹。
リリアと彼女のご主人の一番のお気に入りだった場所。
彼に求婚されたのも其処でだったのだと、彼女は懐かしそうに微笑んだ。
「“はじまりの木”そう呼ばれた大樹は、この森で一番古いオトの木なの」
(オトの木?)
「そう。幹や枝は硬くて変形しにくいから、楽器や建材に適していて、葉は口に当てて上手に息を吹き込むと綺麗な音が鳴るのよ。それで、オトの木っていうの」
(なるほど、面白そうな木ですね)
「この森に生えている木は、ほとんどがオトという種類の木なのよ。ここは自然にできた森ではなくて、里の者たちが長年にわたって植林してつくり上げた人口の森なの」
(こんなに大きくて広い森が? 人の手によってできたんですか?)
「あらあら……また敬語になっているわ」
(うぅ、ごめんなさい。どうしても慣れなくて。年上の人が相手だと敬語が習慣になっているみたいで、自然に出てきちゃうんだよ)
「まあ。では、なるべく私のことは年上だと考えないようにお願いしますわ」
(はい……善処します)
「ほら、また。ふふふ」
(うう、ごめん)
俺のぎこちない会話(筆談)でも、公開お茶会デートは何とか進行している……と、思う。
リリアンナおばあちゃん────リリアが楽しそうにしてくれているから、たぶん大丈夫だろう。
周りの人たちは、年の差何十年? な即席カップルを生温かく見守っている態勢だ。
スーザさんが、すっかり冷めてしまった香茶を淹れ直してくれたので、良い香りを楽しみながら話の続きを聞かせてもらう。
ここに一番初めに植えられてたという、一本の苗木の話だ。
この話は、里の誰もが知っている昔話だとリリアは言う。
「この森の近くにある百貨店という建物は、元々は大昔に滅ぼされた弱小領主の小さな廃城だったの」
うん、ヨルムさんにもそんな話を馬車の中で教えてもらったな。
その廃城は、長い間捨て置かれていたために小さなダンジョンに変化してしまっていて、王国政府が持て余していた場所だったらしい。
「地上二階建ての石造りで城と呼ぶのも憚られるようなその廃墟の地下室に、ひとりの騎士が幽閉された…………今から百年以上も前の出来事だそうよ」
それって、百貨店が急成長する前っていうか、百貨店ができる前の話だよね。
いったい何があったのだろう。
「その人は王国の騎士だったのだけど……無実の罪を着せられて、失意のままあそこの地下室に閉じ込められた。城の牢獄から移されるときには、役人たちによる酷い拷問のせいで正気を失われていたと聞いているわ」
王国とはこの辺りを治めている国のことで、その人は騎士として立派に国に仕えていたという。
それなのに、覚えのない罪に問われ、そして処罰されたらしい。
「彼の家族も罪人の一族として国から追われることになった。……この森に住む私たちは、王国政府から罪人として追われた彼の家族の子孫なの」
今でも王国は一族を追跡して滅ぼそうとしているから、彼等は森に隠れているのだという。
百年以上も昔から、ずっと。
……うん────最近何処かで似たような話を聞いた気がする。
(それで、オトの森は結界に護られているんだね。閉じ込められた騎士さんは、その後どうなったの?)
「そのままよ。ずっと」
(百年以上も!? それって、もしかして……えっと、寿命が尽きてお亡くなりに?)
無念の獄死だなんて、酷い話だ。
「やぁだ、生きていらっしゃるはずよ。私はまだお会いしたことがなかったけれど。ねえ、ヨルムさん?」
リリアは、何故かそこでヨルムさんに話を振った。
「もちろん、我が主人はちゃんと御存命ですよ」
そして、ヨルムさんは当然ですとばかりに頷いた。
ええええっ!? もしかして、オーナー様!?
(えっと、オーナー様がその騎士さんで、幽閉されてるってこと?)
「さようでございます」
「ええ、私の伯父様は元騎士で、今は百貨店のオーナーということになっているわ」
(リリアの伯父さんなの!?)
