14)移動手段は箱だった!?
ヨルムさんと二人で、従業員居住区の入り口まで戻ってきた。
扉の獅子は、姿勢正しくこちらを見送っている。
出るときは審査なしで通過できるらしい。
律儀に見送りをしてくれるあたり、彼もかなりの仕事熱心だと思う。
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モフモフ白髭のお爺さんは、見た目を裏切る軽快な足取りで通路をズンズン進む。
「これから建物の出口に行って、そこから馬車で森に向かいます」
俺は了承の意味で肯いた。
「施設内はかなりの広さですので、効率的に目的地に行くために“転移箱”を使います。徒歩での移動だけだと日が暮れてしまいますからね」
(転移箱……何かの道具? 入れ物ですか?)
「場所から場所へ素早く移動するための乗り物、というか設備ですね」
(箱に乗って移動するんですか?)
箱に入ると聞いて、捨てられた愛玩動物みたいに箱の中に収まる自分たちの姿が頭の中に浮かぶ。
恐らくちゃんと理解できていないだろう俺を、ヨルムさんは楽しそうに正面の扉の前に導いた。
「百聞は一見に如かずです。そして、見るよりも体験した方が尚良いでしょう。まあ、ついてきてください」
彼の言葉に頷きを返しながら後についていくと、やがて開けた空間に行き当たった。
そこは、五つの扉に囲まれた、小さな広場のような場所だ。
正面に一つ、左右に二つずつ光沢のある金属製の扉が並んでいる。
繊細な蔓草の模様が刻まれていて、把手のようなものは見当たらない。
どの扉も同じような意匠で、どうやらその中の一つに入ることになるらしい。
ヨルムさんが扉の脇にある幾何学図形に掌で触れると、図形が淡く光って……扉がひとりでに音もなく横にずれて開いた。
なるほど、把手はいらないわけだと感心する。
扉の内側には小さな部屋…………ヨルムさん曰く大きな箱になっていて、二人でその中に入る。
箱は思っていたよりも広くて、天井からは煌びやかな照明器具が、適度な明るさで内部を照らしていた。
下を見ると、床一面に複雑な幾何学模様や記号や文字が広がっていて、これは転移陣という魔法技術を発動するための術式の一部なのだと説明された。
難しそうな文字式や図形が組み合わされていて、作るのにものすごく沢山の知識が必要なのだそう。
残念ながら俺にはさっぱりわからないので、ただの綺麗な模様──という認識である。
右手の壁には小さな板がモザイクのように並んでいて、その一つ一つが行先を指定するスイッチだという。
幾つあるのか、あまりにも多過ぎて数える気にもならない。
正面の引き戸式扉、スライドドアとも言うらしい──の上部には表示板があって、選択した行き先や次の行き先などの情報が表示される。
ヨルムさんが壁のモザイクを操作して、行先を選択したようだ。
「裏口まで、これで行きます」
表示板に〔北側西第一ゲート〕と、文字が流れる。
ほんの少しだけ、くらりと立ち眩みのような揺れを感じた後に、ベルの澄んだ音がチリンと響いた。
「はい、到着です。慌てずに降りてくださいね」
────音もなく開いた扉の向こうには、大勢の人や荷台が忙しなく行き来していた。
もう少し先の方には、大きな木箱が山のように積んであるのが見える。
扉の中に入ってからここまでの間は、ほんの数十秒。
驚いた…………本当に一瞬で移動したのか。
さっきまで居たはずの居住区入口付近とは、全然違う場所だった。
ここがヨルムさんが言っていた裏口、北側第一ゲートとやらなのだろう。
降り立ったそこは、壁沿いに幾つもの“転移箱”が設置されていた。
居住区のところよりも沢山の扉が横一列に並んでいて、何人もの人たちが並んで順番待ちをしている。
次の人の邪魔にならないよう、速やかに場所を移動する。
「百貨店は広大な施設なので、沢山の出入り口が存在します。ここは、北側で西から数えて一番目の通用口です。店側にある華やかなおもてなし用の出入り口ではなくて、業務用なのです」
(なるほど、だから裏口と言ったんですね)
「そういうことです。こちらは、取引のある商人や従業員が使用しています」
(そうですか。なんていうか、とても活気のあるところですね)
筆談で話しながらなので、二人並んでゆっくりと歩いていく。
今朝方具合が悪かったからか、俺の体調を心配するヨルムさん。
人混みは大丈夫か、気分は悪くないかと頻りに確認してくるのだった。
そのまま進んでゆくと、少し先に格子状の頑丈そうな柵が見えてきた。
柵の脇には“出入店管理”と記された窓口が設置されていて、そこにも人の列ができている。
ここから出入りするときには、手続きが必要らしい。
セキュリティ対策だとヨルムさんから簡単な説明が入る。
セキュリティ──要するに警備体制の一環として人やモノの出入りを確認する場所なのだとか。
窓口には、何人かの女性たちが忙しそうに働いていた。
皆が揃いの制服姿で、手際よく仕事をしている。
ヨルムさんが、胸もとから小さな札のようなものを取り出して、窓口の係の人に見せる。
「こんにちはヨルムさん。今からお出かけですか?」
その人は赤毛の若い女の人で、ヨルムさんとは知り合いらしい。
ショートカットで快活そうな人だ。
クルリとした緑の瞳で、小鼻の辺りにはチョットだけ雀斑がある。
「やあ、アンジェリカさん。出店の手続きをよろしく」
「かしこまりました」
テキパキと帳簿のようなものに何かを書き込んで、手続き完了しましたとにっこり微笑んだ。
それからこちらを見て、ちょっと驚いたみたいに目を見開いた。
「もしかして、この方は?」
「そうですよ。これから案内するんです」
ヨルムさんの返事に、彼女は益々大きく目を見張る。
「まあっっ本当に!? ああ──今日はなんて素敵な日なんでしょう!! 百貨店の歴史に刻まれる記念日になるはずよ! ギルは、けして冗談や法螺話を言っていたんじゃなかったのね」
緑の瞳を潤ませながら、なぜか俺の両手を握って上下に振り始めたアンジェリカさん。
あまりの勢いに、びっくりしてされるがままになる。
無意識で身体に力が入っていたらしく肩までガクガクと揺さぶられた。
よくわからないけれど、大袈裟に何かを喜んでいるようだ。
ギルとも知り合いらしい。
それでもって、彼の話をあんまり信じていなかったみたいだ。
まったく、淑女に法螺吹きの疑いを掛けられるなんて……どんなでたらめなことを言ったんだ、ギルは。
「はじめまして。私はアンジェリカといいます。どうぞよろしくお願いいたします」
俺の手を握ったままの彼女が言った。
にっこり微笑んだ目尻にはちょっと涙が滲んでいる。
(はじめまして、アンジェリカさん。こちらこそ、よろしくお願いします)
漸く手を解放してもらい、筆談で挨拶を交わす。
「ヨルムさんが一緒なら心配いらないでしょうけど、お気を付けていってきてくださいね」
(ありがとうございます。いってきます)
ヨルムさんと俺は、にっこり笑顔で手を振ってくれる彼女に見送られ、外側へと一歩を踏み出したのだった。