「ええ、そうよ。私は、伯父様の妹にあたるユリアナの末娘なの」
…………オーナー様って、百歳を超えた御老体だったのか。
びっくりだよ──っていうかリリアの伯父さんていうことは、正確なお年はお幾つなのだろう。
人間族の寿命って、普通は八十歳前後で……どんなにご長寿でも、たしか百二十くらいじゃなかっただろうか。
リリアに、オーナー様は人間なんですよねって尋ねてみると、私がそうだからきっとそうだと思うわーなんて軽い答えが返ってきた。
リリアの話は続く。
彼女の伯父である百貨店のオーナー様が廃城の地下に幽閉される直前に、友人の一人に小さなオカリナを託したのだそうだ。
「当時の伯父様は、自分の家族が皆滅ぼされたと嘘を知らされていて、絶望されたのでしょうね……正気を失っていたと聞いたわ」
お気の毒にと、彼女は睫毛を伏せてしんみりと語る。
「いつも首にかけて持っていらした小さな木の笛から芽が出ているのを見つけて、その時のほんの一瞬だけ正気付いた──それを友人に託し、亡くなった家族のもとに植えてほしいと言ったらしいの」
それが、この森の起源となる最初の苗木。
“はじまりの木”の由来だという。
「自分は家族の傍に行けそうもないし、きっとまともに墓に葬られてはいないだろうから、これを墓標代わりにと。危険を顧みずに牢獄にまで忍び込んで会いに行った友人に、こっそりとそれは託されたの」
だけど、彼の家族は無事だったのだ。
機転を利かせた兄妹たちで一族の危機を見事に回避した逸話は、今でもこの里に語り継がれているという。
オカリナの苗木は、友人の手によって生き残っていた家族のもとに届けられた。
「王国政府の迫害から生き残り、逃れて彷徨っていた一族は、伯父様が閉じ込められている廃城のすぐ近くに苗木を植えて、この地に定住することになった。
それから百年以上…………代々はじまりの木を護りつつ森を育てて今に至っているわ」
オトの森の木々たちは、はじまりの木の子どもたち。
あの木は、森のはじまりであり、里の……私たちのはじまりでもあるのと彼女は言った。
「伯父様は、ずっと家族の無事を知らずにいらっしゃったの。長い間、自分だけが生き残ってしまったと苦しんでおられたはずだわ。だから、私たち一族はこの地で彼の快復を待っている。それがこの里の役割で、私たちの生きる意味なのよ」
一途で強い眼差しが俺に向けられて、思わす息を飲む。
「私は、伯父様に貴方は独りじゃないのよって伝えるの。家族は傍でずっと待っているんだよって言ってあげたいのよ。それまでは何が何でも元気でいなくてはならないの」
ぎゅっと両手を握られて、目に涙をためながら訴えるように言われて………………俺は動くことも言葉を綴ることもできはしなかった。
そよ風が頬を撫でて通り過ぎていくのがわかる。
なんかね、頬っぺたがスースーするからわかるんだ。
相変わらず青空の良い天気で、木陰のテーブルは快適だ。
なのに、俺とリリアは泣いていた。
気軽な世間話がお茶会模擬デートになって、ただ昔の話を聞かせてもらっていたはずだったのに、どうしてこうなったのか。
家族と離れ離れになってしまったオーナー様に同情しているのか、リリアの強い思いに感銘を受けたのか…………自分がなんでこんなに泣いているんだか、自分でもわからない。
唯々、やりきれないような切ない気持ちでいっぱいで、どうしたらいいのかもわからない。
ハンカチを握ったままのリリアが、申し訳なさそうにこちらを窺っている。
「ごめんなさいね。もっと楽しいお話をすればよかったんだけど、貴方にはちゃんとこの里のことをわかってほしくて」
ハンカチを鼻にあてながらのくぐもった声で大丈夫かと気遣われる。
(俺の方こそ、すいません…………泣くなんて。この森のはじまりが、こんな話だったなんて)
「確かに、はじまりは悲しい出来事からだったのかもしれないわ。でもね、私たちはここで悲しんで途方に暮れていたわけじゃないわ」
リリアは、涙目のまま穏やかに笑う。
(そうなんですか?)
「そうよ。伯父様は、オカリナの苗を託すときに言ったらしいの。家族が眠るところを護ってほしいって。そこに弱い立場の者たちが安心して暮らせる場所ができたら、嬉しいことだって」
彼女の言葉は、どこか誇らしげに聞こえる。
「当時の伯父様の友人たちが伯父様の気持ちに応えてくださって、私たちを助けてくれたからこの里ができたのよ。ここには、一族以外にも、護られるべき弱き者たちが穏やかに暮らしているの」
小さな里だけど、結構賑やかなのよと彼女は言う。
「今でも伯父様を支持してくださる方たちが、こうして私たちをお世話してくださっている。私たちは、この場所で伯父様に護っていただきながら、皆が楽しく穏やかに生きてきたのよ」
(オーナー様が、護ってくれているの?)
「直接ではないけれど、伯父様の支持者の方々が森に結界を設置したり、生活の基盤を整えてくれたり、こうして様子を見に来てくれたりね」
(……なるほど)
「伯父様は、ただあの場所にいらっしゃるだけで、皆に大きな恩恵を与えてくださっているわ」
(すごい方なんですね)
「私たちの、自慢の家族よ」
そう言って、にっこり笑ったリリアの笑顔は、とても眩しいものだった。
「このオトの森は、すむ場所を失った人や周りの環境に馴染めなくて異端者扱いされた人とか、色々な訳アリの人や弱者が集まって暮らしているの」
色々な種族がいて、たまには揉め事なんかもあるけれど楽しいところよと、リリアは言う。
「今度貴方に会うときには、私たちがどんなに毎日楽しく暮らしているかお話するわ。そうしたら貴方もきっと楽しい気持ちになれるはず」
(ありがとう。楽しみにしているよ)
俺とリリアは、次に会う約束をした。
そろそろお時間ですとヨルムさんが急かすので、帰りの挨拶を済ませて席を立つ。
聞けば、リリアはつい最近まで具合が悪くて寝込んでいて、まだ無理をしてはいけない身体だったらしいのだ。
(病み上がりだったなんて。こんなに長時間話し込んじゃったけど、具合は大丈夫?)
「お医者様は、無理をしなければ問題ないって言っていたから大丈夫。それに、今日はとっても良い気分なの」
リリアは朗らかに笑っていうが、一時は危篤状態になり命の危険があったらしい。
そのせいかスーザさんは、まだ少し心配そうだ。
「そうはいっても、お医者様が今晩もつかどうかわからないなんておっしゃったから、あの時は皆がおばあちゃんを心配したのよ?」
「あら、そうだったの? ちっとも知らなかったわ」
ほんわか無邪気な笑顔でいわれると孫娘のスーザさんも拍子抜けしたようで、全くうちのおばあちゃんときたら暢気なんだからと苦笑いになったのだった。
里の入り口の駐在所のところで、リリアたちに見送ってもらう。
(リリア、今日は話を聞かせてくれてありがとう)
「私も、貴方とお話しできて嬉しかったわ。また、いっぱいおしゃべりしましょうね」
(うん)
スーザさんからは、お土産よって布の包みを渡された。
中身は例のクッキーだというが、それにしては抱えるほども大きくてずっしりとい重い。
(ありがとうございます。こんなに沢山いただいてもいいんですか?)
「もちろんよ。すごく気に入ってくれたみたいで、私も嬉しいの」
(大切に、少しずつ味わって食べます)
「次は、新作を用意しておくわ」
(とっても楽しみです。また来ます)
「待っているわ。おばあちゃんのためにも、また来てね」
(はい)
俺は、名残惜しい気持ちでオトの森を後にするのだった。




